透の中でいつだって祐樹は完璧な人間だった。自分と会話している光景が、スクリーンに映し出された陳腐な光景に見えるくらいには。祐樹は美しかった。男らしいとか、綺麗とか、カッコイイとか彼を表す言葉はたくさん転がっているけれど、祐樹に一番似合う言葉は「美しい」というものが一番しっくりくる。
走っている彼の姿を見たことがある人間ならば、その言葉に納得するであろう。祐樹は風を切り裂くように走った。見ているだけでわかる。彼は風の神様に愛された人間なのだということが。筋肉がしなやかに撓り、上半身がぶれない。踏み出す力が強いので、蹴りあげられたグランドの砂が練習中には良く舞っていた。大学のグランドは全部がゴム製なので、その光景を見ることは滅多に出来なくなってしまったが。砂埃の中から、祐樹だけが、現れる瞬間は、まるで神様が地上に降臨した姿を見ているようだった。その、魅力に見せられたのは、透だけではない。他の人間も、しきりに祐樹が走る姿を見て歓声をあげる。わかる、わかるぜ、と頷きながらも、胸の奥から、歓声を上げる人間の頬っぺたを叩いて回りたい衝動が突き上げる。日常茶飯事だ。
だから、飯沼祐樹という人間には「美しい」という言葉が一番よく似合った。勿論、普段から言っている「カッコいい」とかが当てはまらない訳じゃない。その他の言葉を押しのけても「美しい」が断トツに輝いているだけだという話だ。


「透、もう出発するよ」
「あ、行く」

そんな祐樹が目の前で自分の腕を引っ張る。
今日は、彼の実家へ帰省する日だった。正直、行きたくない。家で寝ていたい。面倒だ。実家と言っても都内にあり、住んでいる町が違う程度だ。今日は夕飯を食べに行くだけ。「筑前煮をたくさん作りすぎてしまったから、夕飯を一緒しないか?」 という誘いだった。冷凍してあとで食べれば良いじゃないか、と思いながらも、久方ぶりに食べる養父の料理に興奮した祐樹を止めることなど出来なかった。
こうやって、浮かれている祐樹を見ていると、透は祐樹がひどく子供のように見えてきてしまう。養父の前に立つとそれは明確になり、浮き出てくる。養父はもともと、祐樹の中で別の位置に存在する人間なのだろう。幼い頃、虐待を受けていた祐樹を保護して、鶏がらのような祐樹にご飯をあたえ幸福を分け与えてきたのが彼なのだから。「おはよう」とか日常の中で交わす挨拶の一つ、一つから、木漏れ日が見え隠れするような感覚だった。
グランドの中にいるときに留まらずどこに居ても完璧に見える祐樹が、人間に戻る瞬間のように映った。とても無邪気だ。悩みや葛藤から一番遠い位置にいるような祐樹が上辺だけの姿だとわかる。そんな姿を見つけると、透は堪らなく、切なくなった。
胸の中の今まで動かなかった心臓が締め付けられる感覚だ。神様のような存在が落ち着ける場所があることが、良かったね、と思う。幼い祐樹を救い上げてくれた人があの人で良かったね、と。感謝しているし、いつか自分もお礼を言わなければならない。けれど、自分は祐樹のそういう場所ではないのだと知り、胸が痛む。大切なのは祐樹が自分の傍に居てくれることなので構わないと思い納得させるが、伝えようのない怒りが胸の中で渦を巻く。



「いらっしゃい、よく来たね」

養父の出迎えと共に、マンションの扉が開く。近未来的な指紋照合に胸を弾ませながらも、どこか宙に浮いたように意識を飛ばしていた透は、肉声により呼び戻された。「お久しぶりです」と頭を下げると「久しぶり」と自分にはない変わらぬ笑みが返ってきた。養父は地味で素朴だが親しみを感じさせる顔をむける。祐樹の養父は高校時代の恩師にもあたるので、他者から見れば今更、緊張もなにもないだろうと言われるが別問題だった。靴を意識して整え、玄関をあげると、用意された台所へ案内される。

「お――良く来たな」

透からしてみれば祐樹を劣化させたような人物が白米を茶碗によそいながら声をかけた。正確には祐樹が彼の真似をしているのだが、透にしてみれば祐樹が常に先頭を駆け抜けるのが当たり前なので劣化した模倣は向こう側へと映る。彼も祐樹の養父であった。二人の養父はゲイカップルなのだ。男同士で愛し合っている。透にしてみれば理解に苦しむが、知らぬ間に自分も仲間入りを果たしていたのだから、今更、何かいうつもりはない。

「親父、招待ありがとう。和人のご飯久しぶりだから嬉しいな」

祐樹はコートを脱ぎ、ハンガーへ透のぶんごとかけると、冷蔵庫からビールを取り出し、食卓へ並べる。変わりに、来る途中で買ったワインを冷蔵庫へ祐樹はいれる。
透からしてみれば、金髪の劣化版を祐樹は「親父」といい、今、味噌汁をよそっている素朴で地味な方を「和人」と呼んだ。名前呼びは気に食わないが、仕方ないと自分に納得させ、透はあたりを見渡す。やることがないかと、睨むように「和人」の方を見たが「あ、もう座ってて。味噌汁よそうだけだから」と言われたので、大人しく椅子に腰かけた。
暫くすると晩餐は開始され、祐樹は「親父」へ酒を注ぐ姿が目立った。普段から無口な透であるが晩御飯へ招かれた現在も無口を貫いていた。少し醤油辛い煮物は祐樹が好む味付けだった。この家にくると、祐樹の人生の中で今まで自分が占めている時間を実感するかのようだった。祐樹は子供に戻る。特に「和人」と接するときにその傾向は良く見えた。
高校時代、まだこの家の事情を良く知らなかったとき、祐樹は副担任であった「和人」が好きなものだと勘違いしていた程度には。いや、いまももしかしたら勘違いではなかったのかも知れないと、ふと思うことがある。神様かと間違えるくらい完璧な人間が普段と違う顔をのぞかせるのは特別だということだ。子供らしい無邪気な態度も甘えているのだろう。
以前、祐樹が幼い子供みたいに癇癪を起こす所を偶然、見てしまったことがある。「和人」が「親父」と喧嘩して、家を出る、出ないという論争をしていたときだ。この二人はよく喧嘩する。面倒なことをする体力がよく残っているなと透は思うのだが、今では面倒なりの愛情確認だと理解していた。高校時代だった。体育館裏の裏門へと続く道だ。大きな鞄を肩にかけた「和人」を祐樹は必死になって引きとめていた。
子供が駄々を捏ねる姿に見えた。スーパーマーケットにいるお菓子を買ってくれないからと、転がる子供みたいに。当時、祐樹と透はすでに付き合っていたが、一度も見たことない姿だ。
幼い頃から、放置されて育った透は親に愛情も執着も感情と呼べるものをすべて持っていなかった。子供が親に甘えるなど常識として処理されることであるし、高校生なら尚のことだ。両親が中違いをしたのなら、心配する素振りを見せるのが普通だ。
両親と出会いどこか子供らしい一面を覗かせるのは、当たり前のことだ。大人になり成長したといってもまだ大学生である。透の意識の中には大人としての常識を蓄えた祐樹の像しかないが、二人の養父からしてみれば、祐樹はいつまでたっても幼い子供に変わりなかった。相手が、対象をどう思っているかでも第三者の目から垣間見た時、印象は変わるものだ。だが、透にはそれがわからなかった。不安でたまらなくなる。

「どう透くん美味しい?」
「美味しいです」
「そっか。良かったよ。あ、祐樹、ビールの飲みすぎには気をつけてね」
「わかってるよ、和人」
「そっちのべろべろに酔ってる人も、もう止めておこう」

「和人」はそう言って「親父」からビールを奪った。愚痴酒になるのか、涙を流しながら「和人」に「親父」は甘え始める。鬱陶しいと思いながらも、透は祐樹を見つめた。晩餐もお開きの雰囲気が醸し出されているので、祐樹は自分が食べていた食器を重ねて台所までもっていく。透もそれに続く。「和人」が片づけようとするが祐樹は「座っててよ。俺が片づけるからさ」と当然のように述べて、晩餐の片づけを始めた。透も手伝う。

「良いのに。ごめんね、二人とも」
「別に気にしないで。寧ろ、20代になっても後片付けの手伝いをせずに、ご飯食べるだけって逆に恥ずかしいよ俺が」

祐樹はそう言って、あははは、と無邪気な笑い声を洩らした。透は早く片付けて、帰宅したい気持ちでいっぱいだった。関わる度に思う。早く帰って、祐樹とセックスしたい。自分が祐樹の為の出来ることといえば、セックスくらいだった。他では、なにをすれば祐樹が喜んでくれるのかさっぱり分からない。よく、祐樹は知らない所で喜ぶので、教えてくれればいいのに! と八つ当たりしてやりたくなる。
片付けが終了すると、コートを羽織り、祐樹と透はマンションを後にする。養父が玄関まで別れを惜しむように脚を運んでくれたが透は待ち切れず、袖を引っ張った。














「ぁあっ……あ」


小さな声が漏れる。
透の声だった。帰宅するなり、玄関で透は祐樹にキスをせがんだ。雪崩れるように、押し倒し騎乗位の体制をとる。熱に潤んだ双眸で眺められるのが祐樹が好きなことくらい透は知っていた。
セックスしたくて堪らなかった。祐樹の為と謳っているが、透の為のセックスだった。すぐにセックスがしたくなるのは不安の隙間を埋める行為を透はセックスしか判らなかったのだ。
本来、自慰の回数も少なく、性的な興奮を覚えることは少ないが、祐樹とのセックスは特別だった。愛情の確かめというより、儀式のようなものに透の中では映し出された。

「透、すごく積極的だね」
「ふぁあ、……下から、祐樹のがついてくるよ」
「奥まで味わえるからさ、この体制だと」
「あぁああ、うぁあ、祐樹のおっきいのでいっぱいだよ」

わざとらしい言葉。
男が喜ぶ言葉だと立ち読みした女性向けの雑誌に書かれてあった。間に受けるわけではないが、祐樹が喜んでくれるなら、どんな恥ずかしい言葉であったとしても、言ってみせる。内心では、漫画の中だけだろうこんな言葉に興奮するの、と冷めた眼差しで告げる自分がいるが、無理やり奥へ押し出す。祐樹の肉棒に満たされると幸福に満ち溢れるのは嘘ではない。羊水に浸った気分だ。精液と共に愛情を受け渡される。


「中にだしてぇ! ぁああああ!」


嬌声を叫びながら透は祐樹に快楽を与える。自分だけが与えられるものだと信じている。逃さないための手段の一つだと、どこまでも利用する気でいる。性欲というのは恐ろしいものだ。
ああ、けれど、この手段が通じなくなれば自分はどうすれば良いのだろう。想像したくもないが、自分たちもいずれ年をとる。今日、出会ったあの養父たちよりも。年をとって死んでいく。人間の人生の中で決まっている出来事があれば、生まれて死ぬことくらいだ。その過程で今は瑞々しい姿をした祐樹もいずれ、枯れていく。性的なことになど興味がなくなるほど。そうなれば、自分はお払い箱だ。もっとも、年をとり、皺だらけの爺になるくらい長く、祐樹のような人間が自分の傍に居て、愛を注いでくれるなんて思わない。
執着してはいるが、二人一緒に居る未来など、想像できなかった。





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