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 疲労感に塗れる身体を置きあがらす。真っ赤に染まった落陽が照らしていた教室の姿はなく、日は落ち切り、月明かりが教室を照らしていた。白秋が終わりを近づける季節特有の身体に沁み込む湿気と冷たさが僕を責める。

「ジル」

 名前を呼んでみた。
 けど、当たり前だけど、ジルの姿は教室にはない。一応、制服はお情けのように掛けられているけれど、後処理は施されていないようで、立ち上がるとジルのと思われる精液が太股を伝い、たらり、と落ちる。
 これって、掻きださなきゃいけないんだっけ。
 首を傾げるけど、めんどくさいし、思考を働かせる余裕が今の僕には無いので、無視して、精液臭いパンツとズボンを履く。ワイシャツはボタンが破り取られてしまったので、止められないけど、ブレザーのボタンは生き残っているので、上から着ればなんとかなるかなぁと楽観的に考えながら、服を着る。
 家に帰る、というのが僕に与えられたやるべきことで、今は深く、なにも考えたくなかった。

 鞄を手に取り、教室を出る。廊下を下り、下駄箱まで行くと、靴箱には上履きしか存在しなかった。文化祭とかでこれくらいの時間まで残っているときはあったけど、誰もいないのは初めてで、この場に居る自分自身の存在が異質として浮かび上がった。
靴をことんと落下させ、履くと、学校を後にする。
 夜風に当たると、肌が冷たさを求めたので、熱があるのかも知れないと、ぼんやりと思った。当たり前か、とも思う。普段、どう頑張ってもしない、行為をしたのだから。一つ、調子が悪い所を発見し自覚してしまったからか、頭が朦朧とし、頭痛がギリギリと音を立てる。
 足腰は痛いし、歩くのが限界だという僕の身体はまるで、僕のモノではないようだった。別の誰かに乗り移られた、そんな錯覚を起こす。

「帰れるかなぁ、これ」

 自信が無くなってきて、弱音を吐く。校門を出ると赤煉瓦が詰れた外壁が姿を現す。自転車庫までもう一息だ。僕が通う学校は徒歩でも自転車でも電車でも通える距離にある。歩くと二時間くらいなので、あまり徒歩でくることはないけど。歩くのは苦ではないので、散歩したい気分の時とかは徒歩で来る。自転車だと四十分ほどで着くのでよく利用する。ちなみに電車だと十五分も掛からずに学校まで来ることが出来てしまう。


「そもそも、今、自転車漕げるんだろうか」

 嫌な現実を思い出してしまい、無理だ、という結論に至る。電車で帰ろう。駅は歩いて二分もかからない位置にあるのだから、電車で帰った方が途中で倒れなくて済む。踵を返し、駅の方向まで脚を進ませる。
 財布を開けるとお金は充分にあったので、駅の改札を抜ける。
 人が少ないホームで立ち竦んでいると、涙がぽろりと出てきて、身体の重さや痛みが現実だよ、と囁いていた。



   □



 家に辿り着くと、油切れした玩具のように床に倒れ込んだ。案の定、限界を迎えた身体は発熱したようで、滅多に聞かない妹の驚いた声が頭上で飛び交う。
 けれど、末っ子の帝の風邪がうつったと家族には判断されたようで、深く追求されなかった。
 制服を母に脱がされ、パジャマに着替えベッドに寝転ばされる。
 自分の熱がうつったと聞いたせいだろう。部屋の扉を叩く音が聞こえ、返事をすると帝と母が立っていた。
 一日寝ていた効果で熱が下がった帝に「大丈夫?充葉お兄ちゃん。 あ、あの、ごめんなさい、ぼ、僕が風邪なんてひいたから」と枕元で泣かれながら謝られてしまった。お前が悪いわけじゃないんだよ、という意味合いを込めて頭を擦ってやると、更に泣くので、もうどうすることも出来ずに、泣く帝を母に預ける。

「ほら、帝、充葉は帝のせいで熱が出たわけじゃないから謝らなくて良いのよ」
「け、けど、僕の、か、風邪が、あ、あの」
「もう、ぶり返したらどうするの。それに、充葉のは風邪じゃなくて、疲労だから」
「け、けど、心配で」
「帝が泣いたって充葉の体調が良くなるわけじゃないでしょ。だったら、静かにして、充葉を寝かしてあげようね」
「は! な、なるほど。ご、ごめんなさい。充葉お兄ちゃん、ゆっくり寝てね」

 幼い手の平が僕のお凸に触れる。生温かい人肌に癒される。胸の奥底に大切なものが、温かく落ち着く。直ぐに泣いてしまう性格に見えるのに、滅多に泣かない帝の涙なので、それだけ、罪悪感と心配に駆られていたのだろう。
 さっきは、邪慳に扱ってごめんと、僕の為に撫でてくれた手を握り返して礼を述べる。お前も早く良くなるんだよ。
 しかし、母のあの発言、やっぱり悟られてしまっていたみたいだ。風邪じゃないと。他の家族は騙せたみたいだけど。制服見られたら何があったか一目瞭然だから。しょうがないことだとは思う。
 けど、追及してこないのは母の優しさなのだろう。子どもの自主性に任せる母の教育方針にこれほど感謝したことはない。放置する優しさでも、干渉する優しさでもなく、見守る優しさは有り難い。助けを求めると、受け入れてくれるという意思の表れがあるから、落ち着いて瞼を閉じることが出来る。


「じゃあ、充葉。ゆっくり寝なさい」
「う、うん」
「明日、休んでもいいからね」
「あり、がとう」
「けど、行けるようだったら行きなさい。行った方が良いことは良いんだから。それと、制服は、変えのを出して置くから」
「うん」
「じゃあ、おやすみ」
「み、充葉お兄ちゃんおやすみなさい」
「おやすみ」

 母が帝を連れて部屋を出る。灯りを消された部屋。窓辺から隣家の明かりが見えてくる。
 ジル……――
 絡みつくジルの記憶が僕を縛る。
 どうして、実験っていったい、なんなんだよ。
 いや、駄目だ。ジルに僕が求める答えなんか追求した所で見つからないに決まっている。何も考えていない場合もあるんだから。
 それより、抱かれた時、ずっとジルの傍を離れられなかった理由が隠れていると感じたあの時の感覚の方が思慮していかなければならないことだ。

「ジル」

 今も昔も、誰か一人について悩むのは、お前相手にだけだよ。
 一応、中学からの友達である飯沼くんだって、ジルの友人である坂本にだって、僕は滅多に心を動かされたりしないのに。
 お前だけだ。
 お前だけが、僕の心を、日々、動かして、放置するんだ。









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