02



 


 体育祭が終わると、三年生の廊下に篭る雰囲気が、突如として変わる。緊迫した空気が伝わってくる。オフィーリアは小中高大とエスカレート式を引かれているが、それでも、外部へ行く生徒はけして少なくない。特に高校から、オフィーリアに入学した僕のような生徒は、国立受験を希望する場合が多く、赤本を捲る音や、鉛筆を動かす音が止まる時間はない。

「充葉ぁん、また、勉強してるのぉ」
「そうだよ、ジル」

 ジルは僕の背中に抱きつきながら、囃すように僕へ声をかけた。教科書を捲っただけですべて暗記してしまえるこいつは、勉強するという概念自体無いに等しいのだろう。僕が必死になって机へこびり付く姿を嘲笑うように、目視する。

「ジル、離れろ」
「そんなぁ、酷いよぉ、充葉ぁん。オレを否定出来ないくせにぃ」

 コレだ。
 早まったのではないかと、良く思う。
 あの日、僕たちの仲が元通り、いや、幼馴染ではなくなり、正式なセフレになった日から、ジルの決め言葉は、先ほどのものだ。鬱陶しい。クーラー完備の教室といえ、均等の取れた筋肉がついているのに、骨ばっている身体で纏わりつかれると熱い。汗が額から毀れる。それに、行為中のことを思い出す。身体が密着していると。心拍数がいつもより酷い。どうか、悟られませんように。


「勉強なんかしなくていいじゃない」
「この空気の中で、そう言えるのはお前だけだよ、ジル」
「勉強している暇があったら、俺に構ってよぉ」
「後でね」
「……う――ん、しょうがないなぁ。後で、ね」

 黒く塗装された長い爪が視界に映り、ジルの指が鉛筆を動かす僕の手のひらへと触れる。死んでいるみたいな体温なのに、絡み付く温度が一層のこと煩わしく感じる。僕の性感帯を知りつくしているようだ。皆がいる教室の中で、目と手だけを使用して、ジルに犯されている。


「わかったでしょ、充葉ぁん」
「わかったから、離して」
「本当に、離して良いのぉ、充葉、キモチヨクナイ」

 ふふ、とジルは笑う。整った唇はグロスをてからせ、口の隙間から、舌がちらりと見えた。
 平常心、平常心、と言い聞かせる。惑わされてしまったら、僕の負けだ。ジルは憐れもない姿の僕をクラスメイトへ見せることへ何の羞恥も背徳も抱かない。己が、快楽だと思えば、直ぐに行動へと移すだろう。問題集を捲り、皆が解答と求める中で、公開プレイが始まることだけは防がなくては、いけない。


「気持ち良くない。後で、だ。じゃないと、しない」
「充葉に拒否権なんていつから、あったのぉ」
「今からってことにしとけ」
「へぇ、まぁ、良いよ。充葉だから、許してあげるぅ」
「ありがとうジル」
「ふふふ、いいよぉん」

 僕が謝る必要性は、以前と違い僕がジルとの行為を受け入れてしまったからなのだろう。お前には愛しているから受け入れているんだよという言葉など通じないと知っているけどね、ジル。僕はお前が欲しがるものなら、あげたいんだよ。

「充葉ぁん、その問題、間違っているよぉ。馬鹿だねぇ」
「わるかったな。これでも総合順位は一番だ」
「オレがいつも本気出して受けてないから、でしょう」
「本気とか、お前は小学生か」
「だったら良かったね。けど、オレは小学生じゃないよぉ。残念、残念。小学生だったら良かったね」
「ジル」

 二回も繰り返すなんて、と心配する色合いを濃くして問いかけると先ほどとは全く違う空気になり、僕の元を離れた。
 机に置かれた鞄を手にとり、携帯電話を開く。僕にはまったく聞こえなかったがバイブが震えたのだろう。何回か応答を繰り返すと、一目散に教室から出て行った。早退届けはまた僕が書くのか。
 誰の元へなど、聞かなくても判っている。母親がまた手首でも切ったのだろう。ジルが母親を一番大事に、扱い献身的な姿勢で接するのは以前と変わらない。割り切れるほど、 僕は良い性格をしていない。けれど、こうして直接合わなければ以前より、落ち着いた心でいられる。
 快楽を上げられるのが僕だけだという余裕。
 そして、他者から捧げられる、愛という供物がジル・トゥ・オーデルシュヴァングという人間へ受容されるのは、僕をおいて、他に居ないということが、いくらかの平穏を齎したのだろう。
 受け取ってもらえるのは幼馴染という偶然が作りだした結果であろうが、構わない。で、なければ、なんの為の幼馴染という言葉なのか、僕にはわからなくなる。
 人間の繋がりというのは連続性があってこそ、生まれるのだ。長い時間を共有した人間ほど気が緩むのは良くある話だ。高校からいきなり出会った友人と小学校から一緒の友人ではその人間の知っている範囲というがそもそも、違い、下手すれば、性格さえ異なってくるかもしれない。
 どの自分の同じではあるが、ジルという特殊な枠に当てはまる人間にとって時間の共有というのは、大事な出来事なのだろう。 
 だからこそ、の幼馴染なのだ。
 傍に居ることを誰に恥じる必要があるのだろうと、欠席扱いになり空席の坂本の椅子を眺めた。


 


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