ジルと充葉 | ナノ



手首を切った濃厚な痕跡がジルには刻まれている。彫刻のような白磁の裸体に、色を濃くして、刻まれた数十本もの線を僕はジルが寝ている間に眺める。指先でなぞり、爪でひっかく。寝息を立てて、死人のようなジルの腕だけが、生きているようだ
。手首の傷はジルが生きてきた照明の様なもので、僕はこの傷跡を見る度に、背筋から悪寒が走りぬけていき、泣きたい衝動に駆られる。
ジルは良く「充葉は泣き虫だねぇん」というが、お前のことじゃなければ、僕は殆ど泣いたことなんてないさ。
例えば、帝が記憶喪失になった時だって、怒りは湧いたが涙なんてこれっぽっちも流さなかった。
つぐみと慈雨が仲違いを起こし棺桶につぐみを埋葬するなんて事件が起きても、涙なんて流れなかった。あったのは、親としての焦慮が大部分を占めていた。
だからジルのいう「充葉は泣き虫だねぇ」という言葉は間違っている。正確には「ジル・トゥ・オーデルシュヴァングという人間が関わっているときに限り黒沼充葉は泣き虫になる」となるだろう。
お前のことが愛おしくて堪らない。手首を切り続けると言うお前の行動は僕を逃さないためには最良の手段だっただろう。賢いお前のことだ。僕が将来的にも、逃げ出せなくなる為の付箋を張っていたとしか思えない。
切り倒された身体。この世の中で、お前以上に美しい人間はいないというのに。この世で、お前以上に愛おしい人間はいないと言うのに。硬直していく身体。心肺機能が低下して、息をしなくなる。笑みだけを残し、黒く塗られた爪が身体に食い込んでいく。僕はお前の傷を見る度に、馬鹿みたいにあの日の残像を思い出すのさ。お前が、死んでいく光景を。網膜に焼きつかれたあの絶景を。熟れて死んでいく姿。産まれた時から、お前は僕を離さない。死んで、生き返り、僕を離すことはない。
けれど、勘違いしてもらっては困る。僕は別に悲観的な気持ちで、ジルの傷跡を眺めているわけではない。この傷跡はジルが僕という人間を如何に必要としているかの証であり、軟化したと思われるジルの性格が僕が死ぬことによって崩壊するということを立証することでもある。
残像は離さない。僕を。
ジルという人間から。囚われて、僕はジルを捕え返すのだ。お前という人間の感情を僕しか動かせないように、僕という人間の根本的な感情を動かせるのはジルしかいないということを、よく、覚えておくといい。
もし、僕が死にかけて、お前より先に死ぬ危機に面したとする。すると僕はお前の傷跡ごと、手首を奪って、出血多量で殺してから死んでやることにしようと一人で決めている。お前もその方が幸せだろう。僕も大好きなお前の血を被って死ねるなら、これ以上の幸福はないさ。


「愛しているよ、ジル」

未だに恥ずかしくて起きているときには面と向かっていえない科白を口にする。
愛とは死と同等の価値を持つ。


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