黒沼桜はいつも二番手を生きる子どもだった。
人より幾分大きな眸だが、日本人らしさを感じられる奥床しさがあり、地味な印象を与える。ぷっくらと健康的な頬は林檎のように紅潮しており、唇は淡いピンク色をしていた。どこにでもいる顔として分類される、人当たりが良い顔つきだった。黒沼桜の友人に話を聞けば「良い奴だよ」と誰もが口を揃えて言うであろう。
彼は人望もあり、周囲に溶け込むのが上手かった。
御節介だが見ていて苛立ちを覚えるほどでもなく、苛立ちを抑える人望があった。彼はクラスのはみ出し者を一人きりにできない性格で、いつだって誘い輪の中へと入れた。強引な手段ではなく、自然に馴染むのを待つという方法は多くの人間の評価を生む。困っていることがあれば桜に聞けばなんとかしてくれる、なんていう人間も生まれた。
けれど、自分で出来ることはしなきゃ駄目だよ、と優しく諭されると、知らない間に努力をはじめてしまう。桜はその努力に優しく付き合ってくれた。
だが、皆の心には強く残らない。
別に彼に友達がいないと言っているわけではない。寧ろ、友達は多い方だった。行動を共にする友達だって、いっぱいいた。いるにはいる。けど、いつだって、黒沼桜は友達の間に起こる順列の中で二番手にいた。大事なんだけど、一番じゃない。
もちろん、桜には親友だって誰一人としていない。
桜はいつも二番手に生きる子どもだった。彼自身は、自分を一番にしてくれる相手を心の底から望んでいるというのに。なぜ、一番を望んでいるかということを話すには、桜の過去から話さなければならない。



彼が生まれたのは高級住宅街に家を連なる名家で、両親はたいそうな金持ちだった。桜はそんな家庭の三番目に生まれた。上には双子の兄がいて、一つ下には妹がいた。桜はその中の二番目の兄と特に中が良かった。
二番目の兄の名を黒沼ハイネと言った。
ハイネは桜と違い凛々しい顔つきをしており、外国の血を濃厚に感じられた。彼らの父親がハーフに分類されるので、その血を色濃く受け継いでいた。面長な輪郭に、切れる様な双眸を見ると誰もが息を飲む。ごくん、と。彼の双眸は綺麗だった。桜はハイネの双眸が特に好きだった。灰紫の奥深さは見つめていると引き込まれてしまう。魅力的な目だった。だけど、兄であるハイネの双眸は世界を艶やかに映さない。
色覚異常という病気がある。
兄のハイネは先天的な色覚異常であった。世界がモノクロにしか動かない。彼の眼にはアナログ時代よりも古いテレビのようなモノクロのフィルムしか映らず、夜のシーンになると、すべてが黒に染まった。今の言い方をすれば、1色覚、少し前の時代の呼び方をすれば全色盲という病気だった。そのため、ハイネと桜の両親は彼に対し過保護に接した。

ハイネくんは夕陽が落ちちゃう前に帰ってこなきゃ駄目だよ。お友達と遊ぶ時も一緒だよ。ハイネくんはパソコンをしちゃ駄目。ハイネくんは小説を読んじゃ駄目。読みたいときはお父さんとかお母さんが読んであげるからね。漫画は偶にだったら良いよ。ゲームもしちゃ駄目。目に刺激を与えることは出来るだけしないでね。わかった。ハイネくん。

なんて、言葉が両親の口からは飛び出した。次第にハイネは友達と放課後遊ばなくなった。そんなときから、弟である桜の遊び相手をしていた。二人はずっと一緒に遊んだ。小学四年生のある日、まで。桜とハイネは仲がとても良かった。桜はハイネと遊んでいる時間が一番楽しかった。公園に虫を二人で取りにいった。泥の砂で遊んだ。サッカーボール、二人だけのドッチボール、一輪車、竹馬、縄跳び、あやとり、探検、ゲームセンター、駄菓子屋。呆れるくらい、四六時中遊んだ。
桜は一つ年上の兄が大好きで仕方なかった。他の子と遊んでいるより、ハイネと一緒にいた方が楽しかった。それは桜が他の子どもと少し違うということが関係してくるのだろう。
男の子と遊ぶより、女の子と遊ぶほうが楽しかった。サッカーをするより、おままごとをしていたい子どもだった。男の子と遊ぶと心臓がどきどきした。自分と違う存在と遊んでいるみたいに。
スカートが穿きたいなぁと思ったりもした。それを、いやいや、可笑しいよ、と首を振りながら同級生と付き合うのは窮屈だったのだ。
ハイネは窮屈さを感じられなかった。ハイネだけが桜のことを否定せず、落日の中、手を引っ張り、安堵させた。桜はその手を引っ張っているとき、存在意義を確かめられるようで、とても、幸せだった。
ハイネの門限は一六時に指定されており、ハイネが持たされたタイマーが鳴り響くと同時の帰宅であったが、何の苦でもなかった。ハイネくん、ハイネくん。金魚の糞だと言われても仕方ないくらい、桜はハイネの後ろを付き纏った。稀に両親に大事にされるハイネのことが羨ましくあったけど、特に気に留めなかった。二人はとても仲が良かった。小学四年生のある日まで。



桜は自分の身体に襲いくる異常に気付いた。
公園で桜とハイネがいつも通り遊んでいた時だった。太腿から真っ赤な血が流血しだしたのだ。今日はお腹の調子も悪かったけど、特に気にすることないや! と強気を押し切り、遊んでいた。
お腹の痛みはじくじくと膿んでいき、破裂したように太腿の間から血が出ていた。股からだらだら流れる血。桜は戸惑い、ハイネに助けを求めたが、ハイネにとって桜が流す血はうす暗闇の中、見えることはなかった。
夕日の色と一体化して、冗談に見える事をいう桜を兄として叱り散らしたりした。桜はこの戸惑いを判ってくれない兄に苛立ちを感じ、いつもだったら二人で手を繋いで帰る道を桜は全力で駆けていった。太陽はすっかり沈んでいて、兄の視界には絶望的な黒しか残らないのに。
走っていると、血が止まった。首を傾げながら、桜は鼓動を落ちつかせようと、夜空を見上げる。
ハイネくんはもう見えない!
どうしよう! 
焦りで世界はいっぱいになり、兄のことを思い出す。桜は血がいっぱいついた股を水で洗ってから、兄が待つ公園へと向かった。



「ハイネくん!」
「あ、誰?」
「え、あ、と」
「誰? ごめんだけど、なにも見えないんだ。物体が動いているみたいな」


桜は戸惑った。
戻ってきたはいいが、喧嘩した手前名乗るのは恥ずかしくて、咄嗟に桜は思い当たる幼馴染の名前を吐き出す。


「初だよ」
「初? ああ、翼のところの」
「うん。こっち」



暗闇の光に遮られながら桜はハイネを引っ張る。口数は出来るだけ少なくした。自分は兄を引っ張ることだけに従事しようと決めた。兄もあまりしゃべらなかった。桜は安心しながら、早く家につけば良いのに、と思いながら、兄の手を引っ張った。そうしたら、謝って、普段通りになる。血のことも、みんなが寝静まってからパソコンで調べよう――そんなことを桜はずっと思っていた。
家につくと、玄関から両親が飛び出してきてハイネを抱きしめる。心配したとくしゃくと髪を撫でながら母親は涙を流した。
桜は感動の場面が終わった後で、のっそりと姿を出した。桜は両親に心配もされたが、それ以上にこっぴどく怒られた。一緒にいたのに、ハイネが門限通りに帰ってこなかったからだ。自分だけが怒られることに違和感を抱くことはすでにない。桜は「ごめんなさい」と両親に謝罪を述べる。結局、その日はハイネに謝ることが出来ず、寝床についた。


桜が自分の病名を知ったのは性教育を受けている時間だった。その時間は「だからこういう人たちを差別することはいけません」といった有り勝ちの科白をつらつら並べており、桜は自分が男の子なのに生理がくるという原因の理由を知った。
インターセクシャルという名前をもつものらしい。
その名前を聞いたとき、桜は今まで両親に感じていた溥儀も、自分という存在価値も、全部、悟ったような気がした。
桜は自分がとても中途半端で、だから誰からも一番に愛されないのかと、知った。
しょうがないか、とちょっとだけ思った。自分は男の子でも、女の子でもないのか、ということはじくり、じくりと桜に痛みを与えた。きっと、今、自分と遊んでいるハイネもこれを知ったら、もっと離れていく。あの日から、一度もハイネは自分と遊んでくれなくなった。喧嘩をしてしまったのだから、仕方ない、と桜は割り切っていたけれど、ハイネとの仲が修復されることは、高校生になってもなかった。
仲が悪いというわけではない。ハイネは幼い頃の面影を亡くし、一人の人間だけを熱心に慕うようになった。盲目的に。ハイネのモノクロの世界にはその人物しか映らなかった。彼の世界、すべてを淘汰していた。








「初たん」
「ハイネ。ジュース、俺に奢ってくれても良いんだぞ」
「奢って欲しいなら奢っちゃう」
「奢って欲しいぞ!」

なんて、会話は隣で桜は何回も聞いてきた。ハイネは桜の幼馴染である飯沼 初のことが知らない間に好きになってしまっていた。初のことを構う時間がハイネの中で増えるにつれ、桜と関わる時間が減っていく。次第に桜とハイネは遊ばなくなってしまった。家の中にいても、話をすることはそれほどない。




「ずっと、好きなんだと思うんだ、僕は。きっと、知らない間から、僕は、ハイネくんに愛して欲しかった」


誰もいない教室で、桜は校門を出て行く二人の姿を眺めながら日誌をつけていた。涙が輪郭を伝うように流れる。どこで、間違ったのか。インターセクシャルであるということなので、初めから間違って生まれてきたのかも知れないと、桜はぼんやり思う。
黒沼桜は誰からも二番手として見做される子どもだった。それは、桜が一方的に愛している人物であったとて変わらない。中途半端な立ち位置。






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