結婚しようと決めたのは、引き出しの中に終って置いたコンドームが父に見つかったと知った瞬間だ。
三十路を迎えようとしているのに、いつまで経っても実家に居座るわけにはいかないが、この家に結婚もせず腰を据えて両親の面倒を見ていくのも悪くないと考えていた時だった。
私が帰宅すると父は肩を動かし、幼い頃から見慣れた化粧で作り上げられた顔を震えた。父としても微妙な心境だったのだろう。精神は紙のように脆い癖に、たいていのことでは動じない父が、焦りを表情に浮かべていた。ぎこちない動きで部屋を後にすると、まるで私を別人だというような目線で見てきた。私はそれが悲しかったが、しょうがないことだと割り切れもした。
父に限らず私の家族は私がいつまで経っても子どもであり、いつまで経っても姉であり、いつまで経っても少女だと疑ってならない。まるで、それを当然のように思っている。
露骨なのが、三番目の弟であるレンで、レンはどれだけ歳をとっても私の前では幼子のあどけない少年の顔を見せる。
この前の深夜。ベッドで寝ていたら部屋の扉が静かに開いて寝れないことを訴えてきた。しょうがないので私は起き上がって台所まで階段を下り、ホットミルクを拵えてやった。幼稚園の頃からレンはこれを作るとすぐ寝る。高校生に上がるとさすがにミルクだけでは寝れないだろうと、アルコールを一滴だけ落としたが「いらないよ、みーちゃん」と一蹴されてしまった。レンが大人しく飲んでいるのを眺めて、彼の会話に耳を傾ける。
本当は、ホットミルクより、彼が寝れないとき私に話を聞いて欲しいのだと知っていたので大人しく聞き、赤ん坊をあやす様にベッドへ戻ることを指示する。甘えてくる、この子がとても可愛かった。だから、別に私は嫌で長女という端から見れば面倒な役目を引き受けてきたつもりはない。
ようするに、私も今の関係に甘んじていたのだ。大学を出て、就職し、激動する日々の中で、家庭の間だけで得られる変わらない今を私は受け入れ、在りもしないのに、こんな日常が一生続けば良いという妄想に浸っていた。それが、父にコンドームを発見された時に敗れてしまっただけだ。
家族が望むほど、私がこう在りたいと願うほど、私は子供でも純真でもなかった。年頃になればセックスだって興味があるし、恋だってした。
今も9歳離れた恋人がいる。さすがに三十路を手前にして処女だというのも焦りがあるし、友人の中で処女の人間などいない。仕事関係でも同じように、色恋沙汰が、周囲では勃発している。9歳離れた恋人と一年以上恋愛をして、そろそろセックスを経験しても良いだろいうとコンドームを購入したのは普通のように感じるし、寧ろ、一年も付き合ってセックスをしていない方が可笑しいのだろう。
未だに私たちが体の関係ではないのは、私が彼に「子ども過ぎるから」と歯止めを利かせていたつもりだったが、彼にしてみれば、私の方が子どもだったのだろうということが、今、ようやく分かった。
彼は見抜いていたのだろう。人の気持ちを察するのが機敏で頭が良く回る人間だ。私が、家族の前ではずっと少女で居たかったことや、私が彼と結婚する気がまるでないということを。


以前、二番目の弟で、私と血が唯一繋がっている姉弟であるつぐみに、言われたことがある。


「お父さんとお母さんみたいな関係になれる相手を求めていたら、みーちゃんはいつまで経っても結婚できないよ」


つぐみは、家族の中で私を唯一と言って良いほど少女として見なかった。寧ろ、一時期は女として威嚇されていた時期があったくらいだ。彼は自分に自信がまるでないくせに、慈雨以外に夢を見ることをけして良いこととしない。驚くくらい自分本位な人間であり、打たれ弱く、何をされれば自分が傷つくのか嫌なほど、自分自身という人間を理解している。そのせいなのか、自分に関係がある人間の感情には酷く機敏で、鋭い言葉を何の気なしに言ってくる。

「どういう意味?」
「そのまんまだよ。あんな閉塞的で幸せな関係はよっぽどのことがないと築けないし、みーちゃんは家の中にいると、いつまで経っても時が止まった女の子だ。幼い頃に読んだ、不思議の国のアリスや、ピーターパンみたいに」

御菓子を食べ終わったつぐみはそれだけを言ってリビングを後にした。当時の私は、慈雨と早く結婚したい為の威嚇攻撃だろうと軽く見ていた。けして嫌な子ではないが、切羽詰まると自分自身のブレーキをかけられない、ヒステリックな面が年を老う事に垣間見える時があったから。弱気な性格が幸いして、普段は曝け出される機会がないが、姉である私には言えるのだろう。彼が甘えている証拠だと知っていたし、こんな一面を慈雨に見せないための回避方法なのだろうと、私は特に何も考えず夕飯の下ごしらえを始めた。
けれど、今ならばつぐみの言っていたセリフが的外れでないことを理解できる。
私は、結婚するなら、両親のような関係を築き上げたいと思っていた。言い換えるなら、それは、今と変わらない生活の持続である。恋人だって、顔の造形が父に似ている。実の父に対し、性的興奮を抱いたことなどないが、心のどこかで、模倣しようと思っていたという点に関して私は言い逃れが出来ない。
だからこそ、父にコンドームを見られ、微妙そうに顔を顰める姿を見て、夢があっという間に砕け散ったのだ。
いつまでも、子どもではいられない。
夏の日に寝ている父を叩き起こして二人で縁日に出かけたこと。ピンクの大きな花柄がプリントされた浴衣を着て、父の手を引っ張って歩いた。
幼い私には八時を超えても起きていることが新鮮であった。町内会主催の小さな夏祭りは人で込み合っていた。人ごみが苦手な父は吐きそうだったが、私が波に飲まれそうになると、助けてくれて一緒に綿菓子を食べた。
花火が打ち上げられると、屋台から離れ、人気がすくない神社の鳥居で林檎飴を抓みながら花火を見て、遅れてやってきた母が、たこ焼きと焼きそば、イカ焼き、かき氷、ホルモン焼き、トロピカルジュースを持っていた為、父に欲張りすぎだと言われていた幼い日の風景が今も脳裏にはっきりと焼き付いている。あの日、私たち三人は私を真ん中にして手を繋いで帰った。お面を帰る前に買って貰ったのだが、父はお面に脅えていて、母と共に笑った。
縁日で買った金魚が死んでしまったとき、三人で落ち込んで、もう生き物は飼わないと決めたのに、十年後、母が段ボールに入れられた黒猫を拾ってきたときは、少し微妙な気分で。けれどその猫が父とあまりにも似た雰囲気を醸し出していたため、しょうがないと思った。
そんなときにはもう戻れない。



今度、今の恋人が誕生日を迎える。彼の国では成人を意味する年齢で、おそらくプロポーズされるだろう。恋人同士として交際していた時間は少ないが、もう十年以上にわたる付き合いである。拒絶する理由など、もう既にない。誰かを模倣するのではなく、私は、私にしかない幸せを追い求めなければならない。
人一倍、気と見栄を張る彼は、笑ってしまうくらいロマンチックな舞台を用意して私にプロポーズしてくる。その時、私はゆっくりと首を縦に振り、差し出された指輪を受け取るだろう。



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