「猛暑は嫌いですか」


蝉の死骸を集めていたら、頭上から肉声が降ってきた。汗を拭いながら振り替えると、かつて愛した人間がにっこりと柔和な笑みを漏らしながら立っていた。白いワンピース。細い足がさらけ出されているが、病的なほどに白い。骨に皮膚がついたようだ。病人のそれと似ている。頭には麦わら帽子を被り、揺れるスカートを整った古傷だらけの手のひらで押さえていた。白いワンピースが皮膚を写し出し、まるで透明人間が立っているようだった。


「どうして、こんな所にいるの」
「貴方こそ、どうして、ここに?」

街路樹が立ち並ぶ閑静な住宅街は彼と始めて会った場所だった。


「死骸を集めていたんだよ」

袋に詰まった死骸を見せる。蠢く蠱惑。夏の風物詩である蝉から、甲虫。猫、犬、ゴキブリ、人間、様々なものが切り刻まれて入っていた。


「黒くてなにが入っているか分かりませんね」
「様々な色が混じっただけさ」
「どうして集めているんですか」


立っていた彼が座り込む。女特有の甘い香りがしない。かといって男特有の汗臭さも。彼は髪の毛を耳にかけ、俺を見た。硝子玉を詰め込んだ翡翠の双眸が俺を捉える。ラピスラズリのようにくるくる輝き、袋に触った。


「ぐちょぐちょ」
「死骸だからね。数日前のもあるし」
「なぜ」
「今日の君は質問攻めだ」

「今日は貴方に興味があるの、駄目?」


グロスを塗った艶やかな脣が動く。駄目なわけがないじゃないか、俺は腕を伸ばし彼に口づけた。柔らかい脣から、桜のぬるま湯さが感じられて奥に詰まる。

「質問に答えてあげる」
「キスひとつで答えてくれるなんて」
「桜だから仕方ないさ」


俺が笑うと彼も笑った。
立ち上がり彼を引っ張る。アスファルトが続く住宅街を抜け、農道に変わる。田園で埋め尽くされた景色のなかに、赤い柱が立ち並び、俺はそこを潜る。寂れた社。幼少時代、よく祖父と共に訪れた場所だ。虫取を早朝からこの場所でした。茹だるような夏の猛暑も、苦ではなかった時代の話。

「死骸を集めるのはここに帰ってこれるようにするためさ」
「ここでいいの?」
「ここで良いんだ」
「貴方の家じゃない」
「家に帰ったところで誰も愛してはくれない。俺だって馬鹿じゃない。本当は祖父が俺をどう思っているか、なんて分かっているさ」


謝罪だってあの場を上手く押さえる手段に過ぎない。損得であの人が残酷なほど冷静な判断が出来ることを俺は嫌なほど知っていた。抱き締められた両腕に昔のような熱は感じられない。


「だから、ここ」
「そう、思い出は優しい。残酷なくらい」
「本当は家に帰りたいくせに」
「俺を愛してくれる家ならね。見えない牢獄に囲われた場所なんかにね」

自嘲気味に吐露する。なにがあったのか、彼は尋ねなかった。出会った頃からそうだ。余計なことは聞かない。聞いて欲しいことすら、彼は声に出さない。


「逃げているんだね」

そのくせ、残酷なくらい優しい声色で真実を吐き出してくる。誰かの猿真似なのかと俺が問うと、きっと彼はにこりと笑うだけなのだろう。


「逃げていちゃ駄目? 桜に関係あるの」
「関係ないね」
「なら、放っておいたら。俺だって構われたいわけじゃない」
「無視すると悲しいくせに。思い出に浸るほど」


違う!
否定する前に彼は腕を伸ばし俺の頬を包み込む。キスするみたいに、引き寄せると、指先を首にあて締め上げてきた。非力な手首が埋まっていく。
咄嗟に腰に巻き付けていたナイフを取り出し、彼の手首を切断する。ぐしゃり、真っ赤な血が模様を描いて飛び散ったというのに、彼は菩薩のような笑みを絶やさなかった。


「逃げているだけの弱虫」
「うるさい!」
「貴方の味方は誰もいない。ハイネくんは貴方を殺しに行く、スオウくんは貴方の心を殺す、貴方の友人は貴方に興味すら抱かない、貴方の祖父はそれらすべてを兼ね備えている」
「違う! じいさんは俺を受け入れてくれた。じいさんは俺、を認めてくれたはずだ」
「そうじゃないってわかったから、逃げてきたくせに」


彼は俺に飛んでいった手首を差し出した。他の死骸より輝いている美しい手首を。手首を掴むと、俺はどこに行かなければいけないのか、理解していたのに、自分自身についた嘘を護るみたいに、手首を掴んだ。
暗転。
真っ赤な血液が黒に染まる。











「鋭二」



肩を揺すられ、目が覚める。
夢だったのかと、夢のなかでさえ俺の名前を一度も呼んでくれなかった彼の薄い胸板を思いだし泣きたくなった。


「じいさん」
「起きて、しっかりしなさい。朝なんだから」
「はい」


朝食を箸で掴み返事をする。鮭の塩焼きは血の味に似ている。白米は泥になる。粘土を詰め込まれているみたいだ。
ネクタイを首もとまで締め上げる作業はいつもじいさんがする。穢いものを覆い隠すように。汚点をみないように。優しく、優しく。

俺は知っている。
じいさんが貧乏だった過去を思いだし、脅えていることを。
じいさんが初恋の人に貶されるのを、怖れていることを。
じいさんが俺を隠しておきたいことを。夢のなかで桜が言っていた通りだ。俺は逃げている。無垢にじいさんの愛を浴びていた頃を思い出しながら。


「鋭二、朝の人間というのは人生の縮図だ。しっかりと、猛暑に負けず背筋を伸ばし、仕事をしてきなさい」


ネクタイを絞め終わると背中を叩かれる。紅葉模様に色付いた背筋。てのひらのあか。


「返事は」
「はい、じいさん」
「良い返事だ。頑張ってきなさい。夕飯はお前の大好物の、オムライスだから」


何年前の話をしているんだ。今の俺を理解しようとせず、美徳を押し付け、正しさを埋め込む。注射器で自分好みの人形をじいさんは作っている。道徳を俺に判らそうとする。馬鹿みたいだろう。


「行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」


鞄を渡され、張りぼての家族が笑う。皺くちゃのばあさん。じいさんは俺が出かけるのを必ず見送ってから出社する。二人の間には常に掌一つぶんの隙間。

扉を開けると初夏の日差しが殺人的に降り注ぐ。アスファルトと窓ガラスに反射して、目を背ける。
足を踏み込むと骨が焼ける。
ああ、桜。
君の質問に一つ答えていなかった。
猛暑は嫌いだよ。
背筋を強制的に伸ばされ、死にたくなるからさ。





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