いつのまにか刷り込まれた愛の定義に溺れる






周子の髪の毛が雨上がりに出来た水溜まりに反射してきらきら光る。水色の透き通るような綺麗に染色された髪の毛の光沢が自分の真横にいる人間ではないというように、自信たっぷりに映った。周子はいつだって自信に溢れている。指先に至る神経まで動作一つ一つが周子の自信だった。勉強が飛び抜けて出来る訳でもなく、運動が化け物みたいに出来る訳でもない。そりゃぁ他の人に比べれば負けないくらいなんだって出来たが、この人間は特別な存在なんだと言わせる畏怖のようなものは、まったく持っていなかった。頭が良いというのは分かる。ずる賢い頭の良さだ。秀才というより、悪がきという表現が周子には当てはまるだろう。


「晃、帰るっぞ」


所有物だというように周子は声を張り上げる。斜めにかける黒い皮で構成された鞄は安物だが周子が大層気に入っていたものだ。当然のように鞄は周子に浸透していた。肩にかけられた鞄を揺らしながら、晃に声をかける。晃は慌てながら立ち上がり、机の角に太ももをぶつけながら周子の側にやってきた。強打した音を聞き、周子は「だっせぇ」と鼻で笑ったが晃はそれで満足だった。昇降口まで行くと雨上がりの水溜まりがあった。周子の髪は相変わらずきらきら映る。停められてあったバイクに周子は鍵を差し込む。重圧感がある黒の光沢を弾かせているのに、無駄がなく、周子はこのバイクも気に入っていた。晃はこいつは昔から黒が好きだと苦笑いしながら、胸元に投げつけられたヘルメットに微妙な痛さを感じた。乗れと指図が飛ばされる感触がこんなにも嬉しいのは珍しいことではない。自分専用といっても遜色ないヘルメットを被り周子の後ろにしがみつく。バイクの後部座席に座れる人間はあまりいない。恋愛感情を抱いていると暴かれている人間は特にだ。
周子は女らしい甘い香りが好きでなかった。幾重にも鼻腔を交差する匂いを好まなかった。彼の母親が放つ匂いに似ていたからだ。シングルマザーに育てられた周子の夜の遊び場はキャバクラだった。待合室で大人しく利口に待つ周子を誰もが可愛がった。普段は周囲に溜め池を吐き出す悪がきである周子だが、自分の立場をしっかりと弁えていたのだ。大人しく媚びを売れば母親に迷惑をかけないことを周子は知った上で幼少期を過ごした。そんな周子だから女特有の香りが嫌いなのだ。香水の甘ったるい香りは彼の性欲を抑制させるのだろう。周子の遊び相手に香水を首筋から放つ女は一人たりともいなかった。有名な話だ。当然、晃もつけていない。また、それ以上に女が放つ媚びた弱さを周子は嫌った。いやぁん出来ない、なんて言っている女に生唾を吐き出し蹴り飛ばす光景を晃は何回も見てきたのだ。なぜ、嫌いなのかわからない。ただ、見つめていると女の弱さは彼の誇りを傷付けることだと知った。周子は自信に溢れた人間だ。自信は彼の誇りだった。並べられた装飾品にも意味がある。自分の女が女らしい弱さや汚さを吐き出す瞬間が周子はどうしても許せなかったのだろう。だから、晃が女らしい汚さを見せた瞬間、殴り飛ばした。ダサいと嘲笑ったあと、何人もの人間を殴り付け硬度となった拳を晃にぶつけた。晃とて、殴られた瞬間、自分が持っていた汚さに嫌気がさして、殴った周子も殴る原因となった相手も、自分自身にも怒りが沸いてきた。
痛さが周子を好きだという証になるなら糞見たいな愛情だと嘲笑う。
ずっと見てきたからなのか晃は周子が好きな相手が誰か周子以上に知っていた。中学に上がりたての時に好きになった相手は坂本透という男だった。晃は双眸で見た時から、またか、と落胆を抱く。周子の好きな相手は昔から穢れていない人間が多かった。実際、内心がどう見えるかは関係なく周子が好きな人間は透き通って見えた。海月のような人間が多く、醸し出される気配に周子は頭を殺られてしまうのだ。しかも、素直ではない周子は好意を抱く相手を見つけると自分一人が独占するかのように他者からの離別を求め迫害した。加えて相手も自分が好きであると思い込んだ。柔らかな膜で自分に言い訳をするように。不器用な愛だと晃は思った。だからこそ、周子が透を囃し立てる光景を見ながら心臓の裏側から血液がどくどく沸き出す音を聞いたのだ。周子が嫌う女らいし嫉妬だと知らず、頭からバケツで水をかけた。我慢出来なかったのは、周子が選んだ相手が自分と同じ男だったことだ。ふらふらして周子のことなど、どうでも良い癖に玩んでいるように晃には見えるのに、傍にいる同じ性別だと分類される自分を周子はけして選ばなかった。以前、自分の気持ちが暴かれてしまったとき、哄笑したくせに。涙に色が着けられるなら血の奥深い黒ずんだ赤が剥落しただろう。どうしようもなく苛立ち、透を迫害した。水をざばーん。靴をどろどろ。机はぎとぎと。
周子が嫌う行為だ。彼の誇りを傷付けては意味がない。頭の片隅では理解していたが、腕はぬるりと動いて止まらなかった。

もしかしたら周子に好かれたいのなら、お前になど興味がまありません、といった態度を続ければ良いのかも知れない。周子は今まで、好きになった相手が振り向いた途端、面倒だと眉を寄せ、腹からため息を吐き出していたのだから。自分を好きな相手には興味がないなど、なんて身勝手な愛情なのだろう。しかし身勝手な自信こそが周子が持つ最大の魅力であると晃は思っていたので何も言わなかった。横暴で攻撃的であるからこそ、惹かれるのだ。

「着いたぞ、降りろよ」
「あ、うん。降りる、降りる」
「ノロマ」


考え事をしていたのだ、と反論しようかと思ったが止めておいた。古びた海辺に隣接する倉庫を勝手に改造した溜まり場に到着する。厳つい不良と一目で分かる軍団が屯っており周子を見るなり頭を下げる。どこかの漫画で見るような陳腐な光景だと晃は内心毒ずく。喧嘩好きというより、有り余った力を発散させ、人間の醜さを再確認するかのように、周子は喧嘩に明け暮れ、阿呆と名付けられるようなチームを作り上げてしまった。総長ではなく副総長だというのも面倒を丸投げする周子らしい一面だ。彼は昔から小さな我慢で美味しい所を霞めとるのが得意だった。
顔を上げると周子に抱き付く女の姿が見えた。豊満な胸に嫌気がさすが周子は臆することなく、当然のように胸を揉み始める。女などインテリアと同じなのだ。以前、周子が晃に対して女の気持ちよさを知らないのは損だと言ってきたことがあった。抱いてみろよ、と要らなくなった使い古しを晃に押し付けた。磯巾着のようなヴァギナを周子は晃に見せつけ、勃起しない晃を意気地なしの気持ち悪いホモ野郎だと罵った。女に性的欲求を抱かないのだから仕方ない話だと晃は自分を慰めながら、周子が好きな自分の存在を疑った。正直なところ、いくら殴り飛ばしても足りない怒りだった。しかし、やはりその傲慢な所も含めて好きなのだと納得した。で、なければ、このような男の何処が良いのか。


「晃、立ち止まるなよ。早くこい」
「行く。あ、飲み物、は」
「ファンタ買ってこい」

当然のように金は晃持ちだ。理不尽。だが、嫌いになどなれない。ましてや、興味がないふりなどできない。晃はいつまでもこの魅力的な背中に釘付けなのだから。





(へそ)