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 気付いたら泣いていて、眼鏡のレンズ越しに僕の視界はすべて遮られていた。今まで散々、酷いことをされたけど、すべて許してしまえる魔法の言葉のように思えて、子割った。ジルが本当に僕を愛してくれているだなんて、にわかに信じがたい出来事ではあるけれど、喜ばずにはいられなかった。
 ジルの言葉に嘘がないことは、長年一緒にいた僕は実感済みだったからだ。余計に、僕の背筋は震えあがり、喜びが身体を包みこんだ。「愛している」という言葉の裏側にどのような意味を孕んでいようとも、ジルが「僕を」「愛してくれている」という事実は変わりようのないことだからだ。


「充葉はぁん、小さい時から泣き虫なんだからぁん」
「悪かった、な」


 鼻を啜りながら僕は答える。恋人同士なんだから抱きしめてくれないだろうかと視線を送ると、リップサービスだというようにジルは抱きしめてくれた。抱きしめられる温度を感じながら、きっと、ジルの「愛している」と僕の「愛している」の間には越えられない差が存在するに違いないという確証を得ていた。
 今までのジルと比較するまでもなく、ジルの中はあたたかであったが、単純に全ての言葉を飲みこんで笑い合えるほど、短絡的な思考を僕は残念なことに持ち合わせていなかった。
 抱きしめられる時間が長ければ、長いほど、その実感はじわじわとやってきた。別れる前の儀式くらいの感覚で恋人同士をした方が楽だということくらい、理解していた。けれど、理性と欲望は反対側に存在していて、理性を繋ぐ糸は呆気なく決壊してしまった。
 欲望だけが、残り、ジルの背中に腕を回す。
 ジルが、あのジルが、僕を愛しているといったのだ! 阿呆になったところで、誰が叱るのかという、歓喜に身体が満たされた。誰でもない、あの女でもない。ジルが、ジルが、ジルが。



「愛してくれるの、ジル」
「だからぁん、言ってるでしょう」

 口づけだけで伝わる感情だってあるんだよぉんって言うように、ジルは僕の唇に唇を当ててきた。涙でぐちゃぐちゃになった顔は眼鏡を下ろし、指先が眼鏡を押しあげる。ジルは僕の眼球から毀れ落ちる涙を犬のように、ぺろぺろ舐めた。

「愛してるよ、充葉ぁん」

 麻薬だ。
 これが、本当の。どんな特効薬でも効果は望めないだろう。ジルの言葉が身体の隅々を犯していく。今までしてきた、どのセックスよりも気持ち良くて、あの行為は、本当にジルを喜ばせる為だけに行われていたものだったのだと、妙に納得がいった。
 それから、僕らは当たり前のようにセックスをした。
 解けるくらい優しかった。関節が痛むくらいの高熱が気にならないくらいに。犯された。交じり合っている最中、このまま死んでしまいたいとさえ、思った。絶頂期に死にたいと願うことなど、ないと思っていたけど、人間なにがあるかわからない。ジルは行為の最中、四六時中、僕に愛を囁いてくれた。幸福でいっぱいになった。優越感の波が僕を浚い、注ぎ込んでいた愛が返済されたような、ばかな、気持ち。





 朝目覚めると案の定、熱が悪化の勢いになり、身体を起き上がらすことは不可能だった。ジルは子どものように僕を心配した。ベッドで寝転ぶ僕にお粥を作り、甲斐甲斐しく世話をした。病院にまで連れて行こうとしたが、どう説明すれば良いか分からなかったし、経験上、寝ていれば直るので、断った。

「ねぇ、充葉ぁん頭、撫でてよ」

 熱で苦しんでいるとジルがベッドに顔を乗せてきて頭を撫でるよう頼んだ。ふざけるなよ、僕がこんなに苦しんでいるのに! と腹を立てたが赤ん坊のように潤んだ双眸を無視出来ず、ジルのワックスで固められた頭を撫でてやった。目を細めジルは僕を見つめた。
 看病していた時よりも、愛されている感じが伝わってきて、ずっと良かった。僕の気が済むまで頭を撫でることにした。撫でていると、僕はいつのまにか、重い瞼を降ろしていたようで、夢の世界へと突入した。


 起きるとジルはいつもいなかった。初めて僕を強姦した日さえ。
 ただ、今は違うらしい。
 目覚めるとジルが横にいた。僕の手を握っていた。不安になりながらも、今はこの幸福に溺れていたい。呼吸が出来なくなっても、助けてくれる人はおらず、あの頃と違い、僕を溺れさすのはジル本人であるけれど。






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