袖を通し、レディースの服に包まれた、桜の姿は、違和感がなかった。胸を押し潰す為に巻いていた包帯を取るとふくよかな胸が現れる。それほど、発達はしていなかったが、汐に与えられた下着を装着すると胸は大きくなった。脚は黒いタイツを履き、身体のラインを強調する。本来、女性の部分を持っているので、桜のラインは胸さえ作り、姿勢を整えると、女になった。男性特有の骨ばった堅いラインではなく、女が持つ、ゆるやかなラインだ。 「変じゃない?」 「変じゃない!」 拳を作り、賛同する汐の姿に嘘などない。 実際、似合っていた。 青いラインが入ったワンピースは夏らしい涼しさを僅かに感じさせられた。おそらく、汐が夏の終わりに購入したが、中々、言いだせなかったのだろう。秋服、というよりも夏から秋へかけての服と表現した方が正しい。胸元には上品な赤のリボンが付けられており、良く似合う。 「座って」 「は、はい」 命令口調の汐にここまでくれば、桜は大人しく着替える。化粧水を塗られ、乾いたのを確かめられると、下地を塗られる。化粧をされるのだ。桜の顔が彩られていく。頬紅は少なめに、口紅はオレンジ傾向の色を。邪魔にならない程度のマスカラを付けられ、汐が目を開けても良いよ、と指示すると、女の顔をした桜がそこにはあった。 「別人みたい」 「別人じゃない。桜、の良さを生かしてメイクしたつもりだから。もっと、可愛くなりたいに素直になれば桜はこれ以上に素敵な子になれる」 「気持ち悪くない、僕?」 「そんなことない!」 「贔屓じゃなくて」 「贔屓はある。しょうがないだろう。だって、桜だから。桜だもん! しょうがないよ。けど、それを覗いても、可愛い、綺麗だよ。うん、綺麗。可愛いっていうより、綺麗」 170pある桜の女の姿は確かに綺麗だった。すらっとした姿勢の良さは、どこか違う世界の住人を彷彿させられる。普段の桜を良く知らない人間であれば、まず同一人物だと気付かないだろう。地味で素朴な少年だった桜が、女の姿をすれば、ここまで美しくなるというのは、誰も想像はしなかったことだ。 ゆっくりと、周り、全体を立ち鏡で確認すると、桜は手のひらで顔を覆い、少しだけ、涙を流してしまった。 女の格好をしている、自分が、嬉しくて堪らなかったのだ。 抑制されていたものが、解放されていく。中途半端な自分だが、どちらの姿をしても良いという決定権を与えられたように。勿論、この姿をした所で、何かが変わるというわけではない。変わるとしたら、自分の心だけだ。都合よく、長年の想い人であるハイネが桜を好きになってくれるなんて、夢物語を抱くには、現実を知り過ぎた。 「さ、さくら、あの、大丈夫か?」 冷静に構えていた汐が焦りを見せる。泣くということを彼女は想像さえ、していなかったのだ。狼狽する汐を見ながら、ごめんね、と小さく漏らした。 「化粧、取れちゃった」 「それは、いいんだ。桜、泣かないで」 「泣かせてよ。僕、嬉しいんだ。こんな、格好しても良いんだね。嬉しいんだ。嬉しいんだけど、涙しか出てこなくて。どうしてかなぁ。汐ちゃんの前だからかも知れない。僕は、昔から、汐ちゃんの前だと、泣き虫だから」 「お前が、他の前だと我慢し過ぎだからだろう」 桜と汐が本格的に仲良くなったのは、桜が小学五年生、汐が小学六年生の時からだった。それまでの桜はハイネの後を金魚の糞のように追いて回るような子どもだった。悪く言えば、世界が狭い。 学校での友達は社交的な桜には居たが当時から感じていた、自分が他とは違う人物と云う事が放課後遊ぶような友達を作らせなかった。なぜ、汐と仲良くなれたかというと、彼女が女装をはじめ、自然と共に居る時間が増えて行ったからだ。秘密を互いに吐露していくたびに、二人の仲は深まっていった。 「我慢じゃないよ。当然のことをしているだけ」 「当然、って」 「今みたいに、涙ってそれだけで威力があるものだから。泣いたら、困るよね。出来るだけ、困らせたくないんだ。誰かを」 桜の台詞に汐は黙る。本当にこの親友は我慢しすぎなのだ。涙など、自分勝手に流してしまえばいい。計算とか、プライドとかそういうものの為に流さない人間はいるが、桜はそうではない。 本当は、泣き虫なのに、抑え込んで、我慢している。何にしてもそうだ。 差し出された大好物を「欲しい」と大声で言えない子で皆が好きそうなものを見て「あとでいいよ」と言う様な子なのだ。考えていないわけじゃない。考えた末にだした結末が「あとでいいよ」という、優しさと知る人間にとっての侘しさを残すものなのだ。 自分が我慢すれば丸く収まる事柄は、全部、我慢したいと、思っている子で。我慢してきたものは山のようにあって。手に入らないものも、それと比例するように積み重なっていて。表に出した方が楽になる感情とか、全部、片付けて、笑っている。 それなのに、この子が望む、たった一つの存在は頑なに世界を拒絶し、桜を見ようとはしない人物で。汐はたまに、遣る瀬無い気持ちに駆られる。あんな男、止めてしまえ、と本当は言いたい気持ちを喉元で飲み込む。最初から、この双眸を捉えていたのは、ハイネだけだった。特別を失う怖さと云うのを汐は知っていた。汐にだって、特別というべき、人物がいるからだ。あんな男、私は嫌いだって、言ってやれる程度だったら、どれだけ楽であっただろうか。 「今度、桜さえ、嫌じゃなかったら外にも行こう。一緒に買い物しようよ」 「大丈夫、かなぁ?」 汐が、こんなに、自分以外の人間の幸せを願う事はあまりなかった。 |