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       ◆




 無常にも一晩眠りにつけば翌日というものは訪れる。
 今朝の間は末っ子である帝が風邪を引き家族全員が慌ただしかったため、気付いたら過ぎ去っていた。僕の家は末っ子である帝に対して少しだけ過保護だ。皆、可愛いのだろう。顔こそ僕と同じく地味で冴えない顔立ちだが、言動の節々に物事に対して精一杯取り込む姿勢が見られ、つい応援してやりたくなる。
 長男である僕も末っ子の帝が一番可愛い。もちろん、長女の藍も、次男の竜も同じくらい可愛いけど甘やかしてやりたくなるのは帝だ。彼自身が自分を押し込め我慢するような性格なので、つい、もっと我儘を言ってもよいんだよ、と優しい口調で言ってやりたくなる。
 そんな帝が熱を出したので家の中は忙しなく、気が付いたら家を出る時間だった。


 午前中の授業も上の空で末っ子の心配をしていたので、ノートを開き、窓辺に広がる青空を眺めていた。写真に収めたくなえるほど美しい空だったけれど、視界に上手に入ってこない。末っ子の容態がひたすら気になった。逃避するように。
 だが、逃避はある一声で終わる。

「すみませーん、遅刻しましたぁ」

 ジルの声だ。
 聞きたくなかった。
 遅刻してきたジルは気だるげな声色で謝罪を述べる。舐め切った謝罪であるが教師は注意することを諦めた口調で「席へつきなさい」とだけ告げた。
 ジルは急ぐことなく歩くと自分の机に鞄を放り投げ、豪快に腰掛ける。豪快というより呼吸をするのも面倒なので、すべての動作が荒っぽくなっているという感じだ。ジルの前の席である坂本が「また遅刻かよ――」とお得意の濁声で喋りかけるが、喜々とした坂本とは別に機嫌が悪いジルは坂本が座っている椅子を蹴り飛ばした。

「うるせぇ」
 
 一言だけ告げると、顔を鞄の中へ埋もれさす。ジルは授業に来ていても寝ていることが多いがどうやら今日も同じらしい。教科書さえ持参しているか怪しい所だ。置き勉、なんて言葉があるけど、前に見せて貰った(正確には見せられた)ロッカーは見事なまでに何も入っていなかったし、掃除で机を運ぶがジルの机ほど軽い机はない。
 勉強する気はないらしい。
 そのくせ、成績が良いのだから腹が立つ。僕が必死になってしがみ付いている、成績もジルが本気を出せば、簡単に追い抜かれてしまうものなんだと判っているから虚しい。
 僕は自分の醜い気持ちを隠すように舌を向く。教師の渋さを吸い取った声が脳の中で浮き、ああ、嫌な日だと思った。
 帝は風邪を引くし、無駄な嫉妬に駆られるし、その上、今日の放課後はジルが自身の母親を使って自慰できたかを聞かなくてはならない。
 溜息も吐き出したくなる。





 放課後になり委員会の予定も入っていなかった僕は昨日の約束を守るため珍しく自分からジルへ声をかけた。
 普段、教室にいるときは特に積極的にジルへ声をかけない。教師に頼まれた時などは別だけど。ジルが僕以外の人間と積極的に交流を取らなくなってからというもの、人前でジルに話しかけると必ず周囲の人間から嫉妬の眼差しで見つめられる。
 人間が保持する妬み、僻みの眼差しは恐ろしい。特に気に留めていないが、気分が良いものではないので、回避できる問題ならば回避したいという理由で話しかけない。もし、状況を簡単に説明するなら、今現在の状況に当て嵌まる。

「ジル」
「あぁ、充葉だぁ。珍しいねぇ」
「今日、どこで話聞けばいいんだ?」
「ああ、それなんだけどさぁ」

 ジルは整った弦弾きのように美しい指先をくるくる回しながら口を開ける。

「オレぇ、先生に呼ばれちゃったんだぁ。だから充葉ぁ、オレの用事が終わるまで待っていてよぉ」

 お得意の何でも許してしまう神様から与えられた笑顔でジルは僕に述べる。悪びれもなく。残るのが当たり前だというように告げてくる。委員会の仕事がない日は週に二回あるかないか、なので、ここで断れば良いんだろうけど、結局僕は断りきれずに、深いため息を腹の底から吐き出したあと「教室で待っている」と述べるしかなかった。
 ジルは僕の返事に満足したのか、僕に覆いかぶさるように抱きついてきた。
 皮と骨だけでできた貧相な僕と違い、ジルの身体は程よく筋肉がついており、抱き締められると男らしい身体を感じることが出来て苛立つ。僕がすっぽり腕の中に入ってしまうことが気に食わない。

 抱き締められた腕を振り払い、ジルの顎を頭突きしてジルの中から逃れると、自分の席へ着く。
 がらりと引いた椅子に腰かけ、息を整えた後、未だに蹲っているジルへと目線をやる。自業自得だと息を吐き出したが、蹲っているジルに一人の大柄な男子が駆け寄る。僕が所属しているグループとは正反対の男子。
 ジルがいつも釣るんでいる連中の一人。坂本。ジルの金魚の糞かと言いたくなるくらい、彼はジルと常に一緒にいる。別に僕が坂本をマークしているわけでも、ジルと一緒にいる連中がどんな人間なのか知っているわけではない。興味もない。ただ、僕は坂本があまり得意ではない。
 坂本はジルという神を崇める一神教の信者なのだ。その癖、坂本は自分とジルが対等であると信じ込んでいる。信者の癖にそれを利用しようとしている節がある。いや、純粋なまでにジルの力になりたいなんて空想を抱いているのだろうけど。
 ただでさえ、僕はジルの友達にそれほど好かれていないのに、そんな信者にとって僕は気に食わない存在なのだろう。今も蹲ったジルへ心配そうに声をかけながら僕を睨んでいる。
 恨み妬みの視線。気持ち悪い。
 僕は無視することを決め込むと、鞄から本を取り出す。辞書みたいな分厚さの本を持ち歩くのは中々大変だが、今日はこの本が気分だったので仕方ない。
本は好きだ。僕の唯一の趣味と言ってもいい。
 ページを捲り、周りの音と視線を遮断する。僕に纏わりつくめんどくさい部類のものと縁を切る。読んでいる本の内容は珍しくファンタジーで魔法を利用した世界へ僕は飛び込む。
 ぽしゃんと物語へ入り込み様々な体験をする。
 本を読むのは楽だ。現実と違って悩まなくても答えはページを捲るたびに記されているのだから。







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