小学生の頃、運動をできない奴が好きではなかった。損するからだ。体育の時間、同じチームを組まされて、プレイをすると、そいつは必ず失敗する。団体競技はこれだから嫌なんだと、唾を吐く。
スオウたちを遊んでいる時は良い。俺たちの友達は運動ができる奴以外、いないし、それにあれは遊びだ。遊びではどんなミスも許されるが、授業となると勝手が違ってくる。
本気でやれよ! 
戯れるなよ!
失敗したからって、笑っていられるようなのは本気じゃない。
一度、これで、ハリーと喧嘩したことがある。真宵と偶々、同じグループに配属され何回か続けて真宵がミスをした。競技はバレーで真宵の前にボールが三回ほど落ちた。サーブは軽い物だったから、捕れるはずのボールだ。

「なんで捕らねぇんだよ! 今のだったら簡単に捕れるだろう」

多少の苛立ちを孕んだ声だった。まだ活発だった真宵は脅えていて、言葉を発しなかった。俺は自分の意見が言えないことにも、苛立ちを抱き、その後、球技中は真宵の存在を無視した。真宵の傍にボールが来れば先回りして奪い取った。俺にはそれだけの運動神経が備わっていた。



「出来ない人間を嘲笑ってそんなに楽しいかい?」

ハリーからそんな声色の言葉を聞いたのは初めてで俺は喉を詰まらせた。掃除から教室への帰路だった。「帰りの会」がすでに始まっているので廊下は静かだ。俺を射抜くハリーの瞳孔だけが、胸に刺さる。普段、冗談ばかり言って軽く流す人間の欠片も見えない。

「はぁ、別に嘲笑ってなんかないけど」
「翼がそう思ってるのなら良いけど。それに真宵を巻き込まないでくれるかな?」
「ああ、体育のこと怒ってんのかよ? しょうがねぇじゃん。俺だって真宵のこと嫌いじゃねぇけど、あいつ、使えねぇんだもん」

平気で俺はそれを述べた。
ハリーは俺を蹂躙したい気持ちを押し付けるかのように、深いため息を吐き出した。それはこの世には言葉が通じない人間がいるというのを判らせるための溜息だ。他より利発な子供であったハリーは何も言わず廊下を通り抜けて行った。俺の中に残るのは衝動といら立ち。










「でさぁ、信じられなくねぇ」

帰宅して早々、家で本を読んでいた親父に話した。母さんが初と買い物に行っていていなかったからだ。
その日は珍しく仕事が休みで、母さんにかけられた伊達眼鏡を静かにおろし、本を机の上に置いた。
寝ころんでいた俺の双肩を手で掴み起き上がらせる。

「翼は、自分が出来ないことを穂積にこなされるとどういう気持ちになる」
「え? そんなの、ムカツクに決まってんじゃん。いつか、俺が倒してやる!」
「そう……ねぇ、翼。けど、穂積はもしかしたらそれを、馬鹿だと笑うかも知れない。罵るかも知れない。お前は出来ないから、もうしなくてもいい。どうしてそれくらいのことが出来ないのか。お前は一生、俺を倒すことなんかできないよって」

親父にそれを言われて俺は思わず泣いてしまいそうになった。兄のことはコンプレックスの塊で刺激されると弱い。現実を突き立てられたみたいで。

「翼が言ってのは同じことだよ。自分が出来るものを他の人が出来ないからって馬鹿にする。それって、なんて残酷なんだろうね」

いつも優しい親父の口から吐き出された真実に俺は涙を堪えることができなかった。恰好悪いってわかっているのに。制御できない気持ちは溢れてくる。親父は俯く俺の顔を両手で上にあげると双眸を見つめて言う。

「翼の、鈍い所は魅力的だと思う。それは強さだ。世の中を生きていく上で鈍い方が生きやすいに決まっている。他人を踏みつぶしても、気づかないような人間になれる。けど、そんな人間はね、全員、優しくないんだよ」
「やさ、しっく?」
「俺は翼に、優しい人間になってほしい。他人の傍にいらるような。弱者を踏みつぶすことを良しとしないような。それは、辛いことだけど、俺は、翼にそういう人間になって欲しいんだ」
「ならないと嫌いになる?」
「ならないよ。どんな翼でも父さんも母さんも愛しているから」



親父は俺を抱きしめて、俺は久しぶりに誰かの胸の中で泣いた。悲しかったからじゃない。自分自身が情けなかったからだ。忸怩でいっぱいになる。誰かを思いやれなかった自分が。八つ当たりした自分が。自分しか見ていなかったという現実が。
翌日、真宵に昨日のことを謝罪すると、真宵は「別にいい気にしてねぇから」と言ってハリーの後ろに隠れた。ハリ―は満足そうに笑う。言っておくけど俺はお前には謝るつもりはねぇぞ、ブラコンが。


けど、今は、ふと、思う。
あの時、親父に言われた科白をスオウにも伝えていればって。スオウは間違いなく強い人間だ。他者を淘汰することに慣れている。だけど、その強さってあいつが努力して培ってきたものが多いんだ。楽しいことしか喋ってこなかったから、こんな、ことにも気づかなかった。言えなかった。
後悔……――している。どうしようもねぇことだけど。もしかしたら、スオウをあそこまで追い詰める結果にならなかったかも知れねぇって。
やっぱり、俺はさ、あいつのことが大好きなんだよ。
だから、偶に一人でこんな後悔して、今からでも遅くねぇかなぁ、とか、逆に今言ったら傷つけるだけかなぁ、とか。とにかく、無理ばっかりすんなよって、俺はあいつに言ってやりてぇのに。


「翼ぁ――今日、初ったら酷いんだよ」
「あ――はいはいはい」

お前が間抜けな話ばっかりするから、言えねぇだろう! もっと、汚いところ、見せて、こいよ。俺も、見せる、から。情けねぇところって全然お互い治らねぇよな。



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