手首:欲望/松永
※吸血鬼パロディ
音もなく手首を伝う赤を無感情に見つめる。傍らに転がった剃刀に付着した赤は月明かりを妖しく反射させる。じくじくと熱を孕む傷口は赤く、熟れた果実のように艶がかっていた。
「随分と甘い香りがするものだ」
ふと振り返れば、自分のベッドに見知らぬ男が腰掛けていた。男は白髪の交じった髪を撫で付け、後ろに流しており、今時珍しいアンティーク調のモノクルをつけていた。
「…一応、おんなのこの部屋なので」
真っ黒なスーツに身を包んだ男は優雅に長い足を組み、くつくつと喉奥を低く震わせた。
「たしかに、卿の言う通りだ」
愉快愉快と肩を震わせる壮齢の男。月明かりしか射し込まない薄暗い部屋の中、上品な仕草で立ち上がった男は、カーペットの上に転がったままの剃刀を拾い上げ舌を這わせた。剃刀の刃をなぞった箇所から血が滲む、赤い舌。
「ならばこうしよう」
男は剃刀を持ったまま大仰に肩を竦めてみせた。ふわりと上品な香の香りが立ち込める。くらりと視界が揺れた。
「卿は、随分と甘いにおいがするな」
甘美な響きを伴った低い声が鼓膜を揺らしたと同時、一瞬にして目の前に男が立ち塞がっていた。
反射的に半歩足を引いたわたしの腕を男は滑らかな動作でからめ取り、赤く滲む傷口に舌を這わせる。薄く開いた口唇から覗く、鋭く伸びた犬歯。
男の満月を思わせる金色の瞳が、鮮やかなアイスブルーに変わった。
「己が求めるままに、喰らうとしよう」
這わせていた舌はそのまま男の口端を掠め、捕われたままの手首にはキスを落とされる。
あんなにも赤く熱を孕んでいた傷口は、跡形もなくなっていた。
では、お手を拝借
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