桜への謝罪の態度に秋嶺が激怒してハイネの右頬っぺたにストレートパンチを男らしく捻じ込んだのは言うまでもない話だ。初は秋嶺の業績を湛え、桜は殴ってくれた秋嶺に礼を言うべきなのか、ハイネに駆け寄るべきなのか迷って「俺がムカついたから殴っただけだから。桜さんは気にするべきことじゃないよ」とさらりと述べた。
桜は氷水に入った袋をハイネの頬にハンカチを挟んで差し出した。眉間に皺を寄せたハイネが桜を再び殴り飛ばしたのはいうまでもない話で、秋嶺とハイネの乱闘騒ぎにまで騒ぎは拡大した。
止めに入った翼が似合わない暴力を奮い、暫くの間、赤い闘犬(翼は父親から受け継いだ金髪を反抗心から赤髪に染めていた)と言われ寂しい思いをしたのは内緒の話だ。意外と彼は小心者である。








「元気だしなよ、翼」


翼の友人である、スオウは背中を撫でながら、机に顔を埋める翼の背中を撫でる。悪いな、と言いながら、元気ない声で呟くように「やっぱり暴力なんて嫌いだ」と漏らして、スオウを困らせた。
スオウは「これはダメだ」と傷心中の翼を慰めようと小梅の話をした。これは、彼が盛り上がる話だが、少なくとも翼はいつも気分よく聞いてくれた。
翼は話を聞きながら「こんな時に話して欲しい内容じゃねぇよ」と思ったが、精いっぱい話すスオウの間抜けな表情を見ていたら、悩んでいる自分が馬鹿らしくなってくるという効果があった。
長年、親友という間柄を保ってきたお蔭だろうか。
スオウのことを見ていると悩みなんて、どこかへ行くような、穏やかな気持ちになれる。態度とか表情の節々に、こいつって俺のこと好きなんだよなぁっていう、言い換えれば、根拠ない信頼が下りてくる。
けど、翼は、こういう、無意識なものが、スオウを傷つけはしないだろうか? とかをふと考える。
根拠がない決めつけというのは、怖いものだ。
理想を押し付けたり、現実を知ったり。そんなものは、互いに傷つく。
恋ではないのだから、そんな関係にならないだろうと思う。だが、たまに怖くなる。こうやって、悩んでいるところから、話を逸らされていくみたいで。
翼自身も話を流されることに何の抵抗もなくなっているということに。
自分もよく利用する方法だが、親友とバカみたいな青春の群青絵図を掲げているにも関わらず、悩むことが極端に少ない。互いに。
楽しいことしか知らない。
上辺だけ……――と考えて、翼は考えるという行為を打ち消した。


馬鹿げている。今は思考がマイナスに向いているから、こんなことを考えるだけだ。



「サンキュ! あ、で、小梅さんとのデートにはどんな服、着てくんだよ」
「えぇ、これ、これ」


携帯を取り出しながら見本をスオウは見せてくる。写メで撮られた衣服はこの前、雑誌で見たような恰好で。これを、モデル並みのスタイルと顔を持ったスオウが着るのかと思うと、笑ってしまった。



「お前、オシャレって個性も大事だと思うんだよな」
「俺的には個性を押し出したつもりだよ! それに、初めてのデートだから、可もなく不可もなくっていう恰好のほうが良いかなぁって思って」
「それも一理あるけど」
「な、なにが言いたいの!?」
「似合い過ぎてて怖いかもな」
「それって褒められてる? 馬鹿にされてる?」




横で見ていたハリーが「どっちもじゃない」とにっこりと笑って、スオウの心を悩ませた。











一方、殴り合いの喧嘩を得て、一日経っただけで、初の目の前に姿を現したハイネを初は睨み付けた。


「お前ってバカなのか?」
「初たん関連だとバカかもぉ」


腰をくねらせながら、裏庭で虫を漁っている初の背後につく。樹木が枝葉を出していて、太陽の光が透けるように影ができる。ハイネはモノクロの世界で唯一、輝いた存在をゆっくりと眺めた。
喋りながら、初は、花の上に止まっていた蜻蛉を手に取ると、戸惑うことなく、咥内へと運び、むしゃくしゃと食べる。
今日のは今一つ、彼の口に合わなかったのか、顔を歪めたあと、羽だけを毟りとり、教科書の間に挟んだ。
初の教科書には様々な虫の羽が挟まっていた。週末に標本にしたり、化学薬品をぶちまけて、観覧するためだ。彼は虫の中で羽というものを溺愛している節があり、好物で咥内に含むのは、飛んでいる虫が多い。


「美味しい?」
「俺、怒っているからお前の質問には答えない」
「どうして?」
「だって、桜に怪我させたり、秋嶺に怪我させたり……」
「けど、俺からはなにもしてないよ」


何も間違っていないというようにハイネは答える。
初はハイネのことを眺めながら、横に止まっていた虫を手のひらで包みこむ、一纏めになった。
開かれた手のひらの上には虫の残骸が横たわっている。液が飛び出て、見る者を選べば嗚咽が込み上げてくる光景だ。


「暴力。けど、俺、なにもしてないって言える。このまま、下に落ちたら、塵と一緒。そじゃない。桜と秋嶺も。この、虫も。ねぇ、俺、起こっている。起こっている」
「どうして?」
「俺はお前より、桜と秋嶺のことが好きだから」


嘘がない言葉がハイネの鼓膜に届く。
随分前から知っていたことであったが、言葉にして出されるのと、思っていたということでは、まったく違う。思っていた、という空想はいつでも覆すことが出来るが、言葉にされてしまえば不可能だ。
自分が思っていることを直ぐに口に出すのは初の良い所であり、ハイネが好きな所でもあるのだが、胸を突き刺すものがある。
自分には初しかいないというのに。
桜といい、秋嶺といい、どうでも良いではないか。酸素や背景ほど無害でもない。ハイネにとって、邪魔な存在であることは確かだ。ハイネは奥歯を噛み締める。
自分だけを見て欲しい。けれど、自由、という翼を広げた空間に居座っていて欲しくもある。




「初たん。ごめんね」
「俺に謝っても無意味。けど、桜と秋嶺に謝るのも、駄目。謝るは簡単な言葉。口だけでいうのは。心が篭ってないと、駄目、なの。それを、お前は出来ないだろう。だから、あまり近寄らないで」


それは、桜にとって逆効果なんじゃないかなぁ、とハイネは思ったが元々、近付こうと思い他者に寄り添うのは初以外しないので、ハイネは大人しく首を縦に振った。
返答に僅かに気分を回復したのは初は手のひらでぐちゃぐちゃになった虫をぱくりと食べた。






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