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 入学式。大学の入学式なんて、陳列された椅子に腰かけ、新入生だけの空間で、学部長や学長の退屈な話を聞いているだけで終わる。知り合いはもちろんおらず、僕は一人、パイプ椅子に腰かけながら、話しを聞いていた。思考を迂回すると脳内に浮かび上がってくるのはいつも恋人であるジルのことだった。不安に包まれながら、結ばれたあの場所で僕らは一心不乱に交わった。
 入学式までの数日をどうやって過ごしたのかと聞かれると、事前準備でもなんでもなく、セックスだと答えるのが正しいかも知れない。自慰を覚えたての中学生のように、四六時中セックスをした。
 結局、性処理機の相手としてしか考えられていないのではないかと、不安になるたびにジルは僕の頬に柔かな口付けを落とした。耳朶を甘く噛み「愛している」と囁かれれば、不安は消えて行った。

 そういえば、とふと思う。ジルのいない入学式の光景は今まで生きてきた中で初めてのことだ。幼稚園の入園式も、小学校の入学式も、中学校の入学式も、疎遠になりかけつつあった、高校の入学式も、どんな時もジルは僕の傍にいた。小学校の入学式なんて懐かしいな。
 幼い僕は泣き虫で、知らない人間に囲まれた場所へ突然連れて行かれて、ジルの後ろで情けなく泣いていたっけ。本当に小さい僕は今みたいに意地っ張りじゃなく、素直だった。そのくせ、プライドが高くて幼稚園の運動会で駆けっこをしてジルに負けると悔しかったけ。
 ぼろぼろに泣き「わ――ん」と大声を上げながら、ジルに食ってかかった。
 まだ正常な人間であったジルは僕の頭を「仕方ないなぁ」というように撫で、宥めた。
 思えば、幼い頃ジルという人物はとても頼りになる人物として僕の世界に映し出されていた。
 後ろに隠れ脅えるなんて象徴のような風景だな。小学校の入学式、本当に僕はずっとジルの後ろにいた。世界はジルと二人きりだった。そのくせ、式が始めると虚勢を張って胸を突きだすように潔く歩き始めたんだっけ。
 ああ、本当に、昔からプライドが高いんだな。だとしたら、ジルに対して僕はプライドという部分を折って接してきた相手なのかも知れない。
 対抗して、負けて、悔しくて、自分より遥かに優秀だということが判るのに、一緒にいたくて、苦しみを分け合いたくて、葛藤して、悩んで。繰り返し。
 多分だけど、ジルと一緒にいる時の僕が一番、素の僕なのだろう。丸裸にされる。それゆえに、ジルの行動、一つ、一つが裸体の盾を持たない僕へ突き刺さるのだ。


 今、ジルは何をしているだろうか。
 当然のように入学した母親と同じ大学で、同じ空気を吸って、式を受けているのだろうか。
 確か、教えてもらったスケジュールによると、同じ日に式だった筈だ。退屈を絵に描いたような光景が大嫌いなジルが一つの椅子に腰かけて待っていられるとは思えない。出席していたとしても意識を飛ばしているだろう。
 それとも、初めて母親が通った母校へ行くということで、緊張でもしているだろうか。
 なにしろ、入学式が終わるとジルには母親へ彼女の母校がどのような姿で現在に残っているか、また、自分は母校の中でどのように行動したか報告し、母親を喜ばせる義務がある。

 付き合いだしてから判ったことがある。
 優先順位は変わらない。

 僕の要望がここに一つ存在するとする。同じ時間平行線上に母親の要望がここに存在するとする。どちらを取るか。明確だ。ジルは躊躇いなく母親を取る。僕を薙ぎ倒してでも、簡単に母親を取るだろう。
 少し冷静になって物事を見てみると(嫉妬とかそういう感情を抑えてという意味だ)なにが、ジルを縛り付けているのだろうか。
 リストカットの景色を目の当りにした日から、ジルを縛る物体はどう形容すれば良いものなのだろう。今は恋人という位置を与えられたという余裕があるから考えられることだ。
 ジルはどうして、そこまで母親に執着するのか。
 心配だから、自分のせいだから。ちょっと違う気がする。ジルは、もっと別の勘違いを一人で背負っているんじゃないだろうか。
 ずっとジルを見つめていたから、思い込みが激しい人間だという事は重々承知だ。
 ジル、お前はどうして、そこまで母親に入れ込んでいるんだ。なにが、原因で。本当に、あの日のことだけなんだろうか。
 瞼を閉じて考える。
 思考を巡らせていると、ふと、高校の卒業式で飯沼くんに言われた言葉が、脳裏に浮かんだ。










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