歩みを止めるすべさえ知らず、ただ耐えるばかりのこの世では、ひとりぶんの心臓ではたりない





side……つぐみ








愛しているはとっても恐ろしい言葉だね。麻薬みたい。



僕の顔はとてもお母さんに似ている。お情けみたいな吊り上った目は笑うと頬に埋もれてしまう。同じくらい小さい鼻に、御猪口が張り付いたような口。お母さんと同じ、似ている。無表情でいれば。表情がつけられれば、僕とお母さんはまるで別人になる。行動が素直で人間関係を構築するのに長けているお母さんは自信に溢れていて芯がしっかりした人間だ。
僕とは正反対。
姉であるみーちゃんはお母さんに性格まで似ている。身長は小さいけど。
だからお父さんは僕の事嫌いなものとばかり思い込んでいた。僕の行動は見ていた苛立たせられることが多いから。けど、そんなことないって最近知った。「つぐみの行動はごちゃごちゃしてなくて好きだよ。充葉は充葉だけどぉん、つぐみはつぐみでしょ。オレはぁん、つぐみのことはつぐみで愛しているよぉん」だって。嬉しかった。今でも思い出すと胸の中で反響して泣いてしまいそうになる。愛しているはとても恐ろしい言葉だと自覚した。
誤解が一気に消失してしまうくらい。


誤解を無くすことが出来たのは慈雨くんのお蔭で、慈雨くんが僕を励ましてくれたからだった。良かった。お父さんは話してみると僕と物事の見方がとても似ていて楽しかった。似たもの同士なんだ。血は繋がっていないけど、些細なことだよね。血の関係なんて。実の親でも虐待して子どもを滅ぼす人間もいるんだから。



慈雨くんに誤解がとけたことを報告しに行った時から数日後の話だった。

慈雨くんからおそろしい言葉を聞いた。僕が望まなかった言葉だった。慈雨くんは切羽詰まった表情をのぞかせ、僕の二の腕を掴んだ。表情を見た瞬間、もう慈雨くんが僕になにを言いたいのか察知できた。やめて! と言って腕の中から逃げ出したかったけど、腕はびくともしなかった。檻に囚われているみたいに。
慈雨くんがそろそろ僕に告げてくるだろうという兆候はあった。それまで慈雨くんは好みの女の子が告白してくれば当たり障りないように返事をし、時には「良いよ」と言っていた。僕もそれで良かった。慈雨くんの一番が僕であるっていう確証は彼女が出来たくらいでは変わらなかった。
僕と一緒にいる時間を一番優先する慈雨くんではないけれど、僕に向けるあの零れてしまいそうな笑みは変わらずだった。
女の子と一緒にいるときは仮面を張り付けたように笑うのだ。こういう感情をきっと優越感っていうんだろうな。恥ずかしい。僕ごときの人間が抱いてはいけない感情だ。慈雨くんに彼女が出来ても僕は知らんぷりしてきた。僅かな安堵を抱いて。均衡が崩れたのは高校に入ってからの話。
好きな人がいるからと頑なに慈雨くんは告白を断り始めた。
嫌な予感っていうのは大抵あたるから、少し面白い。円周率を呪文みたいに唱えてもなんともならない予感が現実となって僕の前に降り注ぐ。慈雨くんのことだから僕に告白するまで二年以上年月を要するだろうとなんとなく思いながら誰にもなにも言わないで、って願いながら俯いていた。僕は今の関係を壊したくなかった。慈雨くんが告げてくる言葉を判り切っていたからこそ。駄目だよ、慈雨くん。慈雨くんには僕を好き勝手する権利があるんだから。


わからないのかな。


家族以外関係になるということは僕らの中で抑えていた感情を吐き出しても良い権利を互いに貰えるということなんだ。良いこともあるけど、悪いこともある。慈雨くんは僕のことを見つめるとき、もちろん、性欲があるという事も前提としているけれど、それより家族というカテゴリーに所属する慈しみをくれる。恋愛が一番じゃない人間だ。対して僕は一度、恋愛という感情を与えられれば依存するように縋りつく人間だよ。
一番でありたいから、言い訳として一番良いんだ。だって恋人同士でしょうっていう言葉が。そうすると辛くなるのはお互いで、ひしひしと足音は近づけられるように、崩壊してしまう。一緒にいたい。一緒にいたいよ、慈雨くん。だから、言わないでよ。慈雨くん。やだやだやだって今こそ逃げ出したい。慈雨くん。恋人同士は一生涯共に居られるかもしれないけど、別れるリスクが高くなるんだよ。慈雨くん。僕は貪欲になってしまう。制御できてしまえる程度ならよかったけど。僕の感情はその程度では収まらない。貪欲になる権利を与えないで欲しい。




「つぐみ、俺と付き合ってよ」




言っちゃった。
しょうがないことなんだけど、僕は返答できなかった。生唾をごくんと飲み干す音が聞こえる。慈雨くんの体温は急上昇中。慈雨くんの心音は速度を速める。臆病な僕に合わせて。本当は断ってしまいたかったけど、断ってしまったら慈雨くんは僕から離れていくだろう。慈雨くんのプライドは実は他の人より高い。暫く距離を置きたがると考えて良いかも知れない。僕はそれが嫌だった。自分勝手であることなんて知っている。


「ちょっとだけ、待っていて」


腕を離してくれるように懇願して、鋼みたいな指を一本、一本剥がしている。昆虫が服にくっつく原理と似ていた。
僕は珍しく走って家の扉を叩いた。お父さんはたいてい家にいるので、お父さんの胸に駆け込み、大粒の涙で赤ん坊のように泣いた。お父さんは落ち着くように僕の背中を撫でてくれた。慈雨くんと同じ手の大きさなのに、慈雨くんの撫で方と違い、慈雨くんの変わりになる人なんて誰もいないんだと忠告されたようで寂しかった。わんわん泣き出した僕にお父さんも最終的に一緒になって泣いた。抱き合って心臓が重なるように泣いた後も、僕が欲しい心臓じゃなくて、痛い。僕はお父さんに慈雨くんに告白されたことをたどたどしい口調で語るとお父さんは納得したかのように首肯した。
お見通しだったようだ。お父さんは落ち着いた口調で「つぐみのしたようにすれば良いよ」と言った。僕が断っても僕は一人じゃないよってことも遠回しにだけど言ってくれた。お父さんの例え話は楽しい。わかりやすい。けど他の人には難しくて通じないと嘆くお父さんがなんだかおもしろかった。





「慈雨くん」


他の友達と喋る慈雨くんの裾を引っ張る。慈雨くんは友達に頭を下げ、僕の方にきてくれる。学校で話すべきじゃなかったかも知れないと思いながら腕を引っ張っていく。大理石を削られて構築された金持ち学校丸出しの階段を下り、特別教室が陳列する北館へと足を運ぶ。ポプラの木が中庭では靡いており、緑の葉っぱが雨に濡れていた。
晴れていたら中庭のベンチでもう良かったかもしれないと思いながら空き教室の扉を閉める。埃臭くってじんめりしている。普段使われないからだ。
予備音楽室と云う。
無駄にしか思えない。父方の祖父であるネー爺が運営しているから笑えないけど、僕はいらないなぁ。けどネー爺には僕には考え呼ばない答えが隠れているはずなんだ。賢い人だから。寂しい人でもあるけれど。



「あのね、慈雨くん」
「うん、なにつぐみ?」



余裕綽々の顔が崩れてきたみたいで慈雨くんの眉は垂れ下がっていた。駄目だなぁ、僕。慈雨くんにこんな顔をさせるなんて。慈雨くん、僕を傍に置いてくれるなら、僕、なんだってするよ。
この返事をしたあとから、努力するってことを少しは覚えていこうと思う。慈雨くんと釣り合うくらい頑張れる人になるから。お願いだから、一緒にいて下さい。慈雨くん。僕は一つの心臓だけで生きていける自信がまったくないんだ。




「僕、慈雨くんと付き合うよ。だって、僕の慈雨くんのことが好きだもの」





はじまるのはいつだって簡単なことで、拍子抜けてしまう。





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