仕事仲間に良く言われる。
「爽太はいつも楽しそうだよね」
勝手な口が良く動く。酒の抓みにされる話だが、人間、酔ったときほど本音というのは吐露しやすいものだ。
確かに、ネルに好かれる為に仕事をしているようなものだし、好きな声を出せる声帯は声優という特殊な立ち位置の仕事では好かれるのだろう。
実際、主演声優が風邪で喉を傷めてしまった時、科白をあてたことがある。その時は随分、恨み言を告げられたものだ。別に俺は、ネル以外にどんな言葉をかけられても気にしないのだが、当時の仕事仲間である人気声優の一人が「おっかねぇ、怒らすなよ。まぁ、気持ちは判らなくもないが」と言っていたので、周囲を脅えさすほど、その声優が俺へ向けた罵詈像音は痛々しい物だったのだろう。

既に忘れてしまったが。





「爽ちゃん」
「ネル……酒飲むか?」
「もう夜遅いしお茶でいいよ」
「じゃあ、紅茶でも淹れてくる」
「ネルが淹れるから爽ちゃんは座ってなよ」

すっとネルは立ち上がって俺の横を霞める。皆が出て行った家の中はネルと二人きりで、静かだ。瞼を閉じると、忙しない日々が走馬灯のように過ぎていく。
始め、子どもなんてネルを繋ぎとめるための道具としてしか捉えていなかったが、生まれると中々可愛らしいものだ。
癇癪を起していたと思ったら、次の瞬間、笑っていたり。世話はかかるが、その分、嫌でも愛してしまうというものだろう。子どもが旅立っていった今は、大きな仕事を一つやり終えた気分だ。あんなの、手間暇をかけたくせに、勝手に巣立っていくのだから。どこまでも我儘なのだろう。子どもという生き物は。

「爽ちゃん、はいこれ」
「どうも」

アンティークの花柄がプリントされたコップを受け取り、唇に当てる。ジンジャーティーらしく、生姜の味が体中に伝わって温かくなっていく。ネルらしいセレクトだ。そういえば、これを寝れない時に飲むのがネルの日課になっていた時期があって、寝られないと泣き喚く子どもに飲ましたものだ。子どもにとってジンジャーティーなんてもの、不味いお茶でしかない。
秋嶺は澄ました顔で飲んで俺たちの前で吐いてしまった。玉緒は「私の前世は紅茶くらい軽く飲み干していたわ」と言いながら堂々と紅茶を啜っていた。聡は匂いを嗅いだあと「臭いからいらない」と一蹴したものだ。まだ彼らが中学生に上がる前の出来事。随分と、懐かしい記憶。その後、甘い蜂蜜入りのホットミルクを子どもたちに俺は出した。夜中にそんな甘い物と、頭の堅いネルはちょっと渋ってはいたが、ごくごくと飲み干す姿を見て、何も言わなくなった。
ネルはそれ以来、ジンジャーティーを子どもに出すのは止めてしまった。今の子どもたちなら黙ってごくごくと飲み干すだろうが。幼い舌では受け入れられなかったのだ。無理もない。
俺は好きだ。ネルから出されるもの、なんだって好きだが。
一緒に居て気づいたが、ネルは意思が強いだけあって、頑固だ。自分の間違いを認められる人だけど、時間を要するので、子どものことでは対立もした。ネルは俺が対立する様子を楽しんでいるように見えた。
だから従ったというわけではない。
俺も人の子でも、人の親であったというだけだ。子どもに関することになると、納得するまで話し合って結論を決める。譲れないところは、互いに一歩下がって考えてみる。そうすると上手く纏まる。俺も、話し合うのが楽しかった。娯楽や快楽ではない、人生というものに誇りを持っている楽しさだ。


「爽ちゃん、なに考えてるの?」
「昔のことを思い出していた」


ことん。
硝子の机にコップが置かれ、ソファーに凭れ掛る俺にネルが近づく。長い睫毛が俺の前でばさばさ揺れている。いつまで経っても老いない。俺の光は今日も美しい。

「昔ってどれくらい」
「子どもが小さい頃」
「奇遇だね。ネルも同じこと考えてた」

生姜の苦みを帯びた唇が近づく。あ、珍しい。唇が触れ、ゆっくりと離れていき、笑う。ジンジャーティーを指さすと、その通りだと頷いた。
今では馬鹿みたいな思い出だ。さすがのこの場で盛り出そうという気にはならない。セックスをするより、寄り添っている快楽があると教えてくれたのは他でもない、今、俺に寄り添う男だ。

「俺はさ、ネル」
「なに、爽ちゃん?」
「ネルと結婚できてよかったよ」


どこまでも率直な言葉で返す。まどろっこしい舞台上の科白はいらない。
「爽太はいつも楽しそうだよね」
確かに、仕事仲間がいう通りだ。俺は「いつも楽しい」ということをネルの傍に居ることにより、知ったのだ。仕事だけが、人生の生甲斐ではない。正直な話、仕事は今でも、そんなに楽しくない。他の声優を憧れる人間にとって俺のような存在がいれば、殴り殺したくなるだろうが、挑んでくればいい。俺はしょうがないことだと、嘲笑うのだろう。才能があるのだから生かすのが仕事というものだ。夢のある仕事を現実しか見ていない人間が行っていてもしょうがない。どうせ、職になった瞬間、夢は醒め、現実へとなるのだから。
俺も幸せは、黒沼ネルを手に入れたことだ。やり方は、正攻法とは言えない、卑怯なものだが。そんな甘いこと言っていられない。当時の俺は若さと熱愛に溢れ、自分をコントロール術など知らなかった。同時に必死だった。死にもの狂いで手に入れたものこそ価値があると、自身の行為を正当化しておこう。



「ネル?」

俺の言葉を聞いてから反応がなかったネルを見ると顔を手のひらで覆い隠していた。
可笑しい、いつものネルだったら「ネルもに決まってんじゃん!」と胸を張って言い返してくるのに。
どうしたの? 尋ねる意味合いで腕を突く。

「も――爽ちゃん、反則!」
「反則か?」
「反則だよぉ、ネルも好き! 爽ちゃんのこと愛してるよ。結婚できて良かった」


苦しいくらい抱きしめられて「爽ちゃんってネルが言って欲しい言葉とかストレートに打ち込んでくるんだもん」と言われた。
なんだ、今日はジンジャーティーを飲んで、眉を僅かに下げていたので、やはり疲れていたのかと、察し「俺も大好きだよ、ネル」と囁き返した。真っ赤になったネルは可愛い。昔はカッコいいだけだったのに。
たまに二人でこうして感傷に浸るのも悪くない。
ゆっくり休憩したら、明日もまた「楽しい」と人から言われる人生を頑張ることが出来るのだから。



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