まったく、最悪な月曜日だと充葉は窓の外に見える景色を眺めながら呟いた。
傘を持ってくるのを忘れてしまうし、大切な書類は雨に打たれてずぶ濡れだ。これから襲いくる時間の消費を考えて深々と溜息を洩らした。
会社の同僚であるハルに電話をかけると「悪い、こっちも手が放せなくて、タクシー拾って帰ってきてくれ。あと書類なんだけど、駄目になった部分できるだけ再生しておくから元の資料のファイルを教えてくれ」と言われる始末。
もちろん、社会人なので迎えに来て貰おうなどと、厚かましい考え方には至らなかったが、土砂降りの中、どうやってタクシーを拾えと彼は言うのだろうか。
カフェに入って時間を潰そうにも、都心から僅かばかし離れた海辺が見える田舎で、鼻腔を過る磯の匂い以外、ここには何もなく。
充葉は自分の携帯を開いて、プライベート用の電話帳の少なさに普段の自分の行動を僅かに後悔した。確実に家で屯っていることが分かる存在の名前が電話帳の一番上に存在感を放っていた。

「ジル」

恋人の名前を囁く。激しい地面に劈く雨の音によって掻き消されてしまった。どうせ、誰もいないのだから、気にする必要などない。
充葉は、悠遠を見つめるように、磯の香に紛れ高校時代の風景を思い出した。海になど、二人で来たことがなかったが哀愁漂うこの空気が過去を連想されるのだろう。土砂降りというのは当時の彼らに良く似合っていた。
迎えにはきてくれるだろう。
子どもができてからジルは随分、丸くなった。面倒だと言いながらのろのろ立ち上がり、留守番を昼下がりの午後であるから、学校から帰宅した、子どもたちに頼み、滅多に稼働されない黒い光沢の車に鍵をさし来てくれるだろう。後で何かしら、要求されるだろうが。「充葉ぁん」と得意の甘言を洩らし、雨で冷えた充葉の体と同化するように。
けれど、電話を掛ける気にはならない。
嫌々ながら迎えには来るだろうが、仕事中にジルと出会ってしまえば、仕事に今一つ身が入らないのは分かり切ったものだ。だから、電話をしないのは充葉の問題である。
ジルに会うと、まるで充葉は自分が社会不適合者になったような気分に陥る。自分の理性が保てなくなっていく。嫉妬したり、不機嫌になったり、翻弄される。充葉はそんな自分が大嫌いで、できれば、仕事中、ジルとの接触を断っていたかった。
以前、彼がまだ、会社勤めをしているとき、合同プレゼンで一緒になった時など、会社に戻ってから、部下に当たり散らしてハルに慰められた。
プレゼンするジルを見ていても、社員と増えあう姿を見て、嫉妬に焦がれた。ジルは「褒めてほしいのよ」って顔で充葉を見てきていて、その場を防げたのは、優越感を得られたお蔭だ。帰宅してからジルの柔らかい髪の毛を撫でた。
ワックスが取れた細い髪の毛を撫でられるのは自分だけの特権で、鼻を頭皮に押し付けると、鼓動が収まる。
ジルはよく充葉に「充葉は本当に泣き虫だね」なんて言葉を艶やかなグロスが塗られた口を動かしながら言ってくるが、充葉からしてみれば「馬鹿か! そんなのお前の前だけに決まっているだろう!」と言いたいが、照れながらジルの腕に収まってしまう。
どうせ、ジルは充葉の、自分の前だけとか、気を許してくれているからとか、そんなもの、とっくの昔に理解していて、手のひらで充葉は転がされるばかりだ。
そうやって、自惚れてくれる方が手首を切られるより随分ましだが、稀に、僕をあまり侮るなよ! と怒鳴りたてたくなるが、ジルの腕の中にさえ納まってしまえば些末な問題に思えてくる。
結局のところ、充葉はジルのことが好きすぎて堪らないのだ。




「馬鹿か」


改めて自覚すると自分を自虐的攻撃する言葉を照れながら吐き出してしまう。
突風が吹き荒れると、寒さのあまり縮こまってしまい、充葉は両手で肩を抱きかかえた。意地を張っている場合ではない。書類の再生もしなければいけないし。ジルに電話をすれば、ものの三十分で迎えにきて一時間後には会社に帰れるだろう。


「もしもし、ジルか?」

通話ボタンを押すと、ジルの気怠い声が充葉の鼓膜に届く。起き立てなのか、夢の中を現実世界で生きているのか、わからないが予想通りの声色だ。

『充葉ぁん』
「そう、僕だよ。悪いけど、迎えに来てくれないか。○○町にいるんだけど」
『はぁん、どうしたのぉ? 珍しいねぇん』
「雨に濡れて、今も土砂降りだし。タクシーも拾えなくて。困ってるんだ。会社に十六時には戻りたい」
『えぇん。もぉ、しょうがないなぁ。帰ってきたらお願いなんでも聞いてくれるぅ』
「聞くから! 早く迎えに来てくれ!」


怒鳴りつけると「ひどぃ」なんて言葉を吐き出しながら、動かなかったジルが動作をする音が受話器越しに聞こえてきていた、充葉は、携帯の電源を切った。会ったら調子を狂わされるといえ、会いたくないわけがない。愛しい人間なのだ。面倒なことがあったりするが、充葉にとって、掛け替えのない人物で、ふとした日常上の中でジルが割り込んでくる瞬間を心待ちにする。
それほど、最悪でもない日かもしれない。そんなこと、充葉は口が裂けても言わないが。口角を濡れた資料に隠してあげた。




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