ごうごうと燃える火は境界線の曖昧な夜の海をゆっくりと進んで行く。若き二番隊の隊長の手により粛々と灯された手向けの炎は、亡き男の棺を包み燃え盛る。白いコックコートに黄色いスカーフ、なにより特徴的なリーゼントを携えて眠る彼の棺は、船長の手により閉じられた。風は凪、船体に打ち付ける波に揺られ、ゆっくりとモビーディックから離れていく赤に、誰かの嗚咽が付された。みな一瞬たりとも目を逸らすまいと、涙をとめどなく流しながらも固く握った拳を胸に当て、四番隊隊長の最期の時を見守る。
鼻を啜る音と歯を食い縛る音。甲板に整然と並んだ家族たちは脳裏に焼き付けるかの如く瞬きさえも許さぬと波に漂いながらも黒い空に向かって燃え盛る炎をまっすぐ見つめていた。
一際大きな火の粉を舞い上げ、棺は燃え尽き、やがてゆっくりと海に沈んでいった。海上にわずかに残った赤も、すぐに黒に呑まれた。
誰の声が皮切りだったか、次々に彼の名を泣き叫びながら頽れる屈強な男たち。歯を食いしばりながら滔々と涙を流す者、甲板を叩きながら涙と鼻水を垂らして彼の名を叫ぶ者。静かに涙を流し、亡き彼の穏やかな眠りを祈る者。白鯨の船に乗る誰もが涙を流し、彼の死の道の平安を願っていた。ただひとりを除いて。
船縁に両手を乗せ、燃え尽き海に沈んでいった彼方を眺める彼女の目に涙はない。ただ静かに、表情を浮かべることもせず、いつまでも、いつまでも彼が沈んだ地平線を眺めていた。



彼女が服毒自殺をしたのは、エースがティーチを追って船を降りてすぐのことだった。朝も昼も食堂に顔を出さない彼女に気づいたコックが部屋を訪ねたときにはもう、冷たくなった彼女がベッドの上に横たわっていた。戦闘員兼医療班だった彼女が、致死量の薬を持っていてもおかしくはない。サッチを失い、エースもいなくなった船内に駆け抜けた悲報は、家族全員に深い傷を負わせた。
ベッドに横たわる彼女の遺体をそっと抱きしめたオヤジは、「…親不孝の大バカ娘が」と僅かに目尻に涙を溜めて小さく呟いた。初めて聞いた、消え入りそうな声だった。
涙を流すことも忘れ、途方に暮れたように呆然とする家族の中、俺はひとり淡々としていた。まるで自分の体や感情から、自己が剥離しているような感覚。

俺は、知っていた。
サッチを失った彼女が、もうこの世界で息をすることさえできないことを。
知っていた。

彼女の自殺は計画的だった。なすべき仕事や彼女だけが知り得る情報の隠し場所、子飼いの情報屋の引き継ぎ、その他彼女が亡くなったあと不都合が生じることがないように、全てのことは成されていた。(それはつまり、彼女はサッチが死んだときにはもう、後を追うことを決めていたということの裏付けだった。)
彼女らしい死に方だった。長年共に暮らしてきたからこそ、その事実に苦笑すら覚えた。彼女と俺とサッチはほぼ同期みたいなもので、オヤジの子になった時期も似たようなもんだった。俺のことはあのふたりが一番よく知っていて、彼女のことは俺とサッチが一番良く知っていて、サッチのことは俺と彼女が一番よく知っていた。
だからこそ、俺は知っていた。
サッチが死ぬとき、彼女も共にと望んでいたことを。それを彼女もよく知っていたはずだ。だからこそ、彼女はサッチの望むまま、こうして命を絶った。
いや、こうなることを一番望んでいたのは彼女自身だったのだろう。俺は知っていたはずだ。あの日、船縁からサッチの沈んだ海をずっと眺めていた彼女の横顔を見たときに、全て悟っていた。

「ひでぇ女だよい」

彼女が横たわるベッドの横、丸椅子に腰掛けてうなだれる。今にも起き上がりそうなほど静かに眠る彼女の目はしかし、もう二度と開かれることはない。不規則な床の木目をなぞるように口元を歪めた。

「オメー、全部わかってたんだろい?」

問いかけるも、答えが返って来ることはない。顔を上げて彼女の真っ白な頬に手を添えた。ぞくりとするほど冷たい肌は生前を思い出せなくなるほど底冷えさせた。頬をなぞり、口唇に指を這わせる。微かに柔さを残した赤を、何度も何度も、指の腹で撫ぜる。
彼女はきっと、死んだのが俺でも後を追いかけたはずだ。彼女は、そういう奴だった。

「俺が、死にたくても死ねねェの、お前が一番よくわかってたくせによォ」

きっと彼女は知っている。本当は俺が、お前らふたりの後を追いたいのを。それでも俺は、不死鳥で、一番隊隊長で、オヤジの長男だ。わかっている。

「なにが、ごめんだよい」

最後の最期まで自分勝手な女だ。立ち上がり際にそっと彼女の口唇に己のそれを重ね合わせる。最期のキス。
これが全て悪夢だったならよかったのにな。

かし僕もで




こともあった



企画没
タイトル.is

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