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 がらっと開かれる教室の扉。皆が一斉に注目する。クラスの人気者であったジルが一週間も休んだので当然だ。男女問わず、彼に近づき声をかけた。どうして休んでいたの、なにかあったのか、そんな声の数々。けど、ジルはすべての質問に答えなかった。
 項垂れていた。以前のジルなら、そこそこ軽快に答えていたはずだ。皆も異変に気付きはじめ、動揺が走っていた。そんな中でもジルは誰とも喋らなかった。
 最終的に机に伏せるように顔を預け、あの綺麗な顔を誰にも見せなくなった。
 僕も遠目からそれを見ていた。ジルへ近づこうという気になれなかった。多分、自分の罪悪感と向き合うことが嫌だったのだろう。あと、お前のせいだ! とジルに言われるなら誰もいないところがいいと思っていたので、一人、耳は潜ませていたが、お道具箱の整理をして先生が来るのを待っていた。

 すると

「充葉ぁん」

 という、聞きなれた声が聞こえる。声の方へ目線をやると、先ほどまで項垂れていたジルが顔をあげ、じぃっと僕を見ていた。怒鳴られると思ったけど、ジルは予想外に甘い声で再度僕の名前を「充葉ぁ」と呼んだ。

 おそる、おそる、だけど近づく。
 人が映画のワンシーンのように割れて行く。ジルは僕の手首を力いっぱい握り締めると引き寄せた。顔がジルの長い睫毛に近づく。少し気持ち悪かったけど、彼の意図がわからずに首を傾げる。

「ごめんねぇ、連絡とれなくてさぁ。けど、ずっと考えていたんだ。ちょっとこっちに来てくれるかなぁ、充葉ぁん」
「う、うん」

 ジルはそのまま立ち上がり僕は引っ張られるがまま歩いていく。クラスメイトが後をついてこようとしたけど、ジルが一瞥して「ついてくるなよ」と告げたので、皆が一様に脚を止めた。
 ジルは僕を閑散とした教員用の駐車場まで連れてきた。駐車場はプール裏でもあり、冬の濁ったプールを見ながら、ジルは口を開いた。
 「母さんが倒れちゃったからさぁ、オレさぁ」ということから始まった語りはこの一週間、ジルがどう頑張ってジルのお母さんの面倒を見たか、お母さんの精神状態にどのような役割を果たしたかというものだった。
 怒鳴られると思っていた僕は唖然としながらその話を聞いていた。以前と違う、舌足らずな甘い伸ばした喋り方に違和感を覚えながらも僕は罪悪感を埋める為にひたすら彼の話を聞いた。最終的にジルは「だからさぁ、母さんにはオレがいないとだめなんだぁ」という言葉で結んだ。
 それからだ、ジルが一変したのは。
 僕以外には喋らなくなった。俯き教室の机ばかり見ているのが当たり前になり、喋りかけられても無視を通し続けた。そして、彼は授業が終わるとすぐに帰宅するようになった。あの事件以来、すぐに帰宅しないと母親が手首を切ってしまうという構図が出来上がったらしく、一目散で教室を出る。そして、たまに、彼の父親がいるときは僕と帰った。
 ジルは元々賢い子どもなので暫く母親と共にいて、母親を第一に考える様な生活を送るようになってからというもの、どうやらお母さんは親父がいるときには手首を切ろうとしないという方程式を編み出したようだった。
 それでも、彼は僕以外には喋らなかったし、遊ばなかった。人気者だった彼は高根の花になり、僕は嫉妬の対象だった。僕はその視線が嫌だったけど、罪悪感から抜け出すことが出来ずに、ジルの行動をすべて受け入れた。 
 そして、もう一つ。
 僕は学校で皆が憧れ近づきたい存在であるジルの隣に居ることが出来て嬉しかった。体中を今まで知らなかった類の嬉しさが走りまわっていた。
 のちに僕はその感情の名前が優越感と知り一人で恥をかくことになる。それは、ジルが化粧をするという異質な行動をとるようになった中学生の頃。





 中学校の入学式だった。化粧を施した彼が現れたのは。頭はワックスで硬め、睫毛は痛々しいほど主張している。アイラインは濃く引かれ垂れ目にみえる。唇にはたっぷりのグロスが塗りたくられ、艶がある。はじめ、そんな彼をみたときは唖然とした眼差しをむけることしか、できなかった。

「どうしたの、ジル?」
「ああ化粧のことおぅ。あのさぁ、親父の前じゃあ母さん手首切らないからぁ、もしオレが親父にもっと似ることが出来たら母さんも喜ぶかなぁって」

 ジルは陽気に話していた。甘ったるい喋り方にもこの四年間で慣れてしまったけど、さすがに化粧をやり始めるなんて予想外だった。ジルはあの日以来、学校に居るときや彼のお父さんが休みの日、暇さえあれば僕の所にきて、濁った緑色のプールを見ながら自分の頑張りを報告してきたけど、さすがに化粧をする決意と言う言葉は聞いたことなかった。
 ジルは近所のおばさんが親父によく似ているって言ってくれたと軽快に話していたが正直、あまり似ているとはいえなかったけど「そうだね、似ていると思う」と答えておいた。すると、ジルは拗ねたような顔をして、あのどこまでも人を見透かすような眸を歪めると僕の頬っぺたを抓った。

「酷いなぁ、充葉は」

 ジルは唐突にそれだけを言って僕の前から去った。意味がわからず首を傾げてしまったけど、中学校で落ち着いてジルと会話が出来たのは、もしかしたらあの時だけだったかも知れない。
 中学生になりジルは変わった。
 化粧をしだしたということもあるけれど、僕にとって大きな変化だったのは彼が僕以外と喋るようになったということだ。小学生の頃、四年間続いた報告会のようなものに、少しうんざりしていた僕だけど(彼の母親に対する偏愛は僕にとって理解不能な部分を多々含んでいて、聞いているといらつく場面もあった)なぜかそれは中学生になっても続くものだと思っていた。いや、続いてはいるのだけどその頻度はぐんっと減った。毎日だったのに、今ではせいぜい、一週間に一度ほどだ。すっきりすると思っていたのに、もやもやした感情は溜まるばかりだった。
 今まで僕にしか喋らなかったジルが他の人にも話しかけている。気まぐれで母親のこと以外では自己中心的なジルだけど、誰もを魅了する肉声を放ちながら口を動かしている。僕はそんなジルを見つけてしまうと、勝手に裏切られたという気持ちになった。ジルは一度だって僕以外とは喋らないという約束をしたことはない。
 ただ、僕の中でそれは勝手に指切りされていたようで、どうして僕以外と喋るんだ! という気持ちになり、身勝手に傷ついた。あまりに勝手過ぎる傷つき具合に自分自身でも笑いたくなった。
 そして気付いたんだ。
 小学生の頃、人気者で高根の花なジルが僕だけ喋るということに優越感を抱いていたことに。時たま、感じる、ジルのお母さんに対して処理不能な苛立ちを抱えていたのだけど、その優越感を刺激されていたからなんだってことだったんだ。ずっと罪悪感という言葉を盾に僕につきまとっていたジルに付き合ってあげていたのは僕の方だと思っていたけど、そうじゃなくて優越感を得たいがために、ジルにつきまとっていたのは僕の方だったのかも知れない。
 また、同時に思ってしまった。僕は、どうして、ジルと一緒にいるのだろう、と。
 優越感も消え去り小さな嫉妬が残り、罪悪感も盾でしかなかった。
 なら、僕はどうして、ジルと一緒にいるのだろうか。







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