翌日に迫った試験に向け最後の追い込みをしていたのだけれど、あんまりにも追い込みすぎて頭が飽和状態となり、まるで生理前のような情緒不安定に陥りかけた。財布から150円だけ取り出して、スウェットの右ポケットに入れる。健康サンダルをひっかけてドアを開けた。

自販機までは大体家から300メートルくらいで、のんびり歩いていればいい気分転換にもなるだろう。ただ残念なことに8月の夜はどうしたって気温も風も生温くて、冬のような寒さで頭が冴え渡る感覚は味わえない。まあ部屋に籠もってずっと参考書とにらめっこしてるよりはよっぽどマシだと詰まっていた息を吐き出す。

つ、はあああと肺の中の二酸化炭素を全部出す勢いで息を吐けば、幾分か身体が軽くなる。頭に詰め込んでいた英単語やら漢字やら公式も一緒に吐き出してしまった気分だが、戻って少し復習すれば大丈夫だろう。…多分。

ぺったぺたと健康サンダルをならしながら人気のない夜のアスファルトを歩く。雨上がりだからか、空気がしっとりと身体に纏わりついて流れていく。意味もなく縁石の上を歩いて、すぐに降りる。いつも通りの行為も、今はただ自分を虚しくさせるだけだ。

もう一度、大きく息を吐く。空を見上げても星空なんて見えなくて、ただ曇った夜空が広がっているだけ。月明かりのひとつもない。

不意にうるっと、涙腺が緩んだ。意味なんてない。
ただ自然に涙が零れた。

寂しい、疲れた、甘えたい、頑張らなくちゃ、認められたい。いろんな感情がごっちゃになって、ぎゅうぎゅう詰めにされた満員電車みたい。誰かに甘えたくて、話を聞いて欲しくて。でも自分から行動する勇気のないわたしの携帯は左ポケットにしまわれたまま。本当に弱い自分に、嫌気が差す。

もう一度、大きく溜息を吐いたときだった。軽快な音楽と共に左ポケットの携帯が震え出した。この着信音は電話だと慌てて取り出せば、画面に表示された名前に心臓がどくりと脈打った。

「も、もしもし」
『おー、突然悪いのう』
「にお?」
『おん、』

電話越しに鼓膜を震わせる低い声。直接聞くのとはまたちょっと違う仁王の声が、耳をくすぐる。どきどきとうるさい心臓の音を誤魔化すように「どうしたの?」と口を開く。

『いや、用っちゅう用はないんじゃけど、』

お前さんの声が聞きたくなったナリ。極自然に、当たり前のように、そんなことを言われて。…頬が、火照る。

「そ、そっか…!」

なんて返したらいいのかもわからず、とりあえずそう口にするけれど、明らかに声が裏返ってしまった。余計に顔を赤くさせるわたしの耳に届いたのは、仁王がふっと優しく笑った声だった。

『明日、試験なんじゃろ?』
「う、ん…」
『頑張りんしゃい。お前さんなら絶対出来るき』

そう優しく声をかけられ、また涙腺が緩む。ぐじゅりと鼻をすすって、うんと頷いた。


上手に泣けないあなたへ
(におは、いつもわたしの欲しい言葉をくれる)



110825 title.虫喰い