恋愛小説は好かん。
 特に携帯小説はダメじゃ。あれを読んどると、いつの間にか鳥肌が立ってくる。
 一時期幸村が携帯小説にハマって、部の奴等にすごく軽薄で浅ましくて面白いよと何冊かの文庫本を回して来た。真田と参謀はまず横書きっちゅーとこで読むのを断念しとった。読破したんは俺と柳生とジャッカルの3人で、丸井は既に読んだことがあったらしい。赤也は生理的に無理ッス!と参謀に泣きついとった。
 結果がどうであれテニス部のレギュラーが一時期こぞって携帯小説を読んどったのは事実。それに敏感に反応した女子がそれらを買い占め、立海大周辺の本屋から携帯小説が在庫ともども売り切れるというプチ社会現象を起こしたんは記憶に新しい。

 あの中の世界は酷く現実味がない。だからこそ小説になるんじゃろうが、読んどるとどうにも馬鹿らしくなってくる。現実の恋はもっと単純明快でわかりやすい。
 好きってだけじゃどうにもならん。
 それだけじゃ。

 冬の廊下っちゅーのは寒くていかん。教室は空調が効いとるからそれなりに過ごしやすいが、一度廊下に顔を出せばそこはまるで別世界。ここまで温度差があるんもどうなんじゃろな。
 指定マフラーに鼻まで埋めて、目的の教室まで向かう。3Aとプレートが示す教室のドアを開ければ、何人かが振り返った。無遠慮に寄せられる視線を特に気にすることもなく、目的の人物のもとまで足を運ぶ。

「お待たせ。一緒に帰るぜよ」
「…うん」

 椅子に座って携帯をいじっていた彼女にそう声をかければ、彼女は俺と同じようにマフラーを巻いて立ち上がる。
 夏の全国大会が終わり、俺たちはテニス部を引退した。今でも後輩指導っちゅー最もらしい名目をつけてよく顔を出しちょるが、実際はただテニスがしたいだけ。このまま附属高校に通う俺たちは一応卒業試験と入学試験はあるものの、そこまで焦る必要もない。思う存分放課後の時間を好きにできるっちゅーわけ。事実、真田が毎日のように顔を出すと赤也が涙目じゃったしな。
 なにかと集まっていたレギュラーの面子も、今ではそこまで頻繁に集まらなくなった。別に仲が悪くなったとか、絆が弱くなったとかそんな軽薄な理由じゃなくて、ただわざわざ集まり合う必要性がなくなっただけ。その証拠に廊下なんかで顔を合わせれば自然に会話が始まる。

「仁王君」
「ん?なんじゃやーぎゅ」

 彼女の手を取り教室を後にしようとしたところで、柳生に声を掛けられた。人と話す前に眼鏡のブリッジを押し上げる癖は相変わらずのようじゃ。

「幸村君からの伝言です。今度、切原君の慰労会を開くそうです」
「ほう。日時は?」
「まだ決定事項ではありませんが、予定では次の土曜日の夜、真田君の家で行うそうです」
「わかった。開けとくナリ」

 じゃーのーと手をひらひらさせて、教室のドアに手をかける。

「…またね、柳生君」
「…えぇ。また明日。仁王君にお気をつけて」
「どーいう意味じゃ」

 柳生の軽口に適当に口を挟み、彼女の手を引けば、彼女は柳生に手を振り、なんの抵抗もなく俺の後に着いて来る。

「どっか寄りたいとこあったら言いんしゃい」
「ありがと、でも今日は何もないよ」

 俺に腕を引かれるまま少し後ろを歩く彼女が、俺の手を握り返して来たことはない。今も、昔も、きっとこれからも。

「あ、そうじゃった」

 足を止め、カバンの中に手を突っ込む。すぐに指に触れたそれを掴んで取り出し、彼女の手に握らせた。

「ひつじ…?」
「昨日ブンちゃんと赤也でゲーセン行ったときに獲ったナリ」

 もこもこでふわふわのまるっこい白い羊のストラップは、彼女の手のひらの上にちんまりおさまっとる。

「ちなみにおそろいナリ」

 ポケットから色違いの茶色いふわふわ羊を取り出して見せれば、彼女は少しだけ悲しみを滲ませた柔らかな笑みを浮かべた。

「…ありがと」
「ん、」

 彼女がカバンにストラップをしまったのを確認して、また歩きだす。
 凍えるように寒い通学路。吐き出す息は当然のように白く、繋いだ手も感覚がなくなるくらい冷たい。沿道にはところどころ雪が残っている。

「なあ」
「…ん?」
「好いとうよ」
「……うん」

 後ろは振り返らない。きっと彼女は、泣きそうな顔をしてるだろうから。


▼▽▼▽


 彼女を初めて見たんは、特に意味もなく柳生のクラスに遊びに行ったときじゃった。春のうららかな陽射しを浴びて微笑むその横顔が妙に印象的で、それが柳生に向けられてるのが何故だか不思議な気分だった。そのときから何かと彼女の姿を視界の端でとらえるようになった。合同体育んときとか、A組に行ったとき、移動教室、購買。数えあげたらキリがないが、本当に彼女はごく自然に俺の視界に入り、そして俺を一度も見ることなく去っていく。目が合うのは柳生といるときだけ。誰に聞かずともその意味を悟ることなど簡単じゃった。

「お前さんが好きじゃ」

 そう告げたんは全国大会が終わった次の日のことだった。

「俺と付き合うてほしい」

 俺の告白に、彼女はなかなか首を縦に振らなかったが、縋りつくように懇願を繰り返す俺に耐えられんかったのか、最後はコクリと小さく頷いた。彼女は俺の恋人になった。特に周りを気にすることもなく接しとったから、その事実はあっという間に学校中に広まった。もちろん、レギュラーの奴等にも。そして、柳生にも。

「…そろそろ、潮時かのー…」

 びゅうびゅうと冷たい風が吹き荒ぶ冬の屋上に来る奇異な奴なんてそういない。この敷地内で一番高い場所に腰を掛け、シャボン玉を飛ばす。鋭い北風に流されて、シャボン玉はあっという間に割れて消えた。


▼▽▼▽


 午後の授業中に、はらはらと雪が降り出した。どうりで今日は一段と冷えちょるはずだ。帰りの寒さを考えただけで憂鬱になる。つまらん授業をぼんやりと聞き流しながら、机に突っ伏して携帯を開く。彼女に帰りは教室で待っててくれないかとメールを打てば、少し時間を置いてから了承の返事が返って来る。
 ごろりと頭の向きを変えれば、灰色を背景に真白い雪がひらひらと舞っているのが見えた。ふわふわの綿雪。きっと帰りまでにたくさん積もるだろう。
 ポケットの中の羊を握り締めた。



 誰もいなくなった教室に、彼女はひとり佇んどった。

「待たせたのう」
「ううん」

 窓枠に手をかけ、外を眺める彼女の脇に立つ。寄りかかった窓ガラスの冷たさが、じわりと背中に伝った。

「…なあ」
「うん…?」

 彼女は窓の外を見つめたまま、俺は誰もいない教室を見つめたまま声を発する。ぱかりと、手のひらの中の携帯を意味もなく開閉した。

「別れてくれん?」

 唐突に吐き出した俺の言葉に、彼女がぴたりと動きを止めたんがわかった。

「…え?」

 かすれた声が俺に向けられる。ようやく彼女の視界は俺を映した。だが俺は彼女に視線を向けることなく、ふう、と小さく息を吐いた。

「なんちゅーか、飽きた」

 そう淡々と言葉にすれば、彼女はしばらくの沈黙のあと、そう…と小さく呟く。今すぐにでも雪に吸収されてしまいそうなほどの、小さな呟きだった。

「ま、そういうことなんじゃが、ひとつ頼みがあってのー」
「たのみ…?」
「最後に一発、ヤらせてくれん?」

 俺の言葉に、彼女は大きく目を見開く。意味がわからないと、言葉にせずともその表情がありありと物語っていた。
 ポケットに携帯をしまい、窓枠から体を離し、彼女に向き直る。

「なんだかんだ予定が合わんくてできんかったからのー。な?最後くらいエェじゃろ?」

 ポケットに両手を突っ込んで彼女に顔を近付ければ、ふいっと顔が逸らされる。わ、わたし…と小さな声が聞こえるが、関係ない。
 彼女の薄い肩を掴み、不意打ちで机に押し倒した。反射的に抵抗しようとした彼女の細っこい両手首を片手で頭上に縫い止め、もう片手で彼女の顎を掴んで無理矢理口唇を重ねた。くぐもった声を上げる彼女の口唇を食むように挟み、舐めあげる。

「ハッ…そんな顔しちょっても、男を煽るだけじゃよ?」

 瞳いっぱいに涙を溜め、必死に俺を睨め上げとるが、怯えが瞳の奥をゆらゆらと揺らめかせている。扇情的なその光景に、ゾクリと背筋が粟だった。

「や、め…!」

 声を上げようとした彼女の口唇を塞ぎ、その首元のネクタイに手を伸ばす。結び目にぐっと力を入れれば簡単にしゅるしゅると解けるそれで、器用に彼女の両腕を縛った。

「に、おく…!」
「そう焦らんでも、ちゃんと気持ち良くさせたるけん黙っときんしゃい」

 手のひらで口を塞ぎ、片手でブレザーとブラウスのボタンを外していく。くぐもった声は全て俺の手の中に消えていく。じたばたと必死に足でもがこうとするも、俺の体でうまく抑えつければ抵抗などあってないようなもの。ぼろぼろと絶えず涙を流し、怯えた瞳で俺を見上げる彼女にとびっきり優しく微笑んで、その胸に指を這わせたときだった。

「…何を、やっているんですか」

 教室の後ろのドアから響いた低い声に、動きを止め振り返る。何の表情も浮かべていない柳生が、ドアに手をかけたまま立っていた。

「なにって…見たまんまじゃけど」

 へらりと笑ってそう告げれば、柳生はかつかつと俺の元まで来ると、何の前触れもなく思い切り拳で俺の頬を殴った。強い衝撃に体が浮き、軽くぶっ飛んだ背中に窓枠が当たる。遅れて伝わった痛みが、背中全体に広がった。

「見損ないましたよ、仁王君」

 眼鏡の奥の瞳が冷たく俺を見下ろす。起き上がり、ブラウスの胸元を握って震える彼女を庇うように立つ柳生を見上げ、はっと小さく息を漏らした。

「…興醒めじゃ」

 立ち上がり、じわりと血の味が滲む口端を親指で拭いながら、そのまま柳生に背を向けた。彼女が俺を呼び止めることはなかった。




 本当は最初から気付いていた。彼女が柳生に恋をしていたことなど。
 本当はずっと気付いていた。柳生も同じように、彼女に恋をしていたことなど。
 本当は全部気付いていた。全国が終わったら、柳生が彼女に想いを告げようとしとったことぐらい。
 俺は、全部、全部知っとったんじゃ。
 俺が彼女に恋したときにはもう、あのふたりは両想いだった。つまり俺は最初からお邪魔虫だったんじゃ。
 なのに。報われないとわかっとったのに、俺は彼女への想いを自分の中で処理できんかった。いや、わざとそうしなかったんじゃ。
 俺は、親友の好きな人を横取りした。最低野郎じゃ。傷つく資格なんてない。俺はもう、柳生と彼女を傷つけ過ぎた。

 降りしきる雪の中、傘も差さず、マフラーも巻かず、ただ歩き続ける。

「…なっさけない男じゃのう」

 たったひとりの好きな女すら、自分の手で幸せにできんなんて。
 ポケットから彼女とおそろいのストラップを取り出す。かじかみ感覚のない手のひらに、じんわりと温もりが生まれる。
 幸せだった。たとえ、隣りにおる俺に、彼女のこころが向いていなくとも、彼女の傍で過ごせたあの時間が、あの日々が、何よりも、何よりも幸せだった。
 はらはらと涙が頬を伝う。温かいそれはとどまることなく流れ続けて、冷たい頬を濡らした。吐き出す息は白く、雪は止むことなく降り続いている。

「好いとうよ」

 手のひらの中のストラップに口唇を寄せる。彼女との初めてのキスは、涙の味がした。



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