梅雨に入り連日雨ばかり続く。こうも雨ばかりだと気が滅入ってしまいそうになる。黒沼桜は空を見つめながら、そんなことを一人思った。
珍しく一人で留守番をする。母親は父親と妹を連れて買い物へ。スオウは友達とバスケをしに。祖父母は温泉旅行に出かけていた。
ハイネの用事は知らないが、雨の日なので、初の家にいるか、光がある場所で屯っているかどちらかだろう。母親がいれば、こんな雨の休日にハイネを家から出すわけがないので、今は束の間の自由を彼は満喫している。
桜は立ち上がり、リビングまで向かうとお鍋に牛乳を入れてホットミルクを作った。スプーンひと匙の蜂蜜をとろとろ入れると、ふんわり蜂蜜の香りがするホットミルクの出来あがりだ。これを飲みながら読書でもしようと、昨日、母親と一緒に作ったクッキーをお盆に乗せ、自分の部屋へと戻る。
子ども用に宛がわれた部屋は二階で、台所に近い階段から続く四部屋だ。手前からスオウ、ハイネ、桜、マリアと、生まれた順に並んでいる。昔はお父さんの兄弟(桜にとって伯父や伯母にあたる人物)の部屋だったらしいが、彼らは盆と正月くらいしか帰ってこない。父親の兄弟は五人兄弟で部屋数は必然的に一つ余ってくるが、今は客間として利用されている。
両親の部屋は三解にあたり、祖父母は一階隅っこを独占している。人見知りである祖父のために、台所は二個あり、どうやら、両親が結婚するときに、リフォームを重ねたらしい。
緩やかな傾斜で造られた階段を登っていき、片手で自室の扉をあける。
本当は可愛いものでいっぱいにしたいのに、何を置いて良いか分からなくなり、結局、白と黒と茶色だけが支配する簡素な部屋が顔を出した。
深い茶色の木材を切って造られたベッドは母親の選択で、木の根の中にすっぽり収まってしまう造りを桜は気に入っていた。
「桜くんは唯一、本を読んでくれるから」と読書好きの母親と父親から貰った読書専用の丸い机と、一人用のソファー。机にお盆を置くと、立ち上がり、同じく両親から貰った本棚から『リルケ詩集』を取りだす。
詩集を読むのは好きだ。
初めて読んだ詩集はハインリヒ・ハイネのものだった。幼い頃、ハイネという名前を発見して、桜が音読して、ハイネがそれを訊く遊びを二人でした。
利発な子どもだったので、意味を理解して、二人で誌の海に浸った。今では、ハインリヒ・ハイネを読むこと自体、君のことが好きだと訴えているようで、恥かしいが。どちらにせよ、自分のことなど、どうでも良いハイネからしてみれば、もはや、覚えていないものだろう。自分もそろそろ、ハイネについて忘れなければ。
もう、一ヶ月も前になるが、実兄であるスオウに告白された。血がつながっているなんてものは、些細なことに思えるのは自分の家庭環境のせいだろうか。母親と父親は血こそ繋がっていないが養子同士で、兄弟として育ってきたのだ。
そうであるから、別に血が繋がっていた所で、愛しているのであれば、と思ってしまう。そもそも、実兄であるハイネのことが昔から好きだったので、そこは割り切った問題だ。だが、それでも、告白の返事が出来ないのは、未だにハイネのことを忘れられずにいるからだろう。
忘れる道具にするためにスオウと付き合うのだけは嫌だった。
だから、暫く時間を置いた。
確実に、自分の中でハイネという人間が占める割合が少なくなってきていることを実感している。努力すれば、これまで自分の人生を九十パーセント占めてきた人間のことを諦めることが出来るのだと、心に言い聞かす。
このまま、いけば、いずれ思い出に浸るように彼のことを語れる日も遠くはないだろう。
そうすれば、スオウに返事をしよう。彼は「待つ」と言ってくれた。
例え、愛の比率がスオウと自分ではまったく違うことになろうとも、構わない。二番手でも。上辺だけ「一番だよ」とあのきらきらした眼差しで力強く言われるのなら問題ないように思う。
ホットミルクを啜る。
雨音が激しさを増して行く。曇天が光を覆い隠し、樹木は雨の重みでしな垂れている。
ページをゆっくりと読み進め、いつの間にか昼になった。昼ご飯と晩御飯の準備をしなければと立ち上がり詩織を挟み、お盆を持ちあがり、扉をあけた。
進もうと思ったが何かにぶつかる。
桜は覆いかぶさった影に畏怖を覚えながら、ゆっくりと顔をあげると、雨に濡れたハイネが立っていた。桜は慌てて、食器を横にあったカラーボックスの上に置くと、部屋の中からタオルを取りだした。



「大丈夫? 濡れているよ。とりあえず、拭いて。あ! お風呂も沸かしてくるから、入るよね?」



桜は誰もいないからここに来たのだろうと呑気に考え、慌ただしく動いた。ハイネはゆっくりと巨体を動かし、風呂を沸かしに行こうとする、桜の細い手首を掴む。
桜は掴まれた手首が驚くほど冷たいことに空気を緊張させ、思考が全く読み取れないハイネの黒く淀んだ双眸をみた。光など、なにも映していない。けれど、どこか愉快であることが読み取れる。



「ハイネくん?」


返答はなく、質問を返す様に、この日一番の雨が桜の中に突き刺さった。


















「桜って俺のこと好きでしょ?」






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -