整備された木々の隙間から、幼なじみである飯沼祐樹が見知らね女子と屋外カフェで語り合っている姿が見えた。発見したのが自分で良かったと思いながらも、二人だけで会うことが浮気と直結するなんて、信頼関係がない侘しい証拠である。自己を保っていないから出来るのだと、黒沼ネルは思いながら声をかけるかどうか躊躇った。知り合いを見かけたら挨拶くらい交わすのが礼儀である。しかし、誰かに聞かれたくない会話内容を語り合っている場合もある。万が一、自分が喋りかけて迷惑がられたら、困りものだ。安直に行動する人間ではない。ネルは暫らく二人の光景を見つめ、女の方が席を離れたことから、祐樹に声をかけることに決めた。 「ユッキー」 親しい人間はあだ名で呼ぶと決めているネルは弾んだ声色で、手を顔の位置まであげながら無邪気に名前を呼ぶ。祐樹は女性が席を立った先から沸いて出てきたネルの気遣いに苦笑しながら「偶然だね」と述べた。勿論、偶然という言葉がすべてを見透かした上での言葉だと長年の付き合いからわかる。ネルはにっこりと女に間違われる美しい顔に微笑を浮かべ腰掛けた。 「ここのご飯って美味しい?」 「俺は好きだよ。ジャンクフードって感じで。味が濃くて。あとケーキがおいしいかな」 ネルは祐樹のこのような頭の良さがとても好きだった。気を使えることは当たり前だが、祐樹がネルに返すのはいつも気遣いを越えた対応だ。「偶然」の先回りしたような言葉もそうだし、カフェの味なども話の継ぎ足し部分だと捕らえた言葉だ。加えて、ある程度簡潔にだが、細かく説明してくれるので、こちらの気を悪くしない。気遣いとは人間の心がそのまま映し出されるようなものだとネルは思っていた。祐樹はこのように喋っていて賢い人間だと直ぐ様理解出来る。優しいだけでも冷酷なだけでもない。人間臭さが見えて率直であるのに、柔らかな嘘がつける。そんな祐樹と喋っていると楽だとネルは思いながら頷いた。 「さっきの女の子は元カレだよ」 聞きにくいことを率先していう。祐樹からして見れば話しても良い内容だというアピールも含まれている。 「三ヶ月限定の」 「そう、高校時代のね」 高校時代。 祐樹は現在の恋人である坂本透と付き合う以前、三ヶ月限定の恋人を作っていた。当日のネルからしてみれば信じられない関係である。不道徳だと訴えることが出来るし納得も出来なかった。未だに祐樹のことは幼なじみとして好きだが、当日、彼がとっていた行動を理解しろというのは不可能なことだ。理解するというのはネルの正義から掛け離れていたが、祐樹の心情を聞いた日から、容認することは出来る。まだ祐樹が高校一年生、ネルが中学三年生の時の話だ。納得出来なかったネルは祐樹に直談判する為、突撃した。幼い頃から憧れを抱いてきた相手がネルの正義や道徳に反する行為をしていたのが許せなかった。恋愛というものはまだ幼いネルは理解していなかったが、祐樹がしている三ヶ月限定の恋人などすべて偽物ではないか。偽物であると分かり切った関係など続けるべきではないし、意味がないものだ。不潔だとさえネルは感じた。 『ユッキー、そんなの止めた方が良いよ』 ネルの言葉に今より幾分若い祐樹はため息を吐き出す。吐露された空気にネルは気を張りながら、祐樹の眼差しを見つめた。祐樹の眸は少しこわい。ネルは生唾を飲み込む。 『別に身体の関係だけじゃないよ』 『けど、駄目だよ。意味がないものじゃない、それって』 祐樹はため息をつきながら、さてネルにどう話そうかと思考した。祐樹の中にある言語化が困難な感情を頑固なネルに伝えるのは一苦労だからだ。元来の思考がまったく異なる人物だ。頑として強い意志を貫くこの幼なじみには誤魔化すような言葉では容認されないだろう。 三ヶ月の恋人。 言葉だけ聞けばなんてチープなものだろうと嗤いたくなるが、嗤い片付けられるほど簡単なものではなかった。祐樹が彼、彼女らに求めるのは性欲ではない。愛情だった。どんな形でも良い。僅かに触れ合う時間の中から戯れでも良かったので自分自身に愛情を与えて欲しかったのだ。眼前にいる無条件に受けられる絶対的な愛情を知っていて、未だにその恩恵を受けている幼なじみには解らぬ感情だろう。加えて幼なじみは、自己愛が満たされた状態で他者を愛することを前提としか認めない性質の人間である。愛に飢え一時の優しさを求める関係など理解できないだろうし、三ヶ月限定という期間付きの理由も判別出来ないだろう。 三ヶ月限定というのはとても大切なリミットだ。告白され、交際するようになる前に「三ヶ月限定で良い」と確認するのもその為だ。お互いに深く踏み込まず泥沼を知らずにいれば愛し合える。別れも執着せず、笑いあえる。残念なことに高校一年生の祐樹が生涯愛しているのは二人の養父と小学生の時に初恋を抱き、転校してしまった坂本透という人間だけだった。彼らを除けば執着し、困難も痛みもすべて受けとめ愛し合う覚悟など自分にはなかった。 どう言語化すれば良いのだろう。有りの儘を話せば納得はしないだろう。弱い人間とみなされ強く生きるよう励まされるかも知れない。 『ネルには』 『ネルにはなんだっていうの』 『ネルには分からないかもね』 突き放すような言葉を投げるとネルは悔しさに滲んだ表情を浮かべ机を叩いた。 祐樹は、だよね、と苦笑いしながら納得いかないネルを慰めるように自身の本音を柔らかに包みながら話した。始めに一度拒否して、あとから本音を話すと案外、受け入れ容認してしまうのだ。 案の定、ネルも受け入れたようで、祐樹を見つめ返した。 『ネルもどこかへ行かないしユッキーを愛してるよ』 解ってるよ、と幼なじみの声に暖かさを感じながら、微笑む。眼前にいる幼なじみが自分のことを友愛として包み込んでくれることも、困難に立ち向かう覚悟を兼ね備えていることも祐樹は知っていた。問題なのは彼ではなく、自分の心構えだ。幼い頃の経験が簡単に人を愛することや信じることを拒む。貧弱なのは間違いなく自分自身だという自覚もあった。 『ありがとうネル』 柔和に笑いながらいつの日か、幼なじみと真正面から向き合い語らい合う日々を望みながら。 「彼女、今年の1月に結婚するらしいよ」 「それで報告を受けてたの」 「うん。それもあるけど。名前を貸して欲しいってさ。お腹に赤ちゃんがいるみたいで」 ネルは驚きのあまり口を丸く開いた。にこりと長い睫毛を動かしながら「ユッキーがそれだけ尊敬された証だよ」と告げた。だったら良いけど、と祐樹ははにかんだ。 |