携帯を両手で掲げながらスオウは踊って見せた。ふざけた行動だったが、教室中には笑い声が響きわたり、扉を開いたハイネはうんざりした顔でスオウを見つめた。 「明後日、小梅さんとデートするんだ」 陽気な声色でこの世の絶望なんてものを知らないという風に、スオウは声をあげる。ハイネを見掛けるなり、にっこりと屈託のない笑みを浮かべたスオウは手を振り挨拶をしてきたが、無視して、不機嫌が分かる乱雑な態度を見せ、椅子に腰かけた。 朝から兄の笑みを見るなど運が無い最悪の日だと、ハイネは想いながら、机に頭を伏せて、チャイムが鳴り止むのをまった。スオウの他の男に比べれば甲高い声が、ハイネの鼓膜に届いてきて、雑音を掻き消すようにイアホンをさした。 「ハイネくん」 何時間目が過ぎた頃か分からないが、肩を叩く声で目が覚めた。ハイネはモノクロの視線を対象の人物に向ける。そこのは、一つ下の弟が立っていた。肩に触れた手が妙に温かくて、気持ち悪かったので、薙ぎ払うと、弟は大層、傷ついた顔を隠すように、微妙な顔つきで笑った。 「これ、お母さんから薬」 「薬?」 「風邪ぎみだって、今朝、母さんは思ったみたいで」 「あ、そう」 自分の体調に自分より敏感な母親が言うのだから、風邪をひきかけているというのは事実なのだろう。わざわざ、弟に薬を運ばせるくらいには。 「いらない」 「け、けど」 「返しておけよ」 突き飛ばすように接する。実際、薬を眼前へと向けてきた弟を突き飛ばし、弟は、反対側の机にぶつかった。痛みが走ったのか、顔を僅かに歪ませて、よろける。 弟は、これで食い下がる。息を飲んだあと、また、泣きそうな眼差しを一瞬だが、こちらに向けた。 「ごめん、お母さんにはそう言っておくね」 震える声を発したあと、弟は、くるりと後ろを向く。 聞きわけがいい奴だ。人形のようだと思いながらハイネは弟を眺めた。反発しない、つまらない、殺したいとまで思わないが、人形のように繕った顔は、生きていて意味があるのかと疑問に思う。 そういえば、弟は、昔から自分に逆らわなかっただろうか。昔はもう少し、我儘を口にする人間であったように思う。一緒に遊んでもいた様な気がする。そのような悠遠の記憶など葬り去ってしまったが。 今の弟は、まるで、生きていることを忘れてしまった人間のようだ。反論する人間にも苛立ちを覚えるが、はいはい、と従う人間にも苛立ちは起こる。 頼りない足取りで扉まで行くと、スオウの友達と一言、二言、会話をして、教室を出て行った。 弟の後ろ姿を眺めながら、この前であった、スオウがはしゃいでいる女の面影に似ているとハイネは思った。スオウが好きというだけで、他の人間よりも、嫌悪感が沸く。どうか、失敗して、嗚咽を発するスオウの姿が見られますように、とハイネは嘲笑った。 「ハ、イ、ネェェェ!」 声変わりをする前の少年の様な声で、初はハイネの名前を呼ぶと同時に、頭突きをした。こんなことをハイネにして機嫌を損ねないのは、初だけである。初は可愛く改造された制服に身を包む。 彼だけが、特別だと言う証のように全男子共有のネクタイはリボンへと変えられていた。これは、初の趣味でなく、両親の趣味だが、初はそれに抵抗することなく受け入れる。 「う、ういたん」 「うるさい、喋るなよ!」 体格差の関係で鳩尾を喰らったハイネは震えながら自分の聖域に触れようとする。 「怪我さすな!」 「怪我?」 「桜の! 腰! 真っ赤になってて、湿布保健室で貼ってもらった! 喋らない、桜。けど、お前の所に行く前は怪我なかった」 「へぇ、どうして? わかるの?」 「俺が四六時中抱きついているから!」 身に覚えはあったがあの程度で、腫れあがるとは、軟過ぎる身体だと溜息を吐き出す。そんなこと、どうでもいい。弟が怪我しようと。それより、初が他の人間に抱きついている方が問題だ。 元々、自由奔放な初は、他の人間に良く抱きつく。抱きつくことが彼の愛情表現の一環で甘えている仕草なのだ。秋嶺か、桜のどちらかに一年生しかいないときは抱きついていると言われても、何ら不思議なことではない。 「一応、今度謝っておくから。あ、それより、初たん。綺麗な琥珀が手に入ったんだけど、今日、家に寄っていかない?」 「そんな、こと、こ、琥珀は魅力的だけどぉ。桜に先に謝れよ!」 「謝ったら来てくれるってこと?」 「謝ったら行ってやる! だから、ほら、早くこい!」 強引に初が引っ張る。 ハイネは初の小さなつむじをニコニコと眺めながら、自由な初の行動を見ている時はなんて心が穏やかになるんだろうと、安らぎを得た。 保健室まで案内されると、桜が制服を脱ぎ、シャツ越しに赤くはれ上がった背中を秋嶺に見せていた。男なんだから全部見せてしまえばいいのに、とハイネは呆れながら、桜の顔を見る。 目線と目線がバチリとあって、電撃が走ったみたいだった。桜は初と共に居るハイネを見つめながら、今日、見てきた顔の中で一番つらそうな顔を一瞬だけ垣間見せた。表情を読み取るのが上手い人間でなければ気付かなかった、いや、ハイネの興味がたまたま桜にあったからこそ、気付けたことだろう。 ハイネはそのまま面白そうに桜を見つめた。貼り付けた仮面の裏から透けるように桜の本音が漏れてくるように見える。 なんだ、こいつ、俺のこと、好きなのか。 そう、思わす力のある表情だった。 ハイネは面白くなって口角を上げたくなった。今の自分にどれだけの魅力があると言うのだろうか。馬鹿らしい。 「ゴメンネ、サクラ」 舌を出してハイネが謝る。桜は気まずそうに目線を伏せながら「いいよ、ぜんぜん。うちどころが悪かっただけの話だから」と告げた。 |