「お、お邪魔します」
「お邪魔されまーす」

帰りに近くのスーパーに寄って、少し買い物をしてからアパートに向かった。佐助は駐輪場にバイクを停めるときからずっとがちがちに緊張していて面白かった。今日はわたしひとりだから大丈夫だよ、と言ってもそういう問題じゃないの、と返されわたしには理解できないが佐助にとってはわたしの部屋に来ることはとてつもない緊張を伴う事態らしい。政宗や元親の遠慮のなさと佐助の緊張具合を足して2で割れば丁度いいのにと若干思わなくもない。
いつものように鍵を差して玄関でバッシュを脱ぐ。見慣れた元親の黒いサンダルが置いてあってまたアイツ置いてったな…なんて思いながら放置。元親は基本裸足が好きらしく、我が家に来るときサンダルを引っ掛けても帰るときはベランダからとか裸足でちょちょいと帰ることが多いから、よくわたしの部屋の玄関に元親の靴が置き忘れされている。
荷物持ちをしてくれていた佐助からエコバックを受け取り、中身を冷蔵庫にしまっていく。佐助はきょろきょろしていいものかわからないらしく、視線を泳がせながらわたしの一連の動作を見つめていた。

「その扉開ければ洗面所だから、手洗いうがいしちゃって」
「あ、うん…」

生姜を野菜室にしまいながら洗面所の扉を指せば、佐助は言われたとおりに袖をまくって洗面所の扉を開けた。冷たいお茶の方がいいかな、と冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出してグラスに注ぐ。
はて、来てもらったのはいいけど、何したらいいんだ?それなりに頭を使って考えるけれど、何も思い浮かばない。元親や政宗だったらそれぞれ好き勝手にやったりたまにゲームの対戦したりするし、かすがとは女子トーク聞いたり一緒に料理作ったりする。じゃあ佐助とは?初めて家に来てもらったんだし、さすがに個人プレーはいけないだろう。かと言ってゲーム対戦する?仮にも恋人同士なのに?じゃあ佐助の女子トーク聞く?あ、佐助オトメンだけど女子じゃなかった。じゃあ一緒に料理?んー…まだ夜ご飯の準備にとりかかるには時間が早すぎる…。そもそも佐助って料理できるのかな。…わからない。
自分ひとりで考えても埒が明かないかと手にした麦茶を一気に呷る。ちょうど佐助が洗面所から手をぷらぷらさせて戻って来たので、グラスに注いだ麦茶を渡す。

「佐助なにしたい?」
「なにって?」

グラスを両手で受け取った佐助は不思議そうに首を傾げる。いちいち仕草が可愛い奴である。

「いや、来てもらって悪いんだけどウチなんもないからさ。ゲームとかならあるけど佐助はなにしたいのかなって」

テレビ台の下に収納されたゲーム機を指差しながらそう口にすれば、佐助はきょとんとしたあと、気まずそう…というか、言うのを迷うような素振りで視線をあちこちに走らせ口を開いた。

「あの…、名前ちゃんとお話したい」
「お話?」

予想外の言葉に思わず聞き返せば、佐助はこっくりと頷く。だからそれ可愛いからやめれ。

「…そんなんでいいなら全然構わないけど…」

本当にそんなことでいいのか疑問に思いながらもそう応えれば、佐助はきらきらと輝く瞳でわたしを見る。佐助の頭にあり得ない犬耳が見えたのは今日の政宗の発言のせいだと思いたい。




佐助がソファに腰掛け、わたしはソファを背もたれに床に座る。特に意味はない。並んでお互いの顔を見ながら話すのが苦手なだけだ。

「…こうやって名前ちゃんとゆっくり話すの、俺様が告白した日の放課後以来だね」
「あー…言われてみればそうかも」

なんだかんだでどっか行ったりイベントがあったりでこうやってまったりのんびり話す機会はあの日以降なかったかもしれない。しかも一応付き合い初めて3週間近く経つのに、まだお互い知らないことだらけだ。別にわたしは気にしていないけれど、もしかしたら佐助はずっとやきもきしていたのかもしれない。そう思うと少し申し訳なくなった。

「あの日だって、俺様が一方的にしゃべって名前ちゃんにカッコ悪いとこ見せちゃうし、」

だから今日はちゃんと、名前ちゃんとお話したかったんだ。
はにかみながらそう告げた佐助の笑顔に、胸にじんわりとした温かいものが込み上げてくる。それを誤魔化すように麦茶を口にした。

「別に、カッコ悪いなんて思ってないよ。あの時も言ったけど、ひとを好きになるのってすごく素敵なことだから、」

だから、佐助はカッコ悪いとこなんてひとつもないよ。
顔を見るのは恥ずかしかったけれど、ソファに座った彼を見上げるようにして言葉を紡げば、一瞬ぴしりと固まった佐助がソファの上で膝を抱え両手で顔を覆った。

「うー…名前ちゃんのばかあ…」

弱々しく震える独特の響きを持った佐助の声。夕焼け色の髪の隙間から覗く耳が真っ赤に染まっていた。照れてるのかと思うとなんだかすごくかわいくて、思わずくすりと笑みをこぼしてしまった。そんなわたしを指の隙間から見つめる佐助が、細々とわたしを呼んだ。

「ん?どしたの?」
「…もひとつだけ、ご褒美ちょうだい?」

相変わらず顔を真っ赤にさせた佐助がおそるおそる窺うような瞳でわたしをとらえる。わたしにできることならね、と答えれば、佐助は顔を覆っていた手を除け、下唇を噛んだままわたしを見据えた。

「ぎゅう、しても、いいですか」

予想をしていなかった言葉に、思わずきょとんと2度瞬きをする。佐助は相変わらず真っ赤な顔をしたまま視線を泳がせていた。どうしたらいいのかわからなくて、とりあえずローテーブルに麦茶を置いて、自分もソファの上に腰を落ちつけた。

「ど、どうぞ…?」

おずおずと両手を広げて佐助を窺えば、佐助はきゅうううっと眉根を寄せてから、真っ赤な顔を更に赤くして勢いよくわたしを抱き締めた。
まさかそんな勢いよく抱き締められるとは思ってなかったので、目をまんまるくさせてぴしりと不自然に体を固めてしまった。でもすぐに行き場のない手は、そっと佐助のYシャツを握る。背中に回された佐助の腕が、かすかに震えていたからだ。

「名前ちゃん…」

耳元で切なげに呼ばれる自分の名前。どくどくと自分以外の鼓動を感じる。聞き慣れないその響きに、そっと目を閉じた。

「…さ、すけ」

自分の中も同じようにどくどくと普段よりも幾分早い鼓動が響いている。口からあふれ出た声はかすれていて、喉が酷く渇いていた。
ふと腕の力が緩み、ゼロだった距離が少し離れた。佐助の濡れた瞳は強い色を灯してわたしを貫く。もう、彼の顔は赤くなかった。

「名前、」

低い、掠れた声で名を呼ばれ、一瞬心臓が止まった。佐助の琥珀色の瞳が近い。ゆっくりと近づく整った佐助の顔を見つめながら、そっと目を閉じようとした。
そのとき。

「名前ー、腹減っ…た……」

開かれたのはわたしの部屋の扉。開けたのは隣りの住人であるはずのスウェット姿の元親。お互いがお互いを凝視して固まり、異様な静寂が部屋に流れる。
外からは6時を告げる七つの子が鳴り響いていた。


初めてのお宅訪問


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