夜と光成 | ナノ





電車に揺られながら、俺より頭ひとつぶん高い夜の顔を眺める。
大学の部活が休みなので、久しぶりに電車を乗り継いで後輩を鍛えにいった。俺の後釜で主将になった石川がきちんと指示を飛ばしている光景をみて、ようやく溜飲が降りた。同じ胴着に身を包んでいようと、俺にとってここは過去の場所なのだと笑みが零れる。夜も比較的真面目に部活へと取り組んでいて、あの才能が埋まらず、部活という場所に根を張っている姿は感慨深いものだった。
昔と変わらず落日したあとに部活は恙無く終了した。顧問と後輩に一声かけて、寮に戻るかと鞄を背負い道場を後にしようと思っていたら、夜がひばついてきて「待ってて」と懇願してきた。特に不満もなかったので、片付けが終わるのを隅っこで見守らせてもらった。片付けしている夜の姿は母親に誉めて欲しいために見栄を張る子どもの姿と似ていた。

駅まで一緒に帰って、夜はなんの疑問も持たず、自分の家とは正反対の電車に乗った。
部活帰りの疲労した顔つきを微塵も感じさせず、藍色に宝石がつまったみたいな双眸は虚空を見詰めている。
疲れたという理由で帰宅する道は無言でいると、こいつの美しさを実感する。立っているだけで、普通の高校生とは違う。動作ひとつから精錬されており、王が搾取した調度品のようだ。筋の通った鼻に、潤い蠱惑の三日月を浮かべる唇。切れ長だが、細いわけではない双眸は笑ってしまえば睫毛で影が出来た。

この男が今日も俺を抱くのだろうか。
二日前の戯れを思い出し、顔を背ける。俺と夜は所謂、恋人同士という関係だが、夜は別に俺のことなど、恋愛感情で好きではないのだろう。陰茎が勃起するという理由だけで性欲に任せ、俺と恋人になったのだ。快楽を得ている表情でさえ美しい人間に対し簡単に自惚れるほど阿呆ではない。

誰がいったのだろう。男は性欲に溺れ、女は悲しみに溺れ、堕落するという言葉を聞いたことがある。
確か、昔の彼女が熱心にきいていたラジオの台詞だ。中学生時代、付き合い始めた当初、彼女から聴くようにお願いされた。部活で疲れた身体に鞭をうつ行為だったが、微睡みのなか、耳を澄ませた。そのラジオ内での台詞だった。翌日、俺は感想をきかれ「その通りじゃないか」と返して、彼女は激怒していた。「ロマンティックの欠片もない!」だったか。そんなこと言われても、俺がお前を好きになったのだって、顔が好みだったからだ。延長線上に性欲がないかと尋ねられれば嘘になる。さすがに口にはしなかったが、話を聞きながら、女の面倒さを噛み締めていた。
俺は良くも悪くも実直な男で、彼女から吐き出された台詞に真正面から捉えることしかできなかった。適当に会話を合わせてやれば良かったのに。今、思えば退屈な彼氏だっただろう。
しかしながら、そのラジオのDJが言っていたことは、あながち間違いではない。二回目に付き合った彼女には、寂しさに負けて浮気された。始めから部活があるのであまり会えないと伝えていたのだが、こちらの了承とあちらの了承が一致するとは限らなかった。「光成くんは一緒にいてくれないから」だったか。今は彼女の顔しか明確に思い出せない。全体図としてはが白く線の細い女だった。
涙を流しながら「私たちって本当に恋人だったの」と外国人の胸板にしがみつきながら女は告げた。女曰く、俺には隙がないらしい。弱味を見せて甘えてくれることもなかった。と、女は嗚咽を漏らした。そんなこと言われても、他人に隙など見せられない。長年染み付いた勝負の世界は骨の髄から俺に油断を与えることを良しとしない。息を飲む、たったそれだけのことで、俺は負けるのだ。久しぶりに、名も知らぬ後輩相手に負けた時も、油断と漫然が招いた結果でもあるだろう。だからなのか、簡単に気を抜き、甘えることなどできない。さらけ出してくれと懇願されても、意識をしているのではなく、習性に近く、無理な話だ。そもそも、関係というのは時間の積み重ねにより、弱くなったり強くなったり変化するものだ。付き合い恋人同士になり、二ヶ月の恋人にいったいなにを見せることを女を求めているのだろう。女とは別れるという結論に至った。一週間はそう言われた自分自身に自問自答して悩んだ。良いのだろうか? と反省して今後に生かすためだ。ただ、第三者から見て浮気をされ振られた男の憐れな姿に見えたらしい。部活の後輩や同級生たちが浮気相手に殴りかかったと聞いた時は馬鹿野郎どもが! と一発づつぶちこんでやったが、主将としてチームメイトに慕われることは悪い気はしなかった。謝らせにはいかせたし俺も謝罪した。つーか、やり方が悪いんだよお前ら。




「センパイ」

夜が覗き込む。駅に着いたらしい。俺は腕を引っ張られ電車から降りる。ぎりぎりで扉が閉まり、電車は旅立っていった。
俺は「悪いな」と軽く礼をして、歩きだした。夜は一歩後ろから甘えるように袖を引きついてくる。腕に付きまとう熱を感じながら、コイツは甘えるのが上手いといつも思う。もともと年の離れた兄弟がいるせいで、面倒見が良い自覚はあるが、夜は他の人間(今までみたどんな美しい存在より)に比べても、甘えさせてやりたくなる。撫でてやりたくなる。コイツも俺に特別甘えてくるなら、もしかして、と期待を抱き自分中心な妄想に失笑する。
出来ることなら、恋人同士として、俺もこいつに甘えられるようになりたいが、まぁ、無理だろう。夜の俺に対するものは今のところ、親を失った思春期の子どもが暴走した形と似ている。俺も年上の目線で夜に接している時が多い。
俺にどんな感情を抱いているかなんて、把握出来ないが、愛とか恋とか、そんな面倒なことじゃないだろう。残念ながら確実なことで、この均衡した関係を俺は壊せる手段を知っているが、離れていく可能性のある夜を想像して、中途半端な関係にいるという、なんとも気持ち悪い関係だ。



前の女と別れた時に得た反省をなにも生かしきれていない。
俺はお前に対していつまで経っても心をさらけ出すのが怖いんだ、夜。
始めて負けたあの時から、完全な油断をお前に入る隙を与えたくない。与えてしまった時に、俺たちの関係はなにかしろ変化するのではないだろうか。そう思う。


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