「よっわ……」

眼下で繰り広げられている戦闘はあまりに一方的で、見ていて面白くもなんともない。そりゃあ家族のだれもケガしないで済んでくれそうだからそれは何よりなんだけどさ。それにしても弱すぎる。相手をしている4番隊の顔も物足りないと不満気だ。よくもまあこんな雑魚どもが今までグランドラインを渡って来れたと思う。航海士だけは腕のいいのを雇っていたのか、それともただの運か。だとしたら随分な強運と悪運の持ち主だったろうが、今回ばかりは海の女神さまは微笑んじゃくれなかったらしい。どう考えても、喧嘩を売る相手を間違えた。

「出る幕なしかなぁ…」

完全に勝負はついてるし、もう観戦をやめて部屋に戻っても大丈夫そうかな、と指先に留まった蟲に問いかける。

「お」

ふと視線に止まったのは、既に半壊状態でかろうじて海に浮かんでいる敵船の中からライフルを手に出てきた大柄な男。その視線の先をたどれば、どうやら甲板の上で傍観を決め込んでいるウチの隊長を狙っているらしい。

「ロック、オーン」

にやりと口角があがり、指先に止まった蟲がびびっと小さな羽を震わせて夜空へと飛び立つ。マストの上で軽く体を伸ばしてほぐせば、ざわりと蟲が騒めく。…さて、ひと暴れしますかね。




勝敗は一目瞭然だった。自分たちがどれだけ無謀なことをしたのか、わかったときには既に後の祭りだ。海賊は聖者でもなんでもない。非を認めて謝れば許してもらえるなどという、あまっちょろい世界ではない。よくて即死、悪くて嬲り殺されるのがオチだ。
だったら、最後の命をかけてせめて一矢報いるくらいやらねェと、気がすまねェ。曲がりなりにも俺たちだって海賊だ。海の男のプライドはある。
船内から取ってきたライフルを構え、白ひげの幹部、たしか16番隊の隊長の頭を狙う。幸運にもあちらからは死角であるこの場所から狙えば、まず気づかれることはない。
かたかたと全身が震える。照準をあわせ、小刻みに震える指を引き金にかける。緊張で短く、早くなっていく呼吸を止め、人差し指に力を込めたとき、ふと耳の裏でかすかな蟲の羽音を聞いた。気にも止めずに引き金を引こうとしたそのとき、ぞわりと背筋を何かが駆け抜け、瞬く間に真っ黒な何かが視界を覆い尽くした。

「うぁあ゛ああぁあ゛あああ!!?」

腕を這い、全身にまとわりつき、黒が俺の全身を覆う。訳が分からずパニックに陥り無我夢中で引き金を引くも、カチャカチャと軽い音を立てるだけで銃弾が放たれることはない。何故だと考える暇すらなく、体内を何かが這いずり回る激痛に、腕からライフルが滑り落ち甲板に落下した。

「あ゛あ゛あ゛あ゛…」

耳元で鳴り続けるは、幾重にも重なり轟音と化した蟲の羽音。口から入りこみ、喉を通り食道を降下して体内に侵入していく。眼球を這い、爪の間に食い込み、耳の穴から脳を侵される。

「ぅ゛あ゛ぁあああ゛あ゛ああ゛!!!」

血管を血液でない何かが這いずり回る形容し難い激痛に膝が崩れ落ち、為す術なく意識を手放す。

「゛蟲玉゛」

最期のときに空気を震わせた音は、戦場には不釣り合いな美しい響きを持った、ひどく静かな声だった。


蟲を操る女


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