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 ファミレスで雑談をしていると、携帯電話が震え、机にしがみ付くジルを引き摺るようにして、ファミレスを出た。会計は、ジル持ちだ。ジルの癖で、メニューの端から端まで頼むという迷惑極まりない行為をするので、僕の財布ではとても収まりきらない。自分の分は払うと言ったが、制止の言葉も聞かぬまま、ジルは会計を済ませた。
 店の外に出ると二酸化炭素が白く濁り寒空を表していた。
 帰路、ジルはぺちゃくちゃ喋りまくったが、僕は相打ちをする程度に収めておいた。納得がいかないという顔色で僕を見つめてきたが、無視を決め込む。ずっと無視していると、眼鏡に映る視界が息によって白く濁り、ジルが近くまできていた。
 往来の道中だというのに、ジルは醜聞を気にせず僕にキスした。冷たい。たっぷり塗られたグロスの人工的な味がした。さっきジルが摘まんでいたナポリタンの味の方がよっぽどマシだと思った。
 僕たちにロマンチックなキスなんて出来る筈がない。
 ファーストキスは檸檬の味、なんだっけ。小学生の頃、頑なに信じていたジルに「あるわけないじゃん」と否定されたことがそういえばあった。お前はいつも子どもの夢を潰して行くな、と今、振り返ると感じるが、当時の僕はそんなジルが誇りであった。


「じゃあね、ジル」
「はぁん、お別れなのぉ」
「もう、お前の家の前だ」
「ゆっくりぃ、ここで喋っていても良いんだよぉん」

 喋るわけがないだろう。
 僕は逃げるように、踵を返し、自分の家へと入っていく。早く帰ってこいと言われたので、母に怒られるだろうかと危惧していたが、息子の合格発表の祝いをする前に怒るような人ではないと思いだし、安堵の息を吐き出す。

「ただいま」

 扉を押し、玄関を開くと帝がタックルしてきた。子どものタックルって容赦がなくて痛い筈だけど、非力なこの子のタックルはまったく痛くない。


「お、おかえりなさい!」
「うん、ただいま。帝はどうしてここにいるの?」
「あ、充葉お兄ちゃん帰ってくるの、ま、待って、た、の。め、迷惑だった?」
「そんなことないよ、ありがとう」
「うん! あのね、今日はお寿司なんだよ!」
「そっか。楽しみだね」
「ふへへ」

 頬を紅潮させながら帝は笑う。弟の笑顔はどうしてこんなに可愛いだろうか。鞄を置き、帝を抱きしめる。小学生の自分っていうのはこんなに小さい存在だったのだろうか。僕が抱きしめていると、帝も抱き締め返してきた。「なにしているの?」と聞けば「パワーを注入しているのです」と帰ってきた。馬鹿可愛い。能天気で。

 帝を抱きしめながら台所の扉を開くと、パーティーの準備がされていた。飾り付けも万全でちょっと恥かしいな。

「充葉、おめでとう」

 僕に気付いた父が帝ごと肩を抱きしめる。力強い手のひらに称えられたことが誇らしかったし、簡潔でストレートな言葉が父らしかった。自分の頑張りが、合格用紙一枚より、父の行動と言葉によって評価されたほうが素直に受け止められ、むず痒い。
 ジルはこういうことが、きっと一度もないのだろう。彼の両親がかける言葉は、モノへと一度姿を変え、最終的に紙幣となりジルの元へ降り立つのだから。



「夕ご飯を食べましょうか」

 母が笑い、食卓に全員着いた。先程カストで軽食をとってきたが、僕は周りに意外と言われるほど胃袋の食べ物が入る男なので、なんら問題なかった。
 コップに注がれた、ジュースを掲げ乾杯をする。硝子同士がぶつかる綺麗な音が食卓を包みあげた。皆が僕を祝福してくれた。家族団欒の光景はいつみても好きだ。だから、やっぱり、この光景を知らないジルを憐れむ気持ちで見ている所もあるのだろう。






 食事が終わり、後片づけをしていると母が尋ねてきた。

「アパートはどうするつもりなの? もちろん、お母さんと一緒に選ぶわよね」
「え? あ、その話なんだけど」


 忘れてた、と思いながら、食器を置き、鞄から一枚の紙を取り出す。賃貸の契約書だ。
 白い書類に母は唖然としながら、怒鳴り声をあげた。一緒にアパートを決めるつもりだったのだろう。だと、思って合格が決まっていないにもかかわらず、僕は一人でアパートを探していた。別に家から通える範囲であるけど、一度、家を出て自立した人間になれるよう、僕の家では大学から一人暮らしをすることが決まっていた。なぜ、一人で行ったかというと、理由は簡単だ。
 合わないからだ。母と趣味が。
 僕は母のことを尊敬しているし、偉大な人間だと思っているが、質素で地味な僕としては派手なものを好む人間の気持ちがまったく理解できない。そして、母は派手好きなのだ。
 母と一緒にアパートを決めると、家賃もそこそこ高く、豪華で、お風呂の壁がピンクの部屋に住まされそうな気がしていた。家賃、二万円くらいのアパートで僕は十分なのだ。


「ここにするから、サインよろしくお願いします」

 頭をさげると、叩かれた。





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