ひい祖母さんの湿布の鼻にくる臭いや埃を被った太陽の光を知らない陰湿な雰囲気が好きだ。手のひらは皺だらけ。指先で触れると骨が浮き出てきているのに、皮膚が伸び、宛らミイラのようだ。手の臭いを嗅ぐと排出物と油の臭い。常に持っているクレヨンの香り。ひい祖母さんの臭いは俺と似ている。どうしようもない、世界と流れている時間の音から沸き出すもの。そのくせ、皮膚は生きている時間だけの経験論を蓄えているので、俺より利発で優れている。ひい祖母さんの手に俺を押し当てると、俺は自分の小ささを知るけど惨めにはならない。

「ひい祖母さんはすごい」
「なにがだ。別に普通だ。場合によると、私は他より劣っているらしいぞ」
「誰がそんなこと」
「ネリエルとか、ネリエルとか、まぁ、色々だ」
「ひい祖父さんがそんなこと言うの」
「言う。私は出来ないから奴に保護されているらしい、が、勝手に言わせておけば良い」


ひい祖母さんはお絵描きセットから油性マーカを取り出すと俺の手に呪文のような言葉を綴る。綴られた言葉の間に点描で表現された花や鳥、自然界の生物が粒子の世界で息をしていた。ひい祖母さんの世界は不思議だけど、俺はどういう訳かこの世界に住まう生物の意味を昔から理解することが出来た。この、見るからに凄惨な光景を百鬼夜行のように綴った絵は励ましを意味する。理解出来ない人間が見ても、首を傾げるだけだが。


「言いたい奴には言わせておけ。それを聞いたところで私には関係ない。私の世界に関係ない。私が私なんだから、他に何を言われようと。追従する必要はない。だって真宵、私は気づいた」
「なに、に?」
「ジルが出ていって、ノルが出ていって、ネネが出ていって、トラが出ていって、最後にディ・ロイも出ていってしまう。だけど、ネリエルだけは私と共にいた。」
「夫婦だから」
「夫婦でも簡単に千切れる奴らはバラバラになる。けど、私たちはバラバラにならなかった。私はあいつに保護されている。私からすれば馬鹿にされた行為。私を踏みにじった」
「なのに一緒にいるんだ」
「ああ。私は結局あいつと一緒にいる。もう憎くもなければ離れようとも思わない。私はあいつに骨を拾わせてやりたい」
「どうして?」
「さぁ、愛しているからじゃないだろうか」

ひい祖母さんは俺の腕から遠ざかり、一枚のスケッチブックを強引に破り捨てる。白い神にひい祖父さんだと思われるシルエットを書き綴る。


「私がまだ若い時に見ていた姿。私のなかにいたネリエルの肖像。それは輪郭した取り上げていない。私でなくても、お前であったって変わらない。付き合いが浅い間、他者を理解しようとしない間、神様だと遠ざけた結果、私は輪郭しか捕らえていなかった」

ひい祖母さんは一区切りするとお茶をすすり、点描でひい祖父さんを描いていく。

「今はこれ。私はネリエルの中を見るようになった。アイツはおそろしく自分勝手で、私が思っているより不器用で小さくて愛を言えない、認めない人間だった。だから、私は干からびた腕が骨だけになったとき、拾わせてやりたいと思った。死に際にあいつを見ながら死んでいくのも悪くないと思ったんだ」


ひい祖母さんはそう言って黙々と俺の腕に点描を加える作業に戻った。不器用で下手くそな文字で書かれたネリエルという字は俺とそっくりで、ゴミ箱に捨てられた絵をひい祖父さんが見たら、悪ふざけだと言って溜め息をつくだろう。
俺は話を聞きながら、だから、俺もハリーの傍にいるのだろうか、と思った。あいつも不器用で頑張り屋さんで、愛情を素直に言えなくて、意外とから回って必死になっている奴だと気づいた。優雅な白鳥がばた足をしてもがいている。俺は昔、あいつに劣等感を抱いて仕方なかったけど、今考えればあいつも俺に劣等感とか一声で言い表せる感情を持っていたに違いないということが分かる。暢気なだけでは人間は生きていけない。
よくハリーの周りに居る女の子が言っていた「ハリー様は孤独な方なの、孤独な王様なの。だからこそ、私たちは惹かれてやまないの」と。
俺を孤独に追いやったのは紛れもなくハリーだけど、ハリーを孤独にして行ったのだって、俺に違いないのだろう。
そうして、ひい祖母さんを孤独に追いやったのはひい祖父さんに違いないけど、ひい祖父さんを孤独に追いやった原因の一つにひい祖母さんという人間が関わっているのだろう。
中身を捉えず、輪郭だけで、誰かに苛立ってしまうのは、若さゆえなのだろうか。ひい祖母さんは時が止まったような人だけど、この人の中でだって、点描のような粒子が驚くほどあり、細胞のように入れ替わっているのだ。
けれど、それを知っている人はあまりにも少ない。ひい祖父さんだって知りはしない。俺はこの二人の感情が、ちょっとでも交差して、きっと、今、誰よりも孤独を集めてしまったひい祖父さんが、ひい祖母さんの愛というものに気付ければ良いと思う。人間は地位だけでは生きていけない。人間は強引に押しつけたものだけでは、互いの傍に居ることを選択することなど出来ない。
俺は立ち上がって、ひい祖母さんがゴミ箱に捨てて皺くちゃになった紙を引き延ばして、ハートマークを描いた。愛情が、伝わればいいのに。誰も、彼も、ひい祖父さんを愛しているということが、ゆっくりと、あの人に伝わって行けば良い。俺は引き延ばしたそれを冷蔵庫に貼っておいた。きっと謎の暗号にひい祖父さんは頭を傾げるだろうけど。
俺はそのままひい祖母さんと別れた。
自宅に帰り、寂しそうに本を読んでいたハリーの顔を見る。相変わらず、むかつくくらい、俺と似てなくて整っている。苛立つ。けど、俺を見るときのハリーはとても愛おしそうに微笑む。嬉しい。俺は珍しく、ハリーの胸に飛び込んだ。ハリーは恋を知らない少年のように慌てている。澄ました顔が台無しになって、俺はよくひい祖母さんにされるように、脇腹を擽ってやる。俺のように、口を開けて笑わない。

「俺、お前が口を開いて笑っている顔の方が好きだ」

ハリーは可笑しい奴だ。けど、可笑しい奴だから、俺はきっと傍にいるんだろう。



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