ベッドの上に横たわる彫刻に様な裸体に触れると、ひんやり冷たかった。すべての精を吐きだした男は骸のように、怠惰な呼吸をしながら瞼を閉じ、寝ている。僕は気だるい身体を起こし、硬度に作られた虚像の睫毛を触る。けど、起きない。すべてを預けるように意識を落している。次に僕は首に触れる。頸動脈がどくん、どくんと音をたて、生きていることを証明している。なぜか、僕はそれに安心して息を吐いた。同時に、悔しくなって泣けてきた。じんわりと、涙が眸に浮かぶけど、けして泣くことはない。泣いたら負けのような気がした。昔から、こいつに負けることは多かったけど、今回は負けを認めてしまえば、僕自身が奈落の底に落下していく感触を味わうことになるので踏みとどまる。


「ジル」


名前を吐きだす。それでも起きない。有り余る体力だけど、一度眠ると奥深くまで沈むようだ。いや、多分、僕と一緒にいるときだけだろうけど。高校時代、教室で昼寝をしているときは教師の微かな足音に反応して瞼を開いていたから。ぱちり、と明いた瞼の中に篭っている眸には人を殺すような力が隠れているのではないかと疑うほど、どよんでいる。どこまでも果てなく透き通っているように映るのに、くろい濁りが息を犇めかせ、不思議な魅力が他者を惹きつける。生唾をごくんと飲ませ、虜にさせる。魔法のような力だ。開いた眸を見た人は僅かに固まる。教師はそのいい例だ。寝ていることを教師は指摘しようとするが緩慢な表情で一瞥すると口を閉ざし、その場を立ち去る。そして、ジルはまた眠りの世界に静かにつく。けれど、深いところまではいかない。浅いところで屯っている。だからすぐに起きることができる。こんなに深く、彼が精神を休ませるのは僕の傍、だけ。

期待させられる。

僕は特別なんじゃないかって。淡い、とろけてしまうような、期待。けど、違うっていうことは知っていた。いつだってジルの一番は決まっていた。彼の目線や息遣いの先には、つねに一人の人間がほっそりと座っていた。指定席は僕とジルが出会ったころから埋められて、僕は彼女には絶対に敵わなかった。どれだけ性交を重ねようと、彼が僕以外の人を蔑ろにしようと、変わらない。



母さん



呼ばれる。僕以外の名前。ジルにとって特別で誰よりも優先される。僕とキスをしている最中だって、唾液とグロスでぐちゃぐちゃになった唇を拭い、僕を押しのけ携帯電話を取る。受話器越しに聞こえる彼の妹の声は母親の悲痛な状況を伝えており、僕の半分外されたボタンなんて気にせず扉をあけ、家へと戻る。半分外されたボタンが虚しさの象徴のようにきらきら輝いている。きらきら。
一人、放置され、ぽつんと三角座りをするしかない僕の姿をみると酷く惨めだと誰もが笑うだろう。

おかしいな。
今までこんなこと一度もなかったっていうのに。自分のペースを保てなくなる。表面上の取り繕う姿を乱してしまう。ジルと僕のことに限って、他者の目線が気になって仕方ない。誰が歪だと笑おうと、平然と無視することが僕はできる人間な筈だったのに。
他者とは一線を置き、にこにこ笑い、交わすことができたはずだ。人間関係に執着しない。僕は僕の為にここにいるし、利用できるものを計算して人間関係を築いていたはずなのに。
おかしい。

眼鏡をかけてジルを見てみても、その可笑しさは拭えなかった。他者の目線が拍手喝采を僕に浴びせ、次の瞬間、指をさす。お前のそれは   だと。僕の気付いてしまったら、惨めで憐れな感情しか残らないものに何も知らない第三者は最後通牒を渡す。膝を抱え俯いても事実は揺るがない。平然とした顔つきで、そこに立っている。レンズをかけても、外しても、映る世界に変化はないだろうと告げられる。僕は知っているよ、と嘆くように呟くことしかできない。

「ずるいよ、ジル」

性交したせいで汗が硬くコーティングされた模造品の髪を融かし、さらさらに揺れる。性的な関係を持つ前は、彼の髪は硬いままなのだろうとなぜか思い込んでいた。まぁ、そんなことなかったわけだけど。この髪みたいに、性交をして変化したことは幾つかある。最大の変化は僕が幼少のころから、ジルのことを突き飛ばし見離せなかった理由が判明したことだけど。それは、認めたくないもので、認めてしまったら、敗北感を味わう気持ち。だけど、知ってしまった。
いちばんには、けして、なれないのに。

「僕より母親のことが大切なくせに」

未だに死んだように眠り続ける彼の唇に触れる。グロスは既に無くなり、乾いた皮膚の感触が神経から伝わる。僕はひっそりと落ちてしまった涙を彼の口内へと侵入させた。唾液と一緒に交じり合ってしまえばいい。
いちばんには、なれないのだから。
けれど、ジルは今日みたいに僕を求める。簡単に突き飛ばせるようなものだけど。それでも、僕のベッドに戻ってくる。昔からそうだ。一番大切な指定席は彼の母親が占領しているのに、必ず彼は僕の基に戻ってくる。ボタンを半分開いたまま放置されたあとだって、なにもなかったかのように僕の基に擦り寄り、てかてかに光る唇でキスをする。甘くもないキス。ジルの声は甘く伸びるようだけど。僕には虚しいだけのキス。
中途半端に期待させられて放置され、失望して、また期待させられるの繰り返し。

僕は苦笑が混じった笑みを残し、軋むベッドから立ち上がる。いつまで続くか判らない、虚しさだけが詰る気持ちを抱えながら。股の隙間から精液が垂れていて、気付いてしまった己が愚かなのだと、深々と告げていた。





ベッド



20110119



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