宇佐美と盟 | ナノ




宇佐美は盟の背中を見つめる。鍋にじゃがいも、にんじん、鶏肉、玉ねぎを切って入れて、くつくつとお玉でかき混ぜながら煮込んでいる。小皿に汁を注いで味見をすると、納得がいかなかったので塩と胡椒で味を調え、再度、味見をして、柔和な笑みと共に鍋の蓋を閉じた。

「ごめんねお待たせして」
「良いよ。いきなり来たのはこっちだし。それより、入れて良いの? 二人きりだよ」
「ちゃんと、了承を取ったから大丈夫だよ。直ぐに帰るってメールも貰ったから」

相変わらずらぶらぶなことだと宇佐美は毒づきながら、台所の机へ視線を落とす。木目を数えるふりをしながら、盟の真っ直ぐな双眸から逃げた。
嫌味なくらい、誰かと喋るとき、真っ直ぐに人の眼を見てくるこの朴訥な視線は、後ろめたい気持ちがある人間を射抜く。誠実とは時にして、武器になるのだ。
純粋なだけではない、自分が生きている世界の凄惨な光景を熟知している人間であることを、宇佐美が知っているので、この眼差しは強すぎる。
昔、盟のことを虐めていたであろう人間も、この眼が嫌いだっただろう。露草色と濡羽色を混合した彼の家系特有の色を双眸に宿し、美しいだけが詰まったものを見せられれば、自分の醜さを隠すように、相手を罵倒するしかない。塗り重ねて更に穢く脱皮していくと気付かず。無意識を覆い隠すように、瞼を閉じて、凌辱を尽すのだ。一時の安定のため。
おそらく、出会ったタイミングが違えば、自分も彼のことを嫌いだっただろう。無視を続けるには強烈で、排除するか受け入れて幸福を得るか、その二択しか残されていない。人間味を披露された宇佐美は後者を選択した。


「料理教えて欲しくてさ」

本題に入る。
盟は飛び跳ねるように、矮躯な身体を動かし喜びの表情を浮かべた。小さい分、全身を使って他者と向き合う姿が見て取れる。嬉しそうに立ちあがって「ちょっと待っていてね」というと、台所の机と洗い場を遮るように設置されたカウンターの上に整頓され置かれている、図太いバインダーを取り出した。盟の身体には少々、大きく感じるバインダーを運び、台所の机の上に載せる。開かれた頁は律儀な彼の性格が窺える大量のメモが残されていた。

「僕のレシピなんだ。目次の頁に料理の種類が書いてあるから、知りたいの言ってくれたら、僕で良かったら教えるよ」

500種類以上の品目が並ぶ。宇佐美は取りあえず手に取ってみる。初めの方に挟んである紙は字が幼い。幼少の時から家事を担当していることを誇らしげに語っていたので字を覚えたてのものもあるのだろう。捲って行くと途中から、赤字で訂正されている個所がある。

「なんで訂正してるの?」
「あ、そ、それは」

答え辛いのか眼を泳がせ、顔を真っ赤にさせた。

「花梨くんがそっちの方が美味しそうな顔をしたから」

やっぱり好きな人が喜ぶものを作りたいからと、照れながら告げる盟の姿が宇佐美には眩しかった。どうして、そこまで尽せるのか、宇佐美からしてみれば不思議でならない。花梨は自身の友人だが、彼が盟にとってきた態度、過去を顧みると、もっと踏ん反り返って偉そうに胸を張っても良いものだ。けれど頁を捲るに連れ、訂正した跡がいくつも見える。

「僕の自己満足だよ」

驚いている表情を汲み取ったのか、盟は柔和にそう告げてくる。盟はいつも花梨になにかするときに「自己満足」だという言葉を良く使う。二人が今の様な関係性になる前からそうだ。花梨の性的欲求に付き合うのも「付き合わせてもらっている自己満足」だったし、母親の件に関しても「花梨くんが優先したいことをしてもらっている、自己満足」だった。自己満足であるなら、もっと自分の中に陶酔していれば良いのに、盟・トゥ・オーデルシュヴァングという人間はいつも現実しか見ていない。

「自己満足じゃないんじゃない」

軽い気持ちで胸の中に溜まった鬱憤を晴らすように、言語化して聞き返すと、盟は不思議そうな眼差しで暫しこちらを見たあと、数秒後に、咀嚼したようで、唇を流暢に動かした。

「自己満足だよ。僕のは。僕がなにかをするときには、いつも見返りを求めているから」
「返ってこなくても良いくせに」
「期待するのはこちらの勝手だけど、返してくれるかどうかも、向こうの勝手だから」
「それで裏切られたってならないの、アンタは」
「なるけど、それも僕の勝手だから」
「なんで我慢できるの」
「我慢じゃないよ。僕は納得しているから。全部を覚悟して行動すれば辛いなぁって思うことも少ないし、それは慣れてくる。嬉しいことがあれば反動でもっと嬉しいって気持ちが倍増する」
「マイナスからのスタートってこと?」
「何事も、期待しすぎると良いことなんてないからね。仕事をする時だってそうでしょう。頑張りに結果が比例するわけじゃない。多分、それと似ているよ。それに、ほら、僕は一度、花梨くんのためになるって言い聞かせて逃げてしまった人間だから」
「アンタは後悔していないくせに」
「自分で選んで決めたから、後悔していないよ。悔やんでも、戻ってくるものなんかないからね。なら、これからどうしようか考える方がきって良いと思う。僕にどれほどの価値があるかなんて判らないけど」

けど、あんたがしているのは仕事じゃないじゃないか。けど、あんたは一人で泣いていたじゃないか。辛いのを抱えていた時期が確かにあったじゃないか。結果がハッピーエンドならそれで良いなんて、納得できないじゃないか。そもそもハッピーエンドかどうかさえ判らないじゃないか。あんたには感情があるじゃないか。もっと我が儘になれば良いじゃないか。アンタに価値がなかったら他の人間にどれだけの価値が付随されているっていうんだ。

なんてことを宇佐美は喉元まで押し上げて飲み込む。言ってしまっても、盟は変わらぬ笑顔で、それこそ化け物のように椅子に腰かけているのだろう。この双眸は、受け入れることこそするが、自分の中に蔓延る意思を簡単に歪曲しないのだ。

「多分、僕は皆が想像するより、強欲だよ。結局、花梨くんが欲しくて、戻ってきてしまったから。彼に関しての欲求が消えることはないんだ。そのうえでの行動だよ、だから見返りを求めているんだ」

料理のレシピが重なったバインダーを置き、盟は能弁に喋った。項垂れる宇佐美の頭を優しく撫でる。花梨以外に対して、何一つ見返りを求めずに、慈愛だけで触れる手のひらの温度がいっそうのこと寂しく伝わってくる。見方を変えてしまえば、盟の花梨以外に対する行動というのは冷たいだけのようにも映ってしまう。けれど、そうではなく、まるで神様が人間を愛するみたいに行動するので、こちらの心も痛められ、癒されてしまうのだ。
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