帰宅して早々、扉を開けるとテレビの音とセンパイの煩い怒鳴り声が聞こえた。昂奮しているのか、こちらが帰宅したことなど気づいていない
テレビはオリンピックのサッカー中継を映しており、2−0で日本がエジプト相手に勝っていた。
後半33分。5の背番号を抱える選手がダイビングヘッドでゴールにゴールを捻じ込む。逆サイドから上がったボールの勢いを生かしての追加点に会場も、センパイも沸いていた。
ビールを片手にゴールの瞬間をセンパイは一人で楽しんでいる。ツマミはコンビニで買ったチーズ鱈に柿の種。どうやら、アイスも食べたらしい。パピコが床の上に転がっていた。机の上には飲み干した空き缶。何本飲んだんだ。指で数えてみたら五つ空いている。明らかに飲みすぎだ。つーか、きたねぇ。塵はゴミ箱に捨てろよ、ゴミ箱!
しかし、帰宅して五分ほど経過するのにも関わらず、この恋人は、彼氏が一か月を超える長期遠征のライブから帰宅したという現実に気づいていない。ゴールの余韻を味わうように、ライブ中継で大きな独り言を漏らしている。酒と試合に勝っているせいで、陽気なのだろう。鼻歌まで無駄に上手い。セレクトは団子三兄弟。謎すぎる。せめて、俺の曲とかにしろよ。


「センパイ!」
「うわっ! るい! 帰ったのなら言えよ! おっかえりぃ――!」


我慢できなくなり後ろから話しかける。本気で気づいていなかったみたいだ。握りしめていたビール缶を零しかけて焦っている。間一髪の所で落とさなかったのに安堵し、オーバーリアクションでこちらに返す。

「俺、今日帰るって言ってたよね」
「ああ、聞いてたけど。それがどうしたってんだよ」
「聞いてたなら出迎えとか、なかったの?」
「出迎えって、餓鬼かよ、テメェは。それより、見てたか? 二点目だぞ! これはもう、44年ぶりのベストフォー進出が見えてきたんじゃないですかね。ウェーイ!」


一人で良くこれだけ騒げるものだ。ハイタッチを求めてきていたのを無視したら、足を叩かれた。いてぇ。酔っぱらったセンパイって力の加減忘れてんだよな。そりゃぁ合コン行っても、飲み会行っても、オンナノコから嫌われるわけだよ。
あと、出迎えのこと「それより」で済ませんな。澄の野郎に自慢してきた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか。
駅で別れる前に「今日は一か月ぶりだなぁ、お前恋人と。いちゃいちゃすんのかよ」って僻み根性、夜露死苦で言ってきたから、散々自慢して、俺も一か月ぶりに合うこの人との会話を楽しみにしていたっていうのに。扉を開けたらこの結果。
そりぁ、判らなくもない。センパイは意外ってほど意外ではない……か。男子なんてスポーツ観戦が好きなものだ。オリンピックやワールドカップという国際大会であれば、メディアの騒ぎ用も加算され、普段見ていない奴でも、オリンピック一色に染まりあげられる。だから、普段から、野球のナイターや、ワールドカップの予選をご飯を食べながら見ているセンパイが騒がない訳がない。
今日は44年ぶりの準決勝進出をかけた試合だし、俺もそれなりに楽しみにしていたが、せめて恋人が帰ってきたら気付いて「おかえり」くらい言えよ。言っておくけど、俺、鍵使う前に玄関のチャイム鳴らしたんだからな。こいつ無視しやがったけど。


「シャァァァァ! 追い打ちのさんてんめぇぇぇぇぇ!」

再びゴールが決まったらしい。センパイの視界は先ほどからテレビしか捉えてない。やっべ、ムカツク。また浮気してやろうか。今度、誘われていた飲み会は断るつもりだったけど、絶対、行ってやる。せいぜい、不安になって俺のありがたさを実感しろよ。テレビ、ぶち壊して今から、銃でも持ってサッカースタジアムを乱射して回りたい気分になっちまうだろう。

「せんぱい、俺、風呂入ってくる」
「お――行ってこい」

心ここにあらずな返事をして、風呂に送り出される。湯船にお湯は当然ない。沸かすのも面倒なので、シャワーだけで済まし、蛇口を捻る。風呂から出ると試合が終了したセンパイは次のバトミントンに備えるべき、飲み物の準備をいそいそと始めている。

「俺、もう寝るけど」
「わかった。じゃあ、静かに見る」

イアフォンを取り出して、テレビにセットした。普通、ここは一緒に寝るだろう? どうせ、明日のニュースでたくさん映し出されるのだから。いくら、異例の決勝進出のダブルスだけど、寝てもいい。ここは、大人しく酒臭い身体でも俺の腕に入ってきて、狭苦しいベッドの中で二人して寝るべきなのに。後ろから一発殴って暴力で訴えようかという気にもなったが、喧嘩する余力が残ってない。こんなことなら、明日の便で帰ってくるんだった。
諦めて大人しくベッドに入る。一応、考慮してくれたのだろう。照明は消えていて、テレビの明かりだけが照らしている。センパイは今、ニュースを見ていて、飲み終わったビールの変わりに牛乳を飲んでいた。良く、飲む気になれたな。酒もそうだけど、太ったら嫌いになるぞ。いや、太って誰も友達いなくなったとかだったら別だけど。今の年になって、んなことは期待できねぇだろう。
眠ったふりをして、横になりセンパイの後姿をじぃっと眺めている。寝る気には正直なれない。後ろから見ていて、跳ねる背中とか可愛い。いわねぇけど。言ってはやらねぇけど。試合を見て満足なのか、腕を振り上げている姿とか。ニュースの解説に頷いている姿とか。馬鹿丸出し。
一時間くらい眺めていただろうか。女子ダブルスの試合がついに始まって、センパイは握りこぶしを作りながら声を必死に抑えて見ていたのだが、突然、テレビが消える。俺を放置してまで見ていたのだから、飽きたわけないだろうが、のそのそと、俺を起こさないよう警戒しながらこっちに近づいてくる。顔が見れないのは、残念だが、思惑が判らないまま、俺は薄く瞼を閉じる。
頬っぺたにセンパイの冷たい指先が当たる。

「寝てるな」

起きてるよ。狸寝入りくらい見抜けろ。間抜け。

「ふふ」

あ、顔が近くにあるのが判る。アルコールの臭い息。センパイのさらさらした髪の毛。笑っているのだろう。くすくすという振動がベッドから伝わる。

「おかえり、るい」


頭を撫でている。俺したことがふて寝してしまったので、まだ生乾きだ。気持ち悪い手触りだろうに、センパイは気にならないらしく、嬉しそうに、愛しそうに俺を撫でる。

「寂しかったんだぞ、この野郎。一か月も家、空けやがって」

なんでそれ帰ってきてすぐに言ってくれねぇんだよ。オリンピックがまるで俺を待っている間の暇潰しみたいな扱いを後でしやがって。いっぱい飲んでいた酒も、空元気じゃないかって、妙な期待を抱いてしまって、けど、きっとそれはその通りで。

「センパイ」

起き上がって頭を撫でるセンパイの手を掴む。ベッドに引き摺りこんで、押し倒す。暗闇の中でも判る。見慣れた顔だ。センパイは顔を真っ赤に紅潮させて、双眸を涙で濡らしていた。
下で「狸寝入りしてやがったな、コンチクショウ!」とか、煩く喚いているが、知らねぇ。判りにくい可愛さ発揮させやがって。しょうがねぇから、今回は、女子だけの飲み会に顔を出すのは勘弁しておいてやるよ。
暴れるセンパイを押さえつけて、唇を塞ぐようにキスをした。







(たった一つの恋)


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