怜子と九条 | ナノ




婚約者だといわれ連れてこられた男が九条萬斎という人間でした。まだ少女だった私(ワタクシ)はスーツを着た八歳年上の精悍な九条の容姿に見惚れながらも、なんとまぁ、胡散臭い人と私は結婚するのですね、という感想を抱いたのでした。
九条のエスコートは完璧で御座いまして、石段があると腕をそっとお挙げになって私の小さな掌を握り「気をつけて下さい」と一言添えるのです。私と結婚するのだからある程度の教養や紳士としての礼儀を弁えた方だというのは察しておりましたが、一遍の狂いもなく繰り広げられる、機械化された行動に、この方と結婚は致しますが恋愛はけして出来ないのだということを幼いながらに私は悟りました。彼は唾さえ私に見せたことがなく、開く口の大きさも決まっているようでしたから。
諦めてしまうと、結婚の希望なんて美しい気持ちは無くなってしまいました。幼い私のなんと可哀相なことか。大日本帝国は14歳で契りを結ぶことが出来ましたから、当時、12歳の私は遊んでやろうかと決意しましたが、蝶よ花よと育てられ、遊ぶことすら知らず、婚約した女が自由に他の殿方へ印もつけず動き回ることは叶わず、結局、私は牢獄のような障子の部屋で九条萬斎を待つことしか、出来ませんでした。
萬斎は訪問する度、義務のように私に土産を持ってきました。西洋の美しい花束、硝子細工、御手玉、私のことを子どもとしか思っていないような土産でしたが、それで大喜びを見せ笑みを零していた私には相応しいものだったのでしょう。特にお気に入りだったのは万華鏡で御座いまして、退屈な日々に不満だらけだった私は万華鏡を、くるり、くるり、と見つめていたのでございました。
単純で他人の好意を素直に受け取ることに慣れていた私は純粋に萬斎のことを好きになりました。
恋愛感情などでは御座いません。一番、近いものをあげるとすれば同情と尊敬で御座いましょう。彼が私のことを義務だと言いながら週に一度、訪問する時に私が無邪気に笑う度、悠遠を見つめるかのように時たま毀れる本心に私は心を打ち抜かれたのです。
大人とは難しく面倒なものです。私の所に来るのなど億劫で仕事だと言い聞かせながらも完璧に被りきれない仮面が日を追うごとに暴かれていきます。私はそれを見るのが、万華鏡を見つめるより楽しかったので御座います。
機械仕掛けの九条萬斎という胡散臭い男が消えていく様子を眺めるのも、そのくせ、萬斎がけして私を愛してはくれないのが、楽しくて、可哀想で(ええもちろん、この可哀相には私も萬斎も入ります故に)、一層のこと憐れで、人間として尊敬も同情もしたので御座いました。
事態が急変したのは私が14歳になろうとする一か月前で御座いました。婚儀の準備も進められ、私は内親王の位でしたから三種の神器をご用意され、この国で一番、お偉い位につかれます御爺さまが祝いの言葉を託して下さいました。私はようやく萬斎の元へ嫁ぎ窮屈で圧迫された暮らしと離別する嬉しさと、住み親しんだ家と別れる寂しさに揺れながら、周囲に流されていました。
しかし、あろうことか、萬斎の実家である九条家に危機が訪れました。彼の家は自動車工業やプラスチック製品を盛んに製造している企業で御座いましたが、なんと、工場排出物が有毒な物質を海に流していることが、正式に認められてしまったのです。
皇室内は揺れました。婚姻を破棄するか、否かという問題で。今更なにを言っているのですと、渦中に本来ならばいなければならぬ私が、蚊帳の外状態で話は進んでいき、とうとう、婚約を破棄するという事態にまで局面は動きました。
私は怒りました。なんて勝手なことであろうか! と。唾を吐きだしました。「最後のお別れです」としな垂れ、頭をさげる萬斎の頬っぺたを平手打ったので御座います。呆けた、あの冷血漢の顔が一番歪んだ瞬間を私は未だに忘れません。
「情けない御方ね。そこで茫然と立ち竦むが宜しい。私がこの状況を一変して差しあげるわ」
こう、無知で幼い私は叫んで、淑女の立場など忘れて駆け回ったので御座います。幼い私のもっと幼い頃から御家の命令に従順に生きてきた私の一喝は、なんともまぁ威力を持っていまして、結婚準備も殆ど終わっていたため、婚約破棄という事態は回避出来たので御座います。
もっとも、公害問題として認定し国がお金を差し上げなければ九条家も潰れてしまう。潰れてしまっては日本経済が上手くまわらなくなる。では支援しなければならない。しかしそれには反発を買う。だが血縁関係があれば反感する連中を抑えられるという策略が、私が泣き喚いた御爺さまには御有りになったことでしょうが。

晴れて夫婦となった私たちは初夜を迎えます。結婚式などで御会いになりましたが、二人きりで過ごす時間というのは私が彼の頬っぺたを引っ叩いた時以来でしたので、若干、気まづく私はなんと告げて良いか判らず処女らしく顔を赤らめておりました。
ちらり、と見つめた萬斎は頭を下げていました。私は指先で突きます。あらまぁ、顔をあげた萬斎はいつものように胡散臭い顔ではなく、泣きそうな表情で膨れ上がっていたのですから面白いこと。本心から自分の過失を責めて、私に感謝している顔でしたので、私はすっかり気分が良くなりました。出会った頃から萬斎は機械のように振舞い、常に完璧な詰まらない男で御座いましたから。そんな男に私がこのような顔をさせたのだということが気持ちよくて仕方なかったのです。
「あらまぁ、良いのよ。私たちはこれから先、夫婦なんだから」
調子に乗って軽口を叩くと、萬斎が私に「違う」と激を飛ばしました。私は萬斎が今から言おうとしていることが手に取るように判りました。私は彼のことを愛しておりましたので。
彼は私を愛してはおりません。いいえ、恩は深く感じ、幼い私に無垢な彼が忘れ去ってしまったような好意を抱いて下さっていたことを私は存じております。しかし、彼が女として私を愛することがないのでしょう。なんとなくですが、私はそれを理解しておりました。彼はいつも私が向ける無邪気な愛情に戸惑った顔をして、完璧な彼が崩れ去っていくにつれ、私の気持ちに答えることのない彼の気持ちが如実に浮かび上がっておりましたので。
胡散臭い中にはずいぶんと可愛らしい本心を隠しているのね、と私は彼のことをもっと好きになったのですが、どうやら彼にはそれが重荷だったようで。
恐らくで御座いますが、彼が初めて本心から頭を下げた相手に嘘をつき続ける事が萬斎には耐え切れなかったのでしょう。萬斎は告げようとしました。自分の咎を楽にしようと滑稽にも必死だったので御座います。私は彼の口を塞ぎました。唇で。
「言ってはいけないわ」
そんな一人だけ私のことを女として愛する予定もないのに楽になるおつもりなのね、と、彼は私の表情を見て御悟りになったでしょう。何も言わず舌を咥内に入れてきました。
謝罪されれば私は許すしかありません。私の愛情とはそういうものなのです。ですから、謝罪することを私は許しませんでした。貴方の良心が苦しむことを私は強いたのです。私一人だけ、許してしまって、暫くに間、苦しむなんて真っ平ごめんですわ。ああ、けれど、貴方は私が許してしまうことなんて、とっくに存じていたようですけど。まぁ、初夜なのに勃起しなかった貴方の陰茎を見て大笑いしたのは私ですから「貴方が男の方しか愛せないのは知っているは、けどしょうがないでしょう」と告げているに等しいですから。

「愛しているよ怜子」
「ふふ私もです、萬斎」

愛してはいますものね。御早く私の処女をなんとか奪って下さいませ、と囃すと萬斎は困った顔をしました。あら、可愛い、もっと困ればいいんだわ。
なんて、なんて、愛しい御方なのかしら。
貴方は愛の形が一つではないということを、ようやく御知りになったのですね。

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