隣の席に白い花瓶が置かれたのは、季節はずれの台風の次の日だった。

太陽だったあのこが


体育館の中に整然と列を作る生徒。カーディガンを着ている背中がちらほらと目立つようになって来た10月の終わり。校長の黙祷の声を合図に静かに目を伏せる。微かに聞こえる鼻を啜る音。マイクの余韻が残る体育館は異様なまでに静かで、誤魔化すようにポケットの中のボールペンをかちりと鳴らした。

今度は星になったって?


俺と彼女との接点を挙げ連ねたところで挙げられるのはクラスメイトという一点のみだろう。今までクラスが重なったこともなければ同じクラスになったあとも片手で足りるほどしか言葉を交わしたことはない。そのくらいの接点。
カバンを肩にかけ階段を下る。踊り場に掲示された色褪せたポスターと美術部の生徒の作品。ボールペンで書かれた壁の落書き。至るところに残されている生きた証の中に無意識に彼女の名前を探した。不思議な感覚だった。

それは面白い冗談だね


彼女が亡くなって3日が経った。噂によれば彼女は信号無視のトラックに撥ねられたらしい。即死だったのだろう。それがせめてもの救いだったと教員がハンカチを片手に話していた。
隣の席にはいまだに白い花瓶が置かれている。次の日には机の中に置かれたままだった辞書や資料集はいつの間にか姿を消し、彼女の机の中は空になっていた。教室の後ろに設置されたロッカー、下駄箱、特別棟のスリッパ、いたるところに彼女の名前が残っていた。浮かない顔をしたクラスメイトたちも徐々に顔をあげ声を張り上げて話すようになった。誰かが彼女の机の脇を通る。無意識に逸らされた視線が少しだけ痛かった。

ああもう笑いすぎて


朝練があると勘違いして一番乗りをした教室。彼女が亡くなった日から一週間が経った。白い花瓶は昨日のうちに片付けられ、机と椅子だけが残っていた。自分の机に鞄を置いて、カタリと彼女の椅子を引いて腰掛けてみる。少しだけ真っ直ぐに見える黒板、中途半端にかけられたカーテン、覗き込まないと見えない校庭と隣に見える俺の席。これが、彼女の世界だったのか。
ふとゆっくりとうつ伏せに机に寝てみれば、かすかに残る落書きの跡。消えかかったシャーペンの文字。仁王雅治の文字。俺の机に残るありがとうの5文字。ゆっくりと人差し指と中指でなぞればもっと薄くなる跡。あの日は、席替えがあった日で、たまたま彼女が俺の隣になって、彼女が俺の名前の漢字を聞いてきて、それに俺が答えた文字。そして彼女が応えた文字。
彼女は、確かに存在していた。あの日俺たちは確かに存在を交わしあった。本当は、これからもっと仲良くなるつもりだった。彼女の笑顔が好きだった。高すぎない彼女の声が好きだった。きゃらきゃらと響く笑い声が好きだった。真剣な横顔が好きだった。一度だけ交わした優しい言葉を発する口唇が好きだった。よく見ると色素の薄い瞳も、口元にできるえくぼも、柔らかそうな髪の毛も、これから彼女の隣でそれを眺めて、言葉を交わして、伝えたかった。ずっとずっと、伝えたかった。

「…ははっ…」

目頭が熱い。目尻も熱い。鼻の奥がツンとする。喉がひきつる。視界が滲む。心臓が悲鳴をあげる。もう二度と会えない彼女は眩しくてさよならも言わせてくれやしない。

ほら 涙が


企画「欠伸」さま提出
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