06



 


 クラスメイトが騒いでいた原因がわかり、胸を撫で下ろす。視線を合わせていた顔を下げる。
 僕はジルの素顔に弱い。
 化粧が施されていない顔の方が、元来の良さが滲み出ていると思う。それに、幼い頃のジルと被る。まだ、普通だったころ。彼が甘えた声色で喋り出さない頃の、ジルは僕の憧れといって、他なかった。
 化粧が施されたことによって、本来の魅力を取り戻したようだ。他者を圧倒し、屈服させる魔法のような力を。通常ならば信じがたい話であるが、きっとそれはジルのような人間に出会ったことない人の戯言なのだろう。ジルと出会うと、自分が喰われてしまう。体験しないと分からないことだ。だから僕はすっと目線を逸らした。

「酷いなぁ、充葉ぁん」
「酷くないよ。今は自習の時間だから、早く席に着けよ」
「ふふふ、オレはそんな小さなことに捕らわれないよぉ」
「関係ない。ルールなんだ、他の人も座るべきだ」

 委員長の僕に言われ、気を取り戻したクラスメイトだが、それでもジルの圧倒的魅力に抗えないみたいで、席に着席し直すか躊躇う姿が、見えた。気持ちは痛いほどわかるので、僕はなにも言わない。

「んな、こと言うなよ、イインチョ。なぁ、ジル。今日のお前ってマジすげぇぜ」

 陽気な声を発するのは坂本だ。明らかに浮かれ切っているのが判る。テンションが最高潮にまで達し、身体は高揚感で包まれているのだろう。

「お前にそんなこと言われても、嬉しくないよ」

 ジルは吐き捨てるように坂本へ言葉を返した。人間は不意打ちに弱い生き物なので、本来ならば明らかに同意だと思い込んでいたものが否定されると、衝撃を受けるのだが、坂本は慣れした親しんだジルの態度にテンションを下げないまま、喋り出した。

「化粧、してねぇ顔ってこんなんなんだなぁ。見慣れねぇからか、化粧してねぇ方がいいかも」

 ぼそりと、囁く。
 気持ちはわかる。圧倒的な魅力の前では、自分達に合わせてくれている位置にいたジルの方が好感を持てるのは当たり前の感情だ。
 坂本の一言にクラス中が沸きだすように同意を始める。

「だよなぁ、俺も。こっちより、化粧してるジルの方が好きだわ」
「私も、そうかも。あ、こっちが悪いわけじゃないんだけど。う――ん、けどジルくんって日本人の血が入ってたんだなぁってこっちでは判るかも」
「あ、それは思った、思った」

 勝手気ままな称賛と採点をジルは受けた。僕だったならば容姿だけでここまで採点されてしまうのは嫌な気分になるが、ジルはクラスメイトの言葉など背景が喋っているのと一緒だというような態度を取った。
 返答を求められても、無口を貫き、机にしがみ付く僕の姿を眺めていた。


「はぁん、充葉ぁん、充葉はぁん、オレのこの顔、どう思う?」

 下を向いていた顔を無理矢理、頬骨を掴まれ上げられる。一部の女子から悲鳴ともとれない歓声があがり、ジルに陶酔している人間からは僅かな舌打ちが聞こえた。
 目を逸らさなければいけないのに、ジルと一瞬、目があってしまい、もう、離れることが出来なかった。紫を含んだ奥深い漆黒の眸は僕の脳裏まで手を伸ばし、信号を止める。
 見れば、見る程、魅了される。どこまでも美しい。誰かに対して、こんなに綺麗と思う人間が僕の他にどれだけいるだろうか。アイドルという偶像崇拝ではなく、現実の、自分に触れている人間と接して。
 無秩序な僕の心髄に上がり込んできて強引に淘汰するのは止めて欲しい。
 ごくりと嚥下する。

「別に」
「別に、じゃないでしょぉ、充葉ぁん。なにか感想がある筈だよぉん。久しぶりだよねぇ、充葉もオレの素顔見るの」

 だとしたら、どんな答えが出ればお前は満足なんだよ! と云い返してやりたかったが、喉元まで湧いてでた言葉は堰き止められた。僕はお前の素顔が好きだよ。僕の理想が詰った顔だ。
 まだ、幼い頃、無邪気に駆け回ったあのころ、そのままじゃないか。
 素顔のお前を見ると、母親という鎖に縛られてしまう以前のお前を思い出して、泣きだしてしまいそうになるのを知っているか。
 作られていないお前の顔は、どちらかというとあの女――母親似で、本来ならば、化粧されている顔の方が落ち着くだろうに、僕は素顔のお前に心を掻き毟られるんだ。



「ジル……」
「なぁに、充葉ぁん」
「素顔の方が僕は好きだよ」


 やっとの思いで痰が絡まった言葉を吐き出す。
 本音を吐き出した言葉を言ったんだ。もう、解放してくれ! と今度は自らジルを凝視すると、そこには泣きそうな表情をしたジルがいた。
 僕が愛しくてたまらない存在の顔が。
 この愛しさの名前がなんなのか僕はまだ知らない。愛情とは奥が深い。自己愛なのか、所有愛なのか、父母愛なのか、親愛なのか、それとも、恋愛感情なのか。けれど、泣きそうなジルを目の当たりして、とても愛してあげたくなるのだ。
 ジルは声にならない言葉を発するように口を動かした。僕の位置しか見えない、言葉だ。
「やっぱり、充葉ぁんだね」多分、こう囁いた。
 安心して呼吸が出来る場所を見つけたような双眸を持ったジルは僕に抱きついた。クラス中から沢山の声が聞こえる。
 なんて異常な光景なんだろうかと、この場に広がる空気を感じ取りながら思ったが、抱き締められた両腕を振り払う無粋な真似なんて出来なかった。











 


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