冷え冷えとした廊下を歩く度に、上履きがリノリウムを擦ってきゅっきゅと鳴く。腕の中のノートを抱えなおして教室を目指す。
昼休み、特別棟の方に設置された自販機にしか売ってないおしるこを買いにきたらたまたま現代社会担当の先生に捕まって雑用を頼まれてしまった。まあ別に用は済んだから教室帰ろうと思ってたし別にいんですけどね。ただクラス全員分のノートはちょっと重くて面倒だ。
ふう、とため息を吐いて顔をあげればさっきわたしがおしるこを買った自販機の前に山内くんがいた。

「…また雑用か」
「うん、なんかね」

山内くんの呆れたような同情を含んだ視線に苦笑で返事を返す。なぜかわからないけど、雑用を頼まれたときに限って山内くんとよく会う。もしかしたらパシられてるかわいそうな子とでも思われているのだろうか。
山内くんは自販機から取り出したブラックのコーヒーをポケットに入れて、わたしの腕の中からノートを半分以上掴むとそのまま歩き出した。

「おら、教室戻んぞ」
「ん、ありがとね」

腕の中には10人分くらいに減ったノートの束。とても肩が楽になった。少し前を行く山内くんの隣に小走りで駆け寄れば薄く微笑んでくれた。強面だから若干威圧感を纏っている彼だけれど、本当はものすごく優しくて親切な人なのだ。なにかというと助けてもらってばかりで申し訳なくなる。
他愛のない話に花を咲かせ渡り廊下を歩いていたら、苗字先輩、とキツめのソプラノがわたしの名を呼んだ。

「今おはなしいいですか」

振り返った先にいたのは、明るい色をした髪の長い女の子。上履きの色からして一年生だろう。彼女はその勝ち気な瞳でわたしを睨んでいた。

「…少しなら大丈夫だよ」

目で山内くんに先に行ってもらうよう促したけど、山内くんは軽く首を振ってここにとどまることを示した。
彼女に向き合うように身体を向ける。相変わらず彼女の瞳はわたしを強く貫いていた。彼女は腕を組み、威圧的な態度で口を開く。グロスの塗られた口唇がてらてらと光っていた。

「仁王先輩と付き合ってるんですか」

告げられた言葉に苦笑しか浮かばない。やっぱり、か。勝手に漏れそうになるため息をぐっとこらえる。もう何度、同じ質問を何人のひとにされただろう。慣れてしまった。攻撃的な視線も口調も、嫉妬羨望あらゆる意味のこめられたどす黒い感情も。

「付き合ってないよ」
「それ本当ですか」
「本当だよ」

女の子の視線は刺を持ったままわたしに突き刺さる。次に告げられる言葉も同じ。みんながみんな、同じことを口にする。

「仁王先輩に、俺は名前のことが好きだから付き合えないって断られたんですけど」

隣に立つ山内くんが、ひゅっと息を飲んだ。腕の中でノートがずっしりと重量を増した気がした。

「…うん。でもわたし、におから言われたことないから」

わたしの言葉に、女の子は殊更わたしをキツく睨むとそのまま踵を返す。去り際に目障り、と忌々しげに呟いて。

「…苗字」

彼女の背中が見えなくなってもなお、その影を追い求めるように廊下の先を見つめるわたしを、山内くんが低い声で呼ぶ。

「ずるいんだ。におも、わたしも」

ぽつりと呟いた声は、わたしたち以外誰もいない廊下に閑に響く。本館で鳴っている昼休みの終わりを告げるチャイムが、どこか遠くに感じた。

「苗字、すきだ」

振り返る。彼はいつもと変わらない、真摯な瞳でまっすぐとわたしを見つめていた。

「すきだ」

心地よい低い声が耳に染み込む。どうしようもなく泣いてしまいたいのに、涙は出なかった。

The back alley is boring.


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