泣いていいと言われても桜はあたたかい両腕の中で顔を埋めて泣くことなど出来なかった。騙していたことを武器に変えて、今まで知らなかった人間を罵倒する意味を含む涙を流すことは、なんて愚かなことなんだろうと、桜は考えていたからだ。


「ありがとう、スオウくん」


抱き締めかけられた、手を拒絶するように、綺麗とはいえない、遊園地の公衆トイレの個室で桜はスオウを拒絶する。
スオウはアンモニア臭が漂うこの空間で、自分の弟だけが、なんて綺麗に背筋を伸ばして立っているのだろうと、感じた。堪える辛さというのは、判る。美しく、傲慢と言えるまでの、毅然とした姿。思わず、共感の様なものを抱いてしまう。他者に縋りつかない強さが。けれど、自分は、そんな、小梅のことを支えたいと思ったのだ。今は、小梅、でなく、桜であるが。


「お礼を言われること、俺はなにもしてないよ。桜、それに、告白のことなんだけど」
「判ってるよ。無しにしてってことだよね。当然だよ。弟ってわかったし、女の人でもなかったからさ」


言い切る桜は、話を終わらせるように「パレードでも見て帰ろうか。あ、お化粧直さなくちゃ。それとも、もう帰る?」なんて、台詞を笑顔で告げてきた。あと何時間くらいなんだろう、と独り言をいいながら、携帯電話を取りだす。メールアドレスをサブアドしか教えられなかった筈だ。もう、桜のアドレスはスオウの携帯に登録されているのだから。


「桜、俺! なしにはしないよ」
「え?」
「告白……俺の、気持ちは変わらないよ。桜でも、弟、でも。桜が、インターセックスでも。そりゃ、女の子とか弟って思っていたから色々戸惑うけど。今まで通り桜を見ろっていうのは無理だよ。けど、俺は変わらない気持ちが一つだけあるってわかる。それは桜のこと大好きって気持ちだよ。」
「けど、駄目だ、よ!」
「駄目じゃないよ。俺、まだ、判らないよ。桜が抱えるものとか、そういうの。けど、無関心ではいれない。判らないって言葉だけで、桜を拒絶したくない。俺は、判りたい、と思う。桜のことを。だって、俺は、こんなにも君のことを抱きしめたくて仕方ないんだ」



桜は持っていた携帯を鞄の中にするりと隠してしまった。
嬉しかった。
はじめて、受け入れられたような気がして。汐以外に話したのも初めてだが、判らないと、いう拒絶だけではなく、判ろうとしたいと言って貰えたことが。無責任じゃない。判ろうというのは未来に続く言葉だ。
それは、君が何者であろうと俺はかまわない、という無責任極まりない言葉より。変わってしまうと言う可能性を孕んだ言葉が。
当たり前といえば、当たり前だ。人間関係において変化しないことはない。内緒にしていた関係を暴露されて、動揺しないなんて、寂しさの極めだろう。


「桜」


スオウの声が響く。少年らしさを含んだ無邪気な声色から、テノールの低く、優しい旋律に変わる。スオウは震える桜の身体を今度こそしっかり抱きしめた。桜はスオウの腕の中で、喚きながら泣いた。
涙を止めようと思ったが、自然と、雫は垂れ落ちてきて、スオウの服を汚していった。
スオウは桜が泣いた姿を生まれて初めて目の当たりにした。
赤ん坊のころは泣いていただろうが、スオウ自身が一歳だったので記憶にあるはずがない。こんな、風に泣くことを我慢していたのだと考えると、自分の手も震えてきた。
告白の返事は聞けていないが、今は、目の前で肩を震わす桜が泣くことが出来たことのほうが嬉しかった。
気持ちの負担を自分は取り除くことが出来ただろうか。
喉が枯れるまで泣けばいい。パレードはいつだって見ることが出来る。煌びやかな世界も必要だが、時には、誰かの胸に顔を預けて泣くことが必要だ。今まで、桜はそれがなかったのだから。誰かと誰かが喧嘩すれば、一歩譲ってしまうような子で。
この前、父親が貰ってきたケーキだって桜は「最後の一つでいいよ」といっていた。その一つだって、マリアとハイネが取り合って食べてしまった。両親は二人を咎め、桜に謝罪したが、気にする素振りなく「別にいいよ」と笑って言っていた。
そうやって、この子は我慢してきた気持ちが両手なんかじゃ足りないくらいあるだろう。控えめな性格になってしまったのは、きっと、自分が、インターセックスだと知ってからだろう。
昔は、もう少し我儘を言える子であったはずだ。
この前、サッカーに誘ったとき、放課後の、下駄箱で、桜は遠くを眺めていた。消えてしまうかと錯覚するくらい。消えてしまいたい時もあっただろう。




「桜」



搾りだす様に声を漏らし、桜を強く抱きしめる。
衝動に任せて、首筋に触れるだけの軽い口づけを落した。驚いたのか、泣きやんだのか、枯れてしまった声はなにも放たず、真っ赤になった顔を両手で隠した。
指の隙間から見えた、桜のきらきらした眸は笑っていた。




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