雲の色は鈍色で、重苦しい気配が世界を支配していた。臙脂に染められる秋が瞬く間に通り過ぎ、冬至を迎えようとしていた。
ぽつり、と曇天から雫が落ちる。冬の雨は冷たい。空気中で氷に変わることがある。スオウは手を伸ばした先にある冷たさに顔を歪めながら傘をばさりと開いた。


「ハイネ」


先を歩く双子の弟に声をかける。ハイネは不機嫌を表情に貼り付けた様な顔でこちらを睨んだ。スオウはそんなハイネの表情などまったく気にしていませんよ、というように、屈託のない笑顔で傘を差し出す。


「ほら、使いなよ」
「いらねぇ」
「濡れて帰ると母さんが煩いよ」


母親の小言を思い出したのか、舌打ちをして、スオウから差し出された傘を素直に受け取る。


「いやぁ、俺の傘が二本あって良かったよね」
「なにがだ」
「置き傘してないと思ったら、クラスのさ、田中わかる?」
「知らねぇ」
「同じクラスなのに酷いなぁ」
「で、なんだよ、田中が」


話を訊く気はあるらしい。
スオウはにっこり笑って、水たまりを跳ね上がらせながらハイネの横に肩を並べた。弟の機嫌は更に急降下したが、今更、弟の機嫌一つ丁寧にとったところで自分が損するだけなので、なにもフォローはいれない。そもそも、この弟が、自分から優しくされることに反抗する人間であると言う事は、とっくの昔に知っていることだ。


「田中がさ、俺の傘を勝手に借りていたんだよね。で、今日、なにも言わずに傘返しておいたからって、そりゃないよなぁ」
「クダラネェ」
「まぁ、チョコ貰ったから良いけど。あ、ハイネもいる?」
「いらねぇ」


断られることが前提だったので、スオウはチョコレートの包み紙を向き、チョコレート本体を自身の咥内へ抛り込む。蕩けだす、甘美の誘惑に口を任せていると、眼前をぽつぽつ歩く、初の姿が見えた。


「初たん!」


先ほどまでとはまるで違うトーンでハイネが声を張り上げる。
可愛らしい女の子ものなど思われる黄色の雨合羽に身を包み、電信柱の近くにある、水たまりを眺めていた初はくるりとこちらを見る。眼鏡が曇っているせいか、双眸を歪め、近づいてくるのをハイネとスオウだと認識した。


「おう! 偶然だな!」
「初たんはなにをしてたの?」
「俺? 俺はカエルを眺めていた。こいつ、食えるかなぁって」
「食えるって、初……駄目だよぉ。カエルを食べちゃ」
「カエルは食べるとしたら調理してもらうから大丈夫」


一瞬、双子の脳内に、誰にしてもらうんだろう、という言葉が同時に浮かび上がった。初はそんな双子の微妙な表情の変化などに気付く筈もなく、カエルを熱心に眺めて、カエルと共に行動している。自身もぴょん、ぴょん、と跳ねてカエルの後をついていく。



「初たん、ご一緒しても良い?」
「駄目だよハイネ!」


初に声をかけた筈がスオウから制止の声が入る。


「ハァ、兄貴に聞いてねぇよ」
「今日は暗いから。一緒に家まで帰らないと。雨の日の視界なんて最悪でしょう」


傘を渡すという口実まで用意して、いつもなら、放課後友達と遊びに出掛けるスオウが自分と共に帰宅する理由を悟り、ハイネは、傍にあった電信柱を蹴りあげる。地面が揺れ、靴が、コンクリートにのめり込む。


「別にいいじゃないか」


緊迫した中に響いたのは、初の屈託のない澄んだ声だった。


「こいつの目が見えなくなって、帰れなくなっても自分のせいだ。俺の後をついてくるなら、勝手にすればいい。それは、こいつの自由。お前が決めることじゃない」
「けど、初。危険なんだよ。死ぬかも知れないんだ。場合によっては」


「死ねばいい」


戸惑いもなく、初は告げる。死ねばいい、と。


「ぜんぶ、自己責任。死ぬのも。例えば、俺が虫を食べるのも。寄生虫に殺されてしまうかもしれない。お腹を壊すかもしれない。けど、それは、全部、自己責任。俺のせい。だけど、ハイネも、止めてくれる人間の有り難さ、判るべき。俺は、止めてくれる人の前では、虫は食べない。申し訳ない。ああ。もちろん、俺が好きな人間で、止めてくれる人間っていう理由だけど」



本音を並べ、初は言う事だけを述べ、カエルが進みだしたので、後のことなど気にせず、カエルを追って駆け出す。
二人はどちらも、動くことが出来なかった。遠くなる、初の背中を二人して眺めていた。どこまでも純粋で偽りのない言葉は、誰の心にも傷を負わせて去っていくものだ。
ハイネは、歓喜を、けれど、初にとっての自分自身の存在価値を。スオウは叱咤された気持ちで、間違ったと言われた自分の心との葛藤をしながら。






「帰ろうよ、ハイネ。初、行っちゃったし」


スオウは表情を押し殺して何事もなかったかのように喋る。初に言われたことは彼の中で衝撃を与えたが、もう、スオウの脳内を通り過ぎてしまった。尾を引かないタイプなのだ。対して、ハイネはまだ初の発言を引きずっている様子が見て取れる。
スオウの言葉を無視して、ハイネは歩き出す。
この兄の、こういうところがハイネは大嫌いだった。本当はスオウの顔ごと、先ほどの電信柱のようにぐちゃぐちゃにしてしまいたい。引き摺らない。何も、気にしない。
初の方が、澄んだ瞳をしていて、どこまでも無垢だが、本当に無垢で、何も心に残らないのはこの男ではないのかと錯覚する。誰の言葉の、軽く済ませて、流してしまい、心髄に蓄積されないのではないだろうかと。背筋がぞっと、声を上げる。
嫌だ、という。
簡単に、甘言を吐き出すところも。プライドを圧し折って、笑うところも。自分だけが貰った、言葉を踏み潰されていくようだ。スオウの態度はハイネから見てみれば、お前と俺は平等だよと、笑顔で告げながら完璧な拒絶をされているような気分になる。しょせん、憐みの対象なのだと。自分のほうが下なのだと。
そんな感情が、一瞬のうちに、ハイネの体を駆け巡り、否定する。起こるのは苛立ちだ。卑屈になった自分自身にも、背後で間抜けな声を出すスオウに対しても。





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