「 名前、ちゃん 」

からからと、静かな音を立てて開いた病室の引き戸。真っ白な空間の中に、浮かび上がるように窓の外を眺めていた名前ちゃんが、酷く、緩慢とした動作でこちらを振り返った。

( また、細くなった… )

会う度に細く、脆くなっていく背中。そのあまりの頼りない細さに、じくじくと胸が痛んだ。

「 こら、横になってなきゃダメでしょ」

お見舞いの花を抱え直しながら、病室内に足を進める。この病室は名前ちゃんだけの個室だから、声をひそめる必要もない。

「 来てくれたんだ、さすけ 」

俺の言葉なんて無視して、ふわりと微笑む名前ちゃん。その儚さとあまりの美しさに、思わずその場で一瞬見入ってしまう。

「 、当たり前でしょーが 」

彼女を安心させるように、ぷりぷりと頬を膨らませながらいつもの花瓶に花を入れる。3日前に俺が持ってきた花は、綺麗になくなっていた。きっと、看護師の誰かが処分してくれたんだろう。名前ちゃんに、枯れた花なんか見せたくないから。

「 今日は特別寒いんだから、あんまり体に無理させちゃダメでしょ 」
「 うん……雪、だもんね 」

そう言ってまた窓の外に視線を向ける名前ちゃん。その瞳に写るのは昨日の夜に随分と積もった、窓の外一面に広がる銀世界。街の中心街から少し外れたところにあるこの病院の周りは草原のようになっていて、視界を遮るようなものは何もない。ただ随分遠くに、真っ青な海が見えるだけ。それも今は、雪の白さで霞んで見える。

そっと、名前ちゃんの背中に手を回し、体に負担をかけさせないようにして、ベッドへと寝かせる。触れた指先は、ほとんど肉のない痩せこけた背中から躊躇いながら離れた。

「 ちゃんと、寝れてる? 」

ベッドの横に置かれた青い丸椅子に腰かけながら、彼女の顔にかかった前髪をそっとすくってよけてやる。指先で触れた彼女の肌の温もりは、あまりに頼りない。

「 うん。毎日、さすけの声思い出しながら、目瞑ってるよ 」

そう言って、儚げに微笑む名前ちゃん。きっとその瞳には、哀しげに笑う俺様が写っているんだろう。

「 …さ、早くお眠り 」

ぽつり、
こぼした言葉は、酷く静かな病室に妙にさびしげに響いて。

「 ねぇ、さすけ 」
「 ん? 」

真っ白な病室にも負けないくらい、真っ白な頬。唯一まだほんのりと桜色に染まった彼女の口唇が、僅かに動き、空気を震わせる。


「 この雪が融ける頃には、わたしはきっと、さすけの想い出になってるんだろうね 」


酷くさびしげに、窓の外の遠い景色を眺める名前ちゃんの瞳に映るのは諦めの色ばかりで。

「 さ、すけ 」

力加減なんて知らず、ほぼ衝動で掻き抱いた身体は、酷く儚い。腕に感じるかすかな温もりだけが彼女が確かにここにいることを証明していた。


「 ねぇ… 」


吐き出した言葉は、まるで吐息のような囁きに埋もれて、淡く溶けるかのように宙に消えていく。


「 、頼むから 」


声にもならない言葉だけがなんの音も存在しないこの空間を満たしていた。


「 そんなこと、言わないでよ… 」


抱き締める腕に更に力を込めれば、はふ…と苦しそうに吐息を吐き出す名前ちゃん。どくどくと胸の内側を叩く鼓動が、薄い体越しに俺に伝わってくる。呼吸をして、瞬いて、その刹那の鼓動が、俺の内側に響いて溶けてそうして消えていく。

「 …ほら、さすけ 」

ふたりの吐息だけが響くこの真っ白な海沿いの病室で、もう間近に迫った春さえ迎えることの出来ない腕の中の愛しい彼女の目は、もうずっと彼女の弱々しい鼓動の音すら吸い取ってしまいそうな白銀の冷たい雪を映していて。


「 また、雪が降って来たよ 」


名前ちゃんの温もりをこの身体に刻み込むように、もう一度強く、彼女を抱き締めた。



いつか別れが来るなんて忘れさせてよ

(今はただ、この温もりを感じていたい)




thanx : N H

100508