階段を登って行くと街灯の下に虫の死骸が転がっていた。朝焼けが眩しく、焦らされるような暑さの中、触覚を動かし虫は残り幾許もない命を謳歌していた。人間でいえば、過呼吸に陥っている状態に酷く似ている。俺は茹だる様な暑さの苛立ちをぶつけるように、虫を踏むつけ部屋に戻った。
アパートの扉を開ける。誰もいない朝靄の清鑑な雰囲気を僅かばかり保持している部屋。幼少の時から住み慣れた家とは違う。沸騰する湯気も、フライパンで油を炒める音も聞こえてこない。鞄をクローゼットにかけると、ベッドに腰掛ける。風呂に入ってしまわなければいけないが、夜勤明けは身体に負担がかかる。一時間くらい仮眠してからでも良いだろうという甘えを払拭して、風呂場へと向かう。
洗面台を見つめると、歯ブラシが二本、趣味じゃない青色のタオルがかかっている。今、付き合っている恋人の所有物だ。他にも、本棚に彼が置いていった小説が数冊ある。
そろそろか。
裸になり、洗濯機に服を詰め込むと、風呂に入る。恋人の物が増えてくると、そろそろ別れる頃合いだ。住み着いてしまうと、所有した気になる。物とはマーキングと同じなのだ。
その瞬間から、情熱や興味が薄れてしまう。人間も物も同じだ。恋人同士なんて、ここだけ会うからと思うからときめきは続く。薄い逢瀬だと理解しているから、もっと会いたいと思う。それが、無くなってしまえば、恋人同士の関係なんて脆く崩れていく。もっとも、平凡な日常をその人間と味わえるというのならまた話しは別なのだが。今のところ、俺には、判らない気持ちだ。恋慕を抜きにして考えるのであれば、少し冷めた、でも切れにくい関係になれる可能性もあるのだが。
身体の付き合いを持ってしまったらもう駄目だな。
蛇口を捻りシャワーを止める。髪の毛を掻き上げ、雫を風呂場に飛ばすと、扉をあけて、バスタオルで拭く。気だるい身体をふら付かせ、目についた歯ブラシに苛立つ。下着だけ身につけ、ベッドに寝転ぶ。瞼を閉じるだけで寝ることが出来る。人肌がないのが残念だ。
脳裏を支配したのは、踏みつけた虫の姿。死骸。恋人と俺の関係はまさにあれだ。俺は踏みつける側。死んでいる恋人。階段に寝転んでいなければ助けてやったというのに。唾棄するしか無かっただろう。
以前、誰だったか。祐樹か、ネルか、立夏か、慈雨か。そんなこと忘れたが俺に尋ねてきた。
愛することの重大性。
幸せになった報告。
皆が、皆、報告していく。俺だけだ。当たり前のありふれた日常を愛することなど出来ず、水の中にいて、いらない塵と判断すると、すぐに、踏みつぶしてしまう生活を送っているのは。



「一人に戻りたくないから、ずっと一人なんでしょう」




日常を愛することが出来るようになるまで、俺はきっと一人で死ぬのだろう。








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