「帝は何一つ変わらない」






トラが吐き出した言葉に祐樹は身体を固まらした。自信満々な態度で祐樹がほしくて堪らない塊を陽気な笑みにさも、当たり前だというような態度で吐き出す。この友人の父を疑い、羨望の眼差しで見つめた。
トラという人物は祐樹にとって憧れが詰まったような人物だった。幼い頃から交流があり優しく接してもらった。歳をとっても変わらない美しい顔に痩身な筋肉がついた身体。自分が努力して手にいれた力を自覚がない才能によりカバーしている。羨ましかったが憎むことなどできない。豪快で繊細な性格がそれを保護し、なにより勝手に嫉み憎悪を抱くなど祐樹の中では許されないことであった。だからこそ、祐樹はトラに憧れを抱いた。このどこまでも温かで自身のすべてを押さえることが出来、他者の頭を簡単に撫でられるトラのことが大好きだった。
今日はトラの息子であるランに会いにきたのだが、不在だった。自分から呼んでおいて、と苦笑混じりに呟く。大方、姉が出かけるというので後ろをついていったのだろう。
トラの息子にあたる、ランや娘にあたるランの姉である壱夏は祐樹とは幼なじみの関係になる。
父親同士が仲が良く、住まいが近所というわけではないが、良く遊んだ。そもそも、彼らの母親にあたる人物は男であり偏見の対象だ。公園へ連れていき、疑心暗鬼な眼差しで見つめられる世界より、友人が集まるあたたかな世界を彼ら子どもに与えることを好んだ。自分たちがバイセクシャルだからと、幼い子供が云われもない迫害を受けるのが耐え難かったのだろう。
ランが不在と聞き携帯電話を取り出すと張本人であるランから一通のメールが届いていた。
「お姉ちゃんが出掛けるから俺も着いてく。ごめん、だから今日はいいや」
意外と淡白なランらしい内容で、しょうがないか、で終わらし帰宅するため踵を返そうとした。

息子の不在に対応したトラから呼び止められたのは、その瞬間だ。
いったいどうなって先ほどの話になったのか祐樹は覚えていない。しかし些細なことだ。リビングに案内され、向かい合いながら、祐樹が羨望する現実をあたかも当然のように吐き出したトラと喋るうえにおいて。



「すごいですね。どうしてトラさんはそんな風に言えるんですか」


祐樹はまるで白昼夢の中にいるようだと思いながらトラへ言葉を投げ掛けた。普段、どこか飄々とした印象を漂わせる祐樹にとって珍しい言葉であったが、それは祐樹にとって死活問題であった。
不変とは祐樹にとってある主、一生涯のテーマであった。虐待の経験があり、児童相談所に保護された幼い祐樹は養父に救われるまで、信じられる人間は一人としていなかった。今でさえ、信じられる人間は養父だけだ。しかし、成長と共に彼は諦めることを知ってしまった。人間とは変わりゆくもので、今とは違う感情が少し先にあるのは致し方ないことだ。
で、あるからこそ、祐樹は自身の恋人である、透が変わらない存在であると信じられなかった。今は確かに透は自分のことを好きだが、ふとした瞬間から、逃げ出し、自分以外と愛を育みだしてもおかしくない。ある日突然、その日が訪れても平然と受けとめる素振りをしながら、透が立ち去ったその後、発狂する経験を久方ぶりに味わうのだろう。そんな悲しいとも言える準備は出来ていた。
元々、透は地に足がつかない人物であるから、尚のことである。感情をすべて押し殺し生きてきた。むしろ押し殺すよう強制されていた傾向がある。ストーンフェイスという眉一つ微動せず立っていることが出来るのは、過去になにかあったとしか思えない。付き合って四年と僅か。未だに透の核心に触れたことが祐樹にとって一度たりともなかった。出会った当初の心を開かなかった淡白な態度か現在の取り繕う媚びた態度だけだ。
簡単なことであるが、自分が真剣に頼み込んでいることが、軽んじて受け入れられている現状がすべてを語っているようである。吹けば飛ぶ風船のように軽いとは言わないが酷似した内容で透は飛んでいき、自分から離れていく。まったく信じられない。
そのような現実を受けとめている祐樹にとって、トラの言葉は耳を疑うほどのものだ。
加えてトラは確信のない心持ちで言葉を吐き出したわけではない。単純だが、臆病な性格が幸いしてか、他者が関わる言葉は慎重に吐き出す節があることを祐樹は知っていたからだ。
トラはなぜそんなことを聞くのか理解出来ないといった顔つきで、沈黙を保つ為、コップに注がれた牛乳を飲み干した。


「別に。帝は俺のこと好きだからだ。それはずっと変わらねぇって知ってる。記憶喪失とかに、まぁ、ならなかったらよぉ」



たどたどしい言葉を紡いで語られる。自分が聞きたいのは、なぜ信じられるようになったか、ということなのだが、話を聞き、彼らの間柄を表すうえでの基本的な概念として、信頼があるのだと悟った。机の下で握りこぶしを作りながら、耐える。自分とは異なる世界で生きる憧れの対象を見つめながら。
一方、トラは祐樹に出された問いにより導かれた答えに満足していた。まさしく、その通りだからだ。トラにとって最愛の人間である帝は一生涯自分のことを慕うだろう。狂おしいほどに。帝がトラに与える愛情は普遍的なものだ。当然の権利として存在する。逆をいうならトラを愛さない帝など存在意義を持たないのと一緒だ。万が一、そんなことがあれば首を縦に振り愛していると認めるまで離しはしないが。
トラからしてみれば祐樹が保持する悩みの方が可笑しなことなのだろう。愛しているから共にいるのだ。愛していなければ共になどいない。そこにある愛の形が歪であったとしても手にいれた人間が勝者なのだ。疑うなど無意味なことである。








「あ、祐樹くんだ」
「マジ? 祐樹まだいるの。今日はごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「え、あーー待たせたから」
「な、なるほど。あれ、けど、約束してたの?」
「いや、そうじゃなくて、とにかく待たせたから……」



帰宅した壱夏とランが交互に声を出す。祐樹はできれば情けない感情が付きまとう瞬間を切り取られたくなかったので、必死に表面を取り繕って笑みを溢す。
トラの態度は祐樹には既に異次元の存在だ。同時にまるで透のことを信じていない自分の愛情が薄く感じる。
愛とはなんなのだろう。信じるとはいったいなんなのだろう。祐樹はこうしてトラと喋るたびに判らなくなる。
自分は透のことを愛している。けして薄っぺらくないと自負しているつもりだが、疑いたくなる。すべてを疑いたくなるなど、なんという愚考なのだろうか。では、なぜ、愛しているのに、透のことを信じてやれないのだろうか。


「あ、そろそろ帰りますね」


腕時計をみてタイミングを見計らったように祐樹は声を出す。一秒でも早くこの場から離れたかった。お茶を汲んでくれた壱夏が残念そうな眼差しで見詰めてくるが、配慮する余裕はなく、祐樹は壱夏の頭を撫でる。それだけで壱夏には伝わったようで、可愛らしい声色でばいばい祐樹くん、と言った。





駆け出した祐樹はぐんぐん走っていく。走っていると身体のなかに溜まった悩みが何処かへ消えていくような気がした。走るというのは祐樹にとって最早、呼吸と一体化した行為だった。どこをどうすれば身体が一番速く動くのかが自然と理解出来る。滴る汗も二酸化炭素が吐き出された息もすべてが自分の一部だ。腕を振る角度、爪先で地面を蹴る感触。
走るのが好きだ。普段、祐樹が覆い被せている理性とか人間として常識的に大切なものが剥落し、野獣になっていく。剥き出しの自分がみえる。
幼い頃からこうやって排出してきた。耐えてきた。走って一等になると褒められたので、余計に走った。ぐんぐん、ぐんぐん自分が纏っていた衣が脱げていく。息を荒立てて、いつもならば人間に戻る瞬間がこの扉を越えると訪れるというのに。野獣のまま、祐樹は扉を開けた。透のことになると、いつもこうだ。余裕なんてなくなる。面倒な自分が顔を出す。


「祐樹、帰ったのか。あ、そ」

喋りかけの透に抱きついて無理矢理唇を開かせる。ひんやりと冷たい頬に熱が吸いとられる。唾液を絡め合うように、粘着室な音を響かせた。食べて一体化してしまいたい。抑えきれない熱をすべてぶつけたかった。けれど、強引にこれ以上進むことは僅かに残った祐樹の理性が許さなかった。

「ごめん透。いきなり」


謝罪を述べる。祐樹にしては完璧とは言えない愛想笑いだ。透は祐樹の衣服を掴み、引っ張る。


「しても良いよ。祐樹、して、よ」

無表情ながらも祐樹にだけ読み取れる顔で透は囁く。けれど祐樹は衝動に任せて透を抱いてしまえなかった。ただ、熱い抱擁だけを透に求める。
変わった奴だ、と透は思いながら祐樹を見つめた。普段、理性的な人間なだけに目立つのだ。だが、祐樹は今までの奴らとは違い、変わった奴だと思った次の瞬間、どうしようもない胸を掻きむしりたくなるような衝動が沸き起こる。なにか祐樹のために自分はしたい。抱かれても良いのは本心だ。祐樹にだったら強姦されても自分は受け入れるだろう。


「祐樹、好きだよ」


届けば良いのに。この気持ちが。
俺もだよ、と返ってくることは知っている。しかし、そうではなく、心に届けば良いのに。上部だけではなく。
何に悩んでいるのかまるで解らないが、自分で役に立てることなら、立ちたい。俺が与えられるものってなに、と疑問を重ねながら祐樹の背中に触れていた。


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