きみがいう愛とやらはそんなふやけてぐにゃぐにゃ歪んだ紙のようなものなのか





side……慈雨 






臆病な俺は告白に使用する年月として二年を費やした。口に出したのが高校三年生の六月だ。梅雨で湿っているせいかワックスののりがあまり良くない。
臆病が焦りに勝利したのだ。数日前、つぐみと一緒に喋っていると欲望が嘘みたいに俺の背中を這いずり回った。テスト週間で疲れていた俺の瞼につぐみは優しく振れて「大丈夫」と言ったのだ。つぐみに心配されるのは悪くない。俺は平気で大丈夫だと言うけれど、心優しいこの子は俺のことを気にして「大丈夫なら、よい、ん、だ、けど。あ、あの、ココア作ったから、休もうよ」と籠った肉声で告げてきた。つぐみは昔から俺のことに親身になり心配するが、けして俺の自尊心を傷つけるようなことをいわなかった。
無理しているということはお見通しなのだろう。鈍い人間ではない。
つぐみは俺に「大丈夫」としか尋ねない。大丈夫だよ、と答える。慈雨くんはすごいねぇ、とつぐみが言う。俺はつぐみのこのような一面も愛しているのだろう。同時に、ずっとこれを俺にだけに向けておいて欲しいという欲望が湧き出した。日常の一コマ、一コマに切り取られた形で愛しさは存在するから恐ろしいのだ。
一生繋ぎとめておく関係でいられるのなら名前に大した拘りはなかった。つぐみが許可してくれるものと信じて、震える彼の身体を抱きしめる。物事を慎重に考えるつぐみは思考した上で返答するだろう。つぐみの中で流れる時間は他者よりゆっくりと進んでいるが、思慮浅い人間ではなかった。
結果、つぐみは自分のペースであるがしっかりと俺の身体を抱きしめ返してくれた。「僕、慈雨くんと付き合うよ。だって、僕の慈雨くんのことが好きだもの」舌足らずな喋り方で俺に告白された科白は身体の中に粘膜を張り巡らせていき、心臓がどくんと音を立てる。
この音は興奮だ。
俺はゆっくりとつぐみに合わせるように抱きしめ返した。頬を持ち上げ、微かに伸びる睫毛を見つめるようにつぐみの淡い唇に口付けをする。つぐみの唇は家族の誰よりも薄いピンク色をしていた。
桜のようだ。
初めての口づけは酷く俺を安堵させるものだった。子どもが秘密基地を見つけ出した時の興奮と誰にも言わず木の根の上へと登り寝ている姿と似ている。これで、ずっと一緒にいてくれるんだよね、と思った。キスをした後のつぐみは慣れない動作に身体を硬くして、腕にしがみ付いていた。自分では立っていられないようだ。


「慈雨くん、ごめん、ね。僕、もう」
「あ、こっちこそ無理させてごめんね」


あはははと空虚な空回りが行き交うみたいに笑いあうとつぐみの手を引っ張り帰宅した。家に帰り、幸せが円満する食卓で発表しなければならないことが一つ存在した。俺は母さんの双眸を見つめながら、茶碗と箸を机に置き、口を開く。


「俺とつぐみ、付き合う事になったから」



家族は驚きだったが、母さんは他の誰かに取られるくらいなら、俺とつぐみが付き合った方が良いと判断したのか、笑顔で答えてくれた。気になったのが父さんの反応だ。俺と瓜二つの顔を動かしながら、手前に座っていたつぐみの顔を覗き込んだ。つぐみは緊張していてたどたどしい動きだったけれど、父さんは何も言わず、顔を元に戻す。
俺と同じだというのに、この人はどうして人形のように鋭利な一面を隠し持つ気配が立っているだけで放てるのだろうか。結局、父さんは何も言わず、ただ、食事中だというのに母さんの腕に纏わりついて離れなかった。父さんの行動はつぐみに似ている。異論はないらしいが、奇妙な行動が目立つ。可笑しな行動はいつものことだけど。気掛かりだ。父さんは見るからに天才だと判るような一面ばかりを押し出してくる。俺もこうであれば良かったのに。


「慈雨、つぐみ。付き合うっていうのは、判ったから。お互いを今以上に大切にするんだよ」


母さんらしい返答だった。兄弟も納得したように首を縦に振った。俺たちは二人でしかおおよそ理解出来ない雰囲気を曝け出しながら、安堵するように手を取り出した。
これで俺たち、ずっと一緒にいれるよねという傲りが後の俺に後悔を齎す。馬鹿だなぁ。
いつまでも賢くなんてなれない。
恋人同士になどならなければ良かったのに。俺たちの愛は一筋縄ではいかず、ぐしゃぐしゃに歪んで皺だらけの愛情なんだから。
けれど、当時の俺は浮かれていたと表現しても良いくらい、能天気だった。








「じ、慈雨くん」
「どうしたのつぐみ」
「あのね、大学、なんだけど、慈雨くんはそのまま進学するの?」


日曜日の昼下がり。二人で部屋に引きこもってつぐみは俺のソファーの上で寝転びながら写真集を眺めていた。硝子の結晶だけを集めた写真集で俺はそれのどこが楽しいのか判らなかったが、つぐみは恍惚だというように頬を赤らめて眸をとろんとさせ写真集を眺めていた。
俺は勉強をしていたので、つぐみの問いかけに筆が止まる。大学に進学するのは当然のことだと考えていた。幼馴染組は皆が持ち上がりになるし、身内が運営する学校に入学すると学費も安くなる。祖父が望むレベルの大学と言っても申し分ないし、つぐみの当然、一緒に進学するのだと疑ってもみなかった。



「そのつもり、だけど?」
「そうなんだぁ」
「つ、つぐみは違うの」
「僕? 僕もそうだよ。だけどね」
「だけど?」
「これで良いのかなぁって。このまま、進学して。僕、何になりたいのか、さっぱりわからないし、正直な話、何もなりたくないもん。ずっと寝転んでごろごろしてたい」
「みーちゃんが聞いたら激怒しそうな内容だね」
「うん」



怠惰したつぐみらしい回答で心が急速に落ち着いていく。立ち上がりつぐみの咽喉元を触ると、つぐみは咽喉を鳴らした。子猫のようだ。けど、以前は、これで良いのか、という疑問すら持たなかったのに、どうしてしまったんだろう。つぐみは何も考えなくて良いのに。俺の後ろをついて回れば良いだけなのに。可笑しいね。



「働きたくもない、つぐみ?」
「うん。働きたくない。欲しいものもなにもないから。だから、慈雨くんがバイトしているのとか見ると凄いなぁって思うよ。僕、バイトでも無理だもん」
「欲しいものが俺は多いから。それだけだよ」
「けど、大変なのは大変でしょう。働いて疲れない人はいないから」



ね、と俺にだけ見せる顔で笑うから、頬っぺたに触れ軽くキスをした。驚いていたけれどつぐみは喜んだ。恋人同士になってからというもの、つぐみは恋人らしい動作に一喜一憂する。初めての恋人なので珍しいのだろう。恋人だけど、関係は今までと対して変わらないというのに。なんでも喜べて可愛い子なのだ。
つぐみは頬っぺたを俺の手に擦ってきた。続きがして欲しいらしい。けど、駄目だよ。抑えが利かなくなる。
暴走した俺をきっと君は否定してしまう。頬っぺたの皮を剥がして、痛いよ許して、許して、慈雨くんって泣き叫ぶつぐみが本当は見たいなんて言ったら驚愕のあまり、足を震わせ失禁してしまうかも知れない。俺を怖がって欲しいわけじゃないんだ。ただ、縋って耐える姿に興奮するだけで。




「だめだよ、つぐみ。勉強しているから」



おでこに軽いキスを降らし、俺は離れる。つぐみは不満そうな顔をしながらも、写真集に視点を向け、気持ちを切り替えた。恋人同士の他愛無い戯れを終え、再び俺は机にしがみつく。
エスカレーター式なので受験は無いが、学期末の最終テストが用意されている。一番は無理だろう。壱夏がいるので。間抜けそうな顔で頭が良いというのは反則だ。しかも人間的に壱夏は欠落していない。どこまでも優しい女の子だ。少しつぐみと似て卑屈だけど、花が咲くような雰囲気はそれを気にさせない。顔も整っており、運動は得意ではないが女というだけでそれが許される。
勉強、向こうはしているのだろうか。
壱夏には勉強で勝てたことがないので、今回も負けるだろう。だが、それはまだ許される範囲なのだ。家族ではない「身内」というカテゴリーに所属する人間であるから。次点で俺ならば。少し怖いのは俺の後ろで寝転びながら写真集を読むだけしかしない、つぐみに負けることかな。祖父が俺よりつぐみが優秀なんて勘違いされても困る。
最近、いらない目覚めを受けて、成長する兆しを受けるつぐみのことが、心底、おそろしい。つぐみは、ずっとそこで寝転んで俺の横にいれば良いのにね。君はどこにもいかなくて良いんだ。




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