「的中! 当たり」

判定の声が桜吹雪の中で舞いあがる。部活勧誘を目的としたオリエンテーションの中で審判の野太い声が新入生たちに希望を与える。
弓を構えるのは夏目だ。
弓道部に入部し一年が経過した。
飛びぬけて上手いという訳ではないが、籤引きで負け勧誘の一環で行われる活動に参加させられることになった。夏目が本来、持ち合せている気前の良さに、同級生は囃し立て急かすものだから、失敗するのではないかと冷や汗を掻いた。成功し、一年生の輝かしい双眸を前に隠れて安堵の息を吐きだす。
思えば自分も一年前、この中に紛れ、弓道衣を身につけ精悍とした顔つきで矢を放つ先輩の姿に憧れ入部を決意したのだ。背筋を伸ばし胸部を上げ、精神力を高めながら放たれた矢に、同じように双眸を煌かせた。元々、運動を行うのが好きだったが野球をする気もサッカーをする気にもなれず、観戦するだけだった。自ら、汗を流し真剣に楽しみたい! と感じたのは夏目にとって弓道が初めてのことだった。小学校に残してきた佐治との思い出を払拭するかのように日夜、弓を握った。夏目の予想通り、直接、佐治が夏目の前に現れることはなかった。ようやく、一人でも歩んでいける日が来たのだと、弓道が楽しくなり周囲を見渡すことを怠惰した夏目はそう思い込んできた。
今、この瞬間、新入生に隠れる佐治明の姿を見るまでは。



「夏目」

天使のように柔和な笑みが毀れる。
佐治は久方ぶりに血液が沸騰する音を聞きながら弓道衣姿の夏目に見惚れた。痩身の腕には一年間運動をした勲章の筋肉が付いており、緊張の為流した汗が頬を伝い剥落する。髪の毛は幾分、伸びたようだが運動部らしく短髪で野暮ったい。熟れた唇に、下がった双眸。小さな虹彩が事態を飲みこめないと輪を描く。自分とは対照的だと佐治は思いながら夏目を見つめた。

「明、どうしてここに」

夏目の言葉に周囲が沸く。煩い連中だと思いながらも、俯瞰した視線上で佐治は夏目をじっくり見つめた。驚いている。開いた口が塞がらないらしい。どれに驚いているの? と幼稚に尋ねてみたい。生まれ付き色素は薄かったが金髪に染められた髪なのか、丸を描くように切り揃えられた髪型なのか。変わらず整った異国の血を引くと錯覚させる伸びた睫毛、整った弧を描く口、筋の通った鼻。女の子だと勘違いする顔立ちか。会わなかった一年間でも然程伸びず、夏目より低い身長か。それとも――どうして自分がここに居るか、ということなのか。

「親に言われて。それに夏目と一緒だったら丁度良いかなぁって思ったから」
「あ、そうなんだ」

答える口が塞がっている状態で良く捩じり出したものだと、自身の想い人に佐治は称賛を贈る。

「弓道してるの?」
「まぁ、見ての通り」

弓懸の下から覗く手首の無骨さに佐治は愉悦に浸る。変わらぬ優しさが詰った手だ。直接会話を交わすのが一年ぶりといえ、観察だけは堪えなかった。弓道を始めたせいで、指に出来た肉刺の、大きな男らしい手。園児の時から変わらない、日溜まりのようだ。双眸から涙が出そうなのを抑える。今日は感動の再会を彩る日。森夏目という人物と佐治明という人物が綺麗に幻想的に絵画のように再会する日。

「俺も弓道始めたいなぁ」

周囲は歓喜に溺れる。夏目を囃したてていた部活仲間は夏目の顔を小突く。美形と表しても良いし男の目から見れば美少年、美少女と表しても良かった。中世的な佐治の容姿には誰もが魅了された。風紀を乱す為良い方向に見られない染色された金髪が逆に佐治明という人間の美しさを倍増させる効果を担っていた。目を引く人間が一人でも入部すれば入部希望者が増加する。部員達の歓声に転がされながら、一人、森夏目は反転した世界で佐治を見つめた。
浮かび上がるのは疑問。
別れを果たした筈だ。
無意識に、安堵していた不安が再び扉を開く。あの日、佐治に声をかけた日から連なる記憶が束となって夏目の身体を包みこんでいった。咥内が震える。今、初めて、自覚したと言わんばかりに。佐治の異常な執着心が双眸の隙間から覗き見ることが出来たのだ。佐治は何気ない変わらない顔で夏目の手を握る。園児の頃から変わらないというのが、夏目にとって畏怖を与えているとは佐治は思いもよらない。幼い頃から一人だけ、人より先に大人となった佐治は悲しみと切望に震える手で夏目を握り締めた。本当はこの場で抱きしめて、自分は夏目の所有物であり夏目も自分の所有物なのだと主張したいが、肝心の夏目の心が手に入れなければ意味がないので、奥歯を噛み締めて我慢する。

「よろしくね、夏目」
「あ、ああ」

手のひらを握り答えてしまうのが夏目の愚かしい優しさであり、佐治が羨望を抱くものでもあった。佐治は堪えていた一年間を爆発させるかのように夏目の体温を食べつくした。視線で舐めるように。
佐治は同時に、これから先の計画という夢を見ながら、恍惚に陥った。夏目が自分の手中に落ちて来てくれる手を模索しなければならない。
この一年、ずっと考えた。夏目の温度は。
どんな声で、どんな動作で、自分を包み込んでくれるのだろうか、と。身長を伸ばさない努力もした。
夏目が女子というだけで夏目の視線、性欲や寵愛や保護を受ける汚らわしい生き物を好んでいるということは熟知している。恋愛面に乏しい夏目であったが、中学生になり思春期を経験すると共に、女子という存在に興味を抱き始めたようだ。密かに潜ませてあったカメラが捉えた夏目が初めて自慰をする姿は声だけで耽美的で、性欲を掻きたてた。
あの声を漏らしながら女を抱くのだと考えただけで腸が煮えくりかえった。内臓が踊る。臓物が出口を彷徨った。自分が身体の奥底から苛立っていると分かり安直だと笑うと共に納得せざる負えない状況だと陰茎に手をかけた。違う。あの手に包まれるのは自分なのだと言い聞かせた。夏目をこんなに愛している人間が他に存在する筈もなく、夏目が他者を選択するなどあり得ない。自慰くらい許そう。寧ろ、自分を掻きたてる材料なのだと、納得しよう。大丈夫。こんなに、好きなのだ。夏目が存在を消してしまうと心拍数が低下し、止まってしまうくらいに。落ち着け、と念じる。夏目だけだ。常に佐治の心をかき乱すのは。
知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている、知っている。重々、承知だ。
だからこそ慎重に。摘出された卵子に触れるように。排出された精子が抗うように必死になりながら、求めれば良い。

「入部届けってどこに出せば良いの」

将来、夏目がこの手に抱くのは自分だけだ。



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