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「あのねぇ、充葉ぁ。今日、話すって言っていたでしょう? 母さんで抜けたか、抜けなかったかぁ」

唇を離したジルは唐突に話しかける。呼吸が整わない僕は荒い息をたてながらジルの話に耳を傾ける。自然と、口づけされた唇を拭こうと手が動いたけど、知らない間にジルのネクタイにより頭の上で纏められ結ばれていて、動かない。
解こうとしたが、よほどきつく縛ったのか、緩和する気配もしない。ジルは僕の貧弱な抗いを見て、にやにや笑いながら、話を進める。
業とらしい動作の数々が長年見続けてきたジルの報告をするときの動作と同じで、本当に自分と口づけしたのは幼馴染なのだと、じわり泣きたくなってきた。キス、なんて望んでいなかった。そして、おそらくこの先に待っている行為も。

「昨日の夜、やってみたんだぁ。オナニー。親父が休みのときなんて定期的に声がぁ聞こえてくるしさぁ、この前、佐藤? 里中? だっけぇ、誰だったか忘れたけどぉ、借りたAVに母さんの顔重ねて、音消してねぇ、抜いてみたのぉ」

ジルは昨晩の様子を事細かに喋った。坂本の名前もお前は覚えていないのか。
本当は僕が今、押し倒されている机に肘をつきながら聞く筈だった話を。

「それでねぇ、自分のちんこに手を当ててねぇ、しこってみたのぉ。けど、ねぇ、充葉ぁ」

ジルは次の言葉を吐き出す前に一瞬、絶望に満ちた顔を僕へ見せた。

「抜けなかったのぉ。それどころか、勃たなかったんだぁ」

悲観に満ち溢れたジルの肉声。言い終わるとジルは僕の薄っぺらい胸板に顔を沈ませる。いつもだったら、ここで適当に頭を撫でてあげるのに。縛られた両腕はそれを許さない。
母親で抜けなかったと聞き、安堵の息を漏らした僕の心は一瞬、油断していたのだろう。ああ、良かった、あの女はジルのそういう対象ではなかったのだ、と。

「けどねぇ、充葉ぁ」

ジルは僕から顔を離し、再び愉快に笑いながら僕の眸を見て話す。

「今日さぁ、めんどくさい呼び出しが終わって、教室で待っている充葉にさぁ、昨日の絶望を聞いてもらおうって思いながらぁ、誰もいない教室を開くとねぇ、充葉はいたんだぁ。そしてねぇ、寝てたのぉ」

確かに僕は寝ていた。お前が来るのを待っていると眠たくなってきて、気付かない間に瞼を落としていた。目が覚めたら今のような悪夢が繰り広げられているのだから、寝ていたことを否定する気持ちはない。けど、未だに、この現状が夢の中なのだと信じたい自分はいる。

「机にねぇ、唾液を垂らして、情けない油断した顔で、充葉ぁはぁ、寝てたのぉ。久しぶりに見たなぁ、充葉の寝顔ぅ、なんて思っていたんだけどねぇ」
「じ、る」

なんとかジルの名前を呼んだ僕の声を聞いてジルは気を良くしたのか、どこまでも無邪気で残酷な笑みで笑ってみせた。子どものような表情だ。玩具を与えられることでしか愛されてこなかった子どもが、いつ壊しても良い玩具を手に入れて好き勝手蹂躙する様が浮かんで見える。
そんな、笑みをジルは漏らした。
机に押し付けられた身体が痛みを帯び始め、解いて欲しいのに、きつく締められたネクタイは解けることはない。摩擦で手首が痛くなる。

「ジル、嫌だ」
「なにも、嫌なことなんか、ないよぉ、充葉ぁ。オレ、ねぇ」

 にこにこ笑いながらジルはこの先、僕が言って欲しくないであろう言葉を吐く。嫌だ、そんな言葉、聞きたくない、と両耳を塞いで叫ぶ自分がいる一方で、これから聞けるであろう言葉に歓喜する自分自身がいるということを知り、背筋に悪寒が走る。

 僕はジルを見た。その、歓喜が、嘘だと信じたくて。ジルの何でも見透かされた気持ちになる、あの双眸を数年ぶりに自分から見る。
 ジルの双眸には脅え、身体を震わせながらも、やはり、悦に浸るような自分が写っていて、嘘だ! と叫んでしまった。
 ふふ、充葉は可笑しいねぇとジルが言っている。
 ジルは弦弾きのように美しい指を僕の頬っぺたに触れ指すと、サロメのワンシーンのように、僕の首を上げ、ジル・トゥ・オーデルシュヴァングという人間から自分自身を逃さないと告げるように、焦点を合わさせる。ジルの身体は夕日によって染まっている。不愉快なくらい赤に寄った橙色の夕日はジルに美しい身体に纏わりつくと包んでいく。
 焼け落ちた太陽に食われるかと錯覚し、息が詰まる。ジルは僕に自分の呼吸が当たる位置まで顔を近づけさせると、さらり、と告げた。


「充葉には勃つみたいなんだぁ」


 まるで教科書忘れちゃったから貸して、そんな簡単な口調でジルは気軽に言ってのけた。それを聞いた僕はやはり、少しばかりの歓喜を得た。
 けど、それ以上に、怖かった。
 恐怖が入り混じっている。
 すべて、判ってしまいそうな。そんな感覚。
 どうして、僕が、黒沼充葉という人間がジル・トゥ・オーデルシュヴァングと長年一緒にいることを選択したのか。判ってしまう。どうして、どうして、と叫んでいたけど、いざ、判るとなると、それは恐怖以外の何物でもない。

「だからぁん、抱かせてねぇ、充葉ぁん」

 だって、判ってしまった後の方が、僕は自分が苦しむのだと知っている。
 気軽に声を出しているジルから推測すると、彼からしてみれば本当にこの行為は実験染みたものでしかないのだ。けど、期待してしまう。もしかしたら、僕もジルにとって特別な存在なのかもしれないと。
 馬鹿げているけど。
 ジルの唯一の一番はジルのお母さんで、それが覆ることはないのに。ジルのお母さんに勃たなくて、僕には勃ったということを聞き。そんなの、ジルが女性に性的興奮を抱かない性癖の人間というだけかも知れないのに。


「ねぇ、充葉良いでしょう」

 いつものように拒否権なんて合ってないようなものなのに、ジルは残酷にも、尋ねた。










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