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 二人とも風呂場を上がる。十数えるまでなんていう悠長なことを言いながら、僕は素顔のジルに心を奪われぱなしだった。ジルはそんな様子が判るのか、無駄にくっついてきて、周囲から不審な眼差しで見られた。裸眼で良かった。視界がよければ、もっと僕はジルのいう通りに行動している所だった。


「ほら、ちゃんと髪の毛は拭け!」
「充葉がふいてぇん」


 風呂をあがり、衣服を着て、僕は短髪を掻き毟るようにタオルで拭く。持って来ていたタオルをジルにも渡し、拭けと言ったがいう事をきかない。躊躇っていると、この世の誰よりも美しい、純粋無垢なくせして自分の魅力を誰よりも理解している色をした、双眸が迫ってきて、化粧しなくても十分に長い睫毛が僕の皮膚に触れる。


「お願い」


 腕を掴まれ、優しく痕が残る。僕が思わず瞼を閉じるとジルはそのまま眼鏡を舐めてきた。ねっとりとした感触が肌につく。ああ、確実にこの銭湯に今後お邪魔するのが難しくなってしまった。


「わかったよ」
「ふふ、ありがよぉん、充葉ぁん」


 やけくそになっていたというのもあるが、そのジルの顔があんまりにも無邪気に笑うから僕はすっかり毒を抜かれてしまった。タオルを掴み、ジルを椅子に座らす。年季がある汚れた椅子をジルは嫌ったが、僕が強引に腰掛けさせた。


「下向いてろよ」
「ドライヤーはぁん?」
「はぁ、そんなのあるわけがないだろうか」


 そもそも男性で髪の毛をしっかり銭湯で乾かす人間の方が珍しいのだ。だいたい、タオルで拭けば済むし、プライドの問題で、髪の毛のケアをするとしても、家についてからだろう。スパーランドとか、旅館の温泉とかだったら話は別になってくるが、ここは大衆が利用する、田舎染みた銭湯なのだ。
 けど僕はジルの頭を自分の時と同じように適当には扱えなかった。ジルの髪の毛を丁寧に拭いていく。
 ジルはすり寄ってきて、こいつと付き合いだしてから僕にこうして甘えてくることが増えたと感じた。今の僕には、これもジルのサービスなのかっていう、疑心暗鬼しか生まれなくて、少しだけ、困る。 ジルと一緒にいる間に、最初、それだけで満足だったものが、段々、満足じゃなくなって、僕は随分と貪欲になってしまった。ぷっくらと、欲望の腹が膨れ上がっている。


「ほら、ジル、出来たよ」
「ありがとぉん充葉ぁん。さ、帰ろうよぉん」
「そうだな」
「帰ったらセックスしようねぇん」
「このバカ! もう、お前は……」



 僕が拗ねて顔を顰めてもジルは慌てることなく僕の腕を掴んだ。恋人同士が連れ添って歩くみたいに僕らは帰った。

 不安になっていて、不服が湧きあがっていた筈なのに、ジルの手にかかれば、僕はいつだって簡単に転がされる。
 簡単に舞い上がって、急降下する。その落差が激しい。
 僕はこうして夜空の下をジルと歩きながらいつも思う。
 この星屑の中で、僕らはきっと見当違いな方向に物事を互いに考えているんだろうって。それは僕らじゃなくて、他人と他人の間になら、簡単に生まれてしまう、価値観の差異というやつなんだろうけど、ジルはそれがぴたりと噛みあう人間が極僅かなんだろう。
 だから、横にいると苦しいし、絶対的な圧力から、ジルの価値観へとひっこまれる。浸食する。ジルはそういうことを無意識にやってのけられるくらい圧倒的な力の持ち主で、それだけ彼は魅力的な人間なのだ。
 時代が時代なれば「様」をつけて、崇めたてられるような。けれど、その魅力はきっといつだってジルを孤独にするんだろう。横にいる僕だって、優越感からジルの傍にいることがきっかけなのだ。
 今は優越感とか、そんな簡単な言葉じゃ現れないくらい、僕はジルに多大な感情を抱いているけど。とにかく、ジルはその孤独の中を一人で泳いでいて、僕はジルと特別扱いすることによって、彼を頂点へと導いていく。
 孤独という名の。
 本来それを支えてやるのが身近にいるべき存在である親なのだけど、ジルにとって親の存在は僕から見てみれば毒にしか見えない。僕が彼らを毛嫌いしていて、ジルにとっていつまでも変わらない一位だという認識がそのように見させるのかも知れないが。
 ジルの人生をむちゃくちゃにした張本人は確実に彼の父親であり、母親なのだ。だからってジルが可哀想で済ませるのも、違う。ジルは可哀想だけど、それ以上に圧倒的だし、可哀想なんて言葉は言い訳にしかならない。
 過去はどうあれ、考慮される要因とはならないと僕は考えているから。けど、ジルがこうして、寄り添ってきて、僕はとても甘えさせたくなる。お前は可哀想だから。お前は特別だから。お前は、僕が好きなんだろうって。
 これはきっと彼を孤独にしか導かない、一時のまやかしのようなものだけど、さっきみたいに髪を拭いてやったくらいで、ジルはとても喜ぶんだ。
 卒業式に飯沼くんに告げられた言葉がいつまでも僕の脳裏に蔓延る。
 ジルが求めているのは母親の変わりなんだ。子供みたいに甘えたいんだ。ジルは子どもに戻り、無償の愛が欲しいんだ。それがたまたま、僕だっただけで、他の誰でも良かったんじゃないかって。認めたくない。お前が本当に欲しいのはやっぱりあの母親からの愛だけなんじゃないかって。
 認めたくない
 認めたくない
 認めたくないから、僕は蓋をして関係をずるずる続けさせる。




「充葉ぁん、一番星だよぉ」




 そんな無邪気に笑わないで。
 僕にしか見せないっていう顔で。
 焦がれる。




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