瞼:憧憬/跡部


この目の前の男は、心底ずるい人間だと思う。この氷帝学園の生徒会長で、全国区のテニス部の部長、しかも跡部財閥の次期社長と来たもんだ。肩書きだけでも完璧だというのに、容姿やスタイル、頭の作りまでも完璧と来たら憧れ通り越して嫌味しか感じない。人間の最も無防備な寝顔でさえこんなにも整っているのだから、もはや笑うしかない。
橙色に染まる生徒会室の柔らかなソファに横たわる生徒会長。長い足を組み、静かな寝息を立てる姿を写メって跡部様ファンクラブにでも高値で売ってやれば、悠にわたしのお小遣い一年分くらいの値になるんじゃないかと本気で思う。
机の上には大量の資料やら書類やらが乗っかっている。一見すると乱雑に見えるけれど、一番仕事しやすいように纏められているから憎い。彼は几帳面なのだ。
完全に私物化されている生徒会室に置かれたコーヒーメーカーが音を立てる。ここ1週間、彼はいつにもまして大忙しだった。テニス部の全国大会出場のため部長である彼は尽力していたし、今年の全国大会の舞台がここ氷帝になり、それに伴う仕事が一気に増えたのだ。それに加え彼自身の練習もあるだろう。なぜ生きていられるのか疑問に思うほどの多忙さである。
彼の横たわるソファに歩み寄り、若干眉間に皺の寄った寝顔を覗き込む。
生徒会に入って、副会長になって、もう一年になるけれど、彼に理不尽な扱いを受けたことは一度もない。どんな失敗をしても、一生懸命やった結果ならば全力でカバーしてくれるし、怒ることもない。嫌味のひとつさえ、言われた覚えはない。いつだって不器用なわたしをフォローして支えて、言葉と行動で奮い立たせてくれた。
ずるい男だ。金持ちの坊っちゃんらしく、ひとの痛みなんてわからない、どこまでも不遜で俺様で傍若無人な人間ならよかった。3年間一切関わることもなく、自意識過剰な氷帝の王様だと何も知らないまま他人事みたいに馬鹿に出来ればよかった。
思いの外深い眠りについているらしい彼の長い睫毛で縁取られた目蓋に、そっと口唇を落とす。

隣りを歩けないのなら、せめてその背中を追うことだけは。



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