高校になって親の仕事の都合で神奈川に引っ越して立海大附属高校に転入した。ここは中学からのエスカレーター式で、外部生であるわたしは当初大分目立っていたけど、今ではすっかりクラスにも馴染みもはや空気と化している。しかし相変わらずこの運命には逆らえないのか、とんでもなく目立つ友達ができた。銀髪イケメン全国区のテニスプレイヤーってどんな肩書きやねんと思わずよく知りもしない関西弁を使って突っ込んでしまうほどの有名人。もちろんわたしだって最初に述べたように目立つひと眩しいひとが苦手なんだ。見た目だけで判断するのはよくないけど一目見た瞬間、ああこの人とは絶対関わんないようにしようと思った。けど話してみたら意外にいい奴で普通以上に話が合ってしまって、下校時刻なんて気にならないくらい話していたくなるような人間だったのだ。見た目はいかにも女の子をとっかえひっかえしてますって感じなのに、恋愛に対する価値観はわたしとほぼ同じで、学生のうちに付き合う必要性を感じられないという考えの持ち主。見た目と考え方のギャップがここまで激しいひとに初めて出会ったよ。まあつまりあれだ。見た目だけはどうやっても関わりたくないタイプだけど、彼の中身は是非ともわたしの近くにおきたい。今まではわたしが一方的に懐かれる側だったけど、彼には若干自分から懐いている節もある。ずっと隣にいて話していて欲しい。話を聞いていて欲しい。クラスも別で、唯一接触できるのが昼休みという僅かな時間と彼の部活がミーティングの日の放課後だけというのがこんなにも惜しい。こんなことを誰かに対して感じたのは初めてだった。
だがしかし、仮にも高校生の男女が仲良く談笑をしている姿はどう見てもカップルに見えるらしい。一応人目を忍んでいたのだけれど、誰かに目撃されてしまったらしく、いつの間にかわたしと仁王が付き合っているというなんとも有り得ない噂が広まっていたのだった。さすがにファンクラブからの制裁的なものはないけれど、ありとあらゆる人から冗談半分だったり真顔だったりで仁王と付き合ってるのかと聞かれる。そのたびに事実を述べているのだけど、噂は一向におさまらない。むしろ噂に尾鰭が付いてとんでもない内容となっているらしい。未だ仁王を好きな女子から呼び出されていないのは奇跡かもしれない。ていうかみなさんわたしと仁王が釣り合うと思ってんのかね。どう見たって不似合いでしょうよ。わたしだって仁王の友達としてだったら隣に立ちたいけれど、彼女としてだったら絶対に立ちたくないもん。そんな劣等感を全面に押し出すような行為出来ません。だからわたしと仁王が付き合うのは有り得ないんだけどさ、なんていうかこのままじゃいけないよなって。

「そう思うんですよ」
「全く話が読めんのじゃが」

お互いテスト前で自習になった授業を抜け出し、使われていない空き教室でぐだーっと床に座り込んでいた。わたしの脳内の独白を彼は悟れなかったらしい。何度もワックスが重ね塗られた焦げ茶色の床の木目を人差し指でなぞる。

「いやー…噂、のことですよ」
「ああ、俺とお前さんが付き合っちょるっつーあれか」
「そうそうそれそれ」

仁王は宙を見つめたままやる気のない声であっさりわたしの思考を支配している原因を口にした。やはり仁王の耳にも届いていたか。まああれだけ分かりやすく噂されれば気付かない方がおかしいけど。はあああ、なんだか自然と溜め息が漏れてしまった。
なんで学生っつうのはこう、男女がふたりで楽しく談笑してるだけでカップルと位置付けたがるんだか。理解できん。例え付き合っていたとしてもそれは外野には関係ないじゃないか。それをあーだこーだ真夏の蝉の大合唱が如くうっさいったらありゃしない。全くもって不快である。

「で、どーします?」

重々しい吐息と共に吐き出された言葉は陽に照らされのんびり宙を舞う埃に紛れて消えた。とりあえず、と言った感じで呟やかれたそうじゃのう…というだるそうな仁王の声。それっきりお互いが積極性のない沈黙を紡ぐ。仁王との沈黙は苦じゃない。心地よい沈黙を共有し合える相手ってのはなかなかいない。やっぱり仁王はわたしの人生において貴重な存在だ。友達とも悪友とも違う。一番近い表現を敢えて選ぶならば、呑み仲間。まだお互い未成年だし酒を呑んで語り合うことはないけれど、雰囲気的にはそんな感じ。だってこんなにもはっきりと鮮明に想像できる。わたしはOLの格好して、仁王はネクタイ外したYシャツを腕まくりしている。焼酎かなんかが入ったグラスを持ち上げて愚痴るわたしと、それを薄ら笑いを浮かべながら耳を傾け、グラスな口をつける仁王。うーん、わたし悪酔いしそう。多分仁王も、同じようなこと考えてるんじゃないかな。今度聞いてみよう。ひとり噂のことをすっかり忘れ別の思考に夢中になっていたわたしを引き戻したのはあ゛ー…という低い唸り声だった。

「めんどいし、放っとけばいいじゃろ」

まあ、なんとなくそう言うだろうな、とは思っていた。事実わたしもそう思ったし。でも仁王さん、今回ばかりはそうはいかないんですよ。

「駄目だよ。このまま放っといたら仁王の可能性を潰しちゃう」
「可能性?」

これがね、わたしだけの問題だったら全然放置プレイで構わなかった訳ですよ。だけど今回は仁王が関わって来るから放っておくわけにはいかないのだ。

「仁王さ、好きなひといないの?」
「おらん」
「じゃあこれから先好きなひとが出来たり、あるいは仁王のことが好きな女の子が告白して来たとき、噂を放っておいたら面倒なことになるよ」

そう、そこなのだ。まあ周りからの視線やら噂話はスルーするとしても、仁王の経歴に事実無根の肩書きが加わるのはいただけない。将来有望な仁王だから尚更、そう思う。わたしなんかの存在がそこまで大きいとは思わないけれど、わたしに関することで仁王が不利になるのは絶対嫌だ。てな訳で断固阻止。

「まずは地道なことから始めてさ…、例えば付き合ってるの?って聞かれたらちゃんと否定して正確な事実を伝えるっていうのはどうかな」
「ダルいめんどい」
「そう言わずにさー」
「ちゅーか俺、今でも肯定も否定もしとらんもん」

拳を握って熱弁するわたしからふいっと顔を背けた仁王は心底面倒そうに眉を顰めた。
本当、若いくせに面倒くさがりだなー。ま、わたしも大概ひとのこと言えないけど。
…っつーか、否定してないってどゆこと!?

「それ絶対誤解されてんじゃん!」
「かもしれんのぅ」

なんてこった。一番身近な奴…っていうかもうひとりの当事者が一番厄介な事態を引き起こしてるとは…。はああああと、ここ最近で一番大きな溜め息を吐いて頭を抱えた。
床の木目が目に入る。仁王が何考えてるのかわかんなさすぎて頭痛い。もともと掴めない性格だし何モノにも捕われない自由な発想というか考え方が出来るのも仁王のいいところだけど、さすがにこれは考えてもみなかった。うががががと声にもならないうなり声を上げる。授業中だから辺りは静寂に包まれていて、ときどきグラウンドから後輩だろうか、元気な声が聞こえてくる。

「…そんなに面倒なら、事実にすればよか」
「…はあ?」
「俺とお前さんがホンに付き合えばなんの問題もないじゃろ」

壁に寄りかかり、手で作ったカエルの口をぱくぱくさせながら、仁王は信じられないようなことをさらりと言ってのけた。あまりの出来事にわたしの口はぽかんとマヌケに開いたまま。誰がどう見ても完璧なアホ面だ。三拍遅れでようやく言葉を理解し吟味し消化し終えたわたしは横に座る仁王をジト目で見つめた。

「それじゃあなんの解決にもならないしむしろ悪化する」
「そうかのぅ。楽でえぇと思ったんじゃが」
「確かに面倒事は減るだろうけど、さっき言った仁王のこれからの可能性の問題は悪化してるでしょーが」

呆れたようにため息を吐いたわたしを一瞥して、今度は指で犬を作る仁王。床に落ちる影で遊んでいるらしい。これは真面目に考える気ゼロだなーなんて薄ぼんやりとした頭で考えた。

「別に問題なか」

このままこの話を流すと思った仁王が、予想外にも口を開いた。

「学生のうちに誰かと恋愛しようとも思っちょらんし」

床に伸びる犬の口をぱくぱくさせながら、仁王は面倒そうな声で彼を好いている子が聞いたら泣いてしまうような台詞を口にする。わたしも仁王と同じ考え方だけど、根本的に違うのはそれで悲しむひとがいないってとこかな。いやあ人気者って大変だよね。他人事のようにそんなことを考えていれば、不意に仁王がこちらを向いた。
仁王の瞳は綺麗だ。普段気だるそうに細められているその瞳は、真正面から覗くと本当の色がわかる。遺伝的な虹彩なのか単に色素が薄いのか、光の加減によっては金色に輝いて見えるのだ。ナイフのような鋭さとは違う、例えるのなら獣のような鋭さを宿した瞳。わたしの視線と重なる仁王の瞳はいつもと変わらない、いつものキレイな色。仁王の口唇がそれに、と音を紡ぐ。

「例えこの先、俺がだれかを好きになるとしても、それは名前だけじゃ」

いつもの調子でさらりと告げられた言葉に、わたしの身体はぴたりと機能を停止する。仁王の言った言葉を処理するためにわたしの脳はフル稼働。仁王は相変わらずどこまでも飄々としていて、今度はまたカエルを作っている。

「えーと…結局…どうしようか」

仁王の言葉を処理するには今のわたしのキャパシティは足りない。一旦考えるのをやめて、仁王にこれからのことを尋ねた。授業が終わったのか、天井からがたがたと椅子を引く音が響く。

「付き合っちょるってことでよか」

カエルを解いた仁王が立ち上がりながらそう呟く。ぱんぱんとズボンに着いた埃を落とせば、授業の終了を告げるチャイムが響いた。わたしも仁王につられて立ち上がり、同じように埃を払う。陽の光に照らされた仁王の透き通るような銀髪が目の前で揺れていた。


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