嫌いって言われて動じない人がいますか。


祐樹はこの言葉に酷く心を揺さぶられた。成長するにつれ、徐々にだが逞しく成長した心臓が爆音を帯びて背後から近付いていく。好かれたい人間に嫌われるほど辛いことはない。嫌い、と言うような人間とつるんではいないが、幼い頃に言われた台詞が胸を打つ。

「子供なんか嫌いって言ってただろ。育てる気なんかないから、施設に返してこいよ! 和人! 頼むから」

今ならば突然の来訪者に素直になれなかったが故に飛び出した言葉だと解ってはいるが。本心ではない。親父は親父なりに過去があるのだ。しかし、胸に刻まれるものだ。
寝静まったと思い込んだ二人の会話を盗み聞きしたものだった。残念なことに虐待の経験から僅かな物音でも起きてしまう身体になっていたのだ。怒鳴り声が行き交う夜はその日、自分が殴られる合図なのだ。出来るだけ良い子にしていないといけない。和人を信じていなかった訳ではないが、過去の習慣で身に付いたものだ。
思い返せば当時の自分は和人や親父を試していた時期なのだろう。里親に引き取られた子供が良くとる手段だ。どれくらいまでが許されるか計りにかけて信頼するか決めるのだ。だから、起きていった。普段なら部屋で丸まって終わる所なのに。
聞こえてきた声色にうっすらと絶望の二文字が心臓から血管を通して巡り合わせた。
幼いながらに利発な祐樹は和人はこの怒鳴りたてる柴田という人間が否定すればあっさり自分を捨てるだろうと思っていた。長年連れ添った関係を投げ捨ててまで和人が自分を選んでくれる、と思うまで信頼はしていなかった。嫌われるということは捨てられることだ。廃棄される。
自分という存在が。また、あの殴られ、食事は吐瀉物な日々が戻ってくる。呼吸困難になり息がつまる。お願いだから俺を嫌わないでくれ!

他の人に嫌われるならともかく、この二人には愛されていたかった。引き取られた日から。嫌いと言われたあの時から。なにより、祐樹は二人のことが大好きで溜まらなかったからだ。嫌いと言われた日以来、何処と無くぎこちない行動を取っていた祐樹に和人よりも親身になって接してきてくれたのは、自分を否定した親父だった。引き込もっていた祐樹の手を取ってお絵かきを一緒にしてくれた。クレヨンを新調してくれてお絵かきをした。なにより、嬉しかったのは、名前の欄に自分の本名ではなく、かわいらしい字で「いいねまゆうき」と書かれていたことだった。それは紛れもなく親父の字で家族になって良いよ、と遠回しに言われているようだった。泣いては駄目だ。子供が嫌いな大人は泣き声が鬱陶しいのだから。歯を食いしばっって耐えた。時間はかかったが、柴田亮平という人間も自分という存在に寄り添ってきてくれたのだ。嫌い、と言われた否定され続けた記憶は徐々に埋没していった。しかし、嫌われたくない、という感情は残る。しつこい癌のようにこびりついて離れない。一生。胸のなかに居座り続ける。祐樹が自分へかってにかけた魔法は出来た人間になることだ。だから小学生のとき、途中まで社交的に振る舞えなかった自分が大嫌いだったし、きっかけを与えてくれた透に感謝と多大な愛情が芽生えたのだろう。
世界中の誰に嫌われてもよい。甘んじて受けるが、この世で嫌われたくない人間がたった二人だけいる。飯沼和人と柴田亮平だ。透は嫌われてもよい、ということはないが、また別枠のように祐樹は扱っていた。嫌いとか好きとか、そういう次元の話ではないのだ。
ただ、和人と親父は違う。ずっと、ずっと二人には家族として自分を認めておいて欲しいのだ。



20120208

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