「苗字殿」

がやがやとうるさい廊下をひとりでぼんやりと図書室に向かって歩いていれば、不意に知らない声に呼び止められた。
くるりと身体を半回転させて振り返れば、やっぱり知らない男子がこちらを見ていた。

「はーい?」

カーディガンのポケットに手を突っ込んだままかくりと首を傾げれば、その男子がわたしの前まで来て立ち止まる。

「突然お呼び止めしてしまい、申し訳ない」

ふわふわとした茶髪に比較的きっちりと着られた制服。凛々しい眉と意志の強そうな瞳。
とても整っているけど、どこか幼さを感じさせるその顔立ちにやっぱり見覚えはない。

「いえいえ、なんでしょうか」
「いや、少し話でもどうかと」
「はあ、」

わたしより大きくて佐助より低い身長。政宗よりちょっと小さいくらいかなあ、とか考えながら男子の誘いに首を傾げて止まる。
はなしって、なんですか。

「あ、申し遅れた。某、機械科の真田幸村と申しまする」

随分と古風な話し方をするんですな真田さん。ん?真田幸村…?どっかで聞いたことがあるぞ。思い出せわたしの脳よ。
お昼のあとで若干眠たげな脳をフル回転させてようやくその名前に関する記憶を引き出した。

「あの、もしかして政宗のライバルな真田さんですか?」

政宗の口から何度となく出て来た真田幸村という名前。なかなか他にいなさそうな名字だし、このひとがそうなのだろうか。

「おお!まさしく!某こそ政宗殿の永遠の好敵手なれば!」

政宗の名を出した途端きらきらと目を輝かせ始めた真田さんは両拳を握って、わたしの問いを肯定した。
ていうか好敵手って。現実で初めて聞いたよその単語。

「佐助のことで、是非お話お伺いしたいのだが、」

にこりと笑って首を傾げる真田さんにはあ、と頷いて、そのあとに続いた。


連れて行かれたのは旧校舎の外に設置された古びたベンチが並ぶ裏門近くの林みたいなところ。
お昼休みも半ばを過ぎたからか、そこには誰もいなくて。
腰を下ろした真田くんに隣りを指差され、人ひとり分くらい開けて座った。

「…某と佐助は生まれたときからの付き合いでな、物心つく前から寝食を共にしてきた仲」

ベンチに座って風にさわさわと腕をゆらす木々を見つめる。

「尊敬する師である御方の屋敷にて、今でも共に暮らしているのだが、どうにも最近様子がおかしい」
「おかしい、ですか…」
「ああ、幼い頃より佐助は本心を隠すようになった。へらへらと軽口を叩き、女性関係がだらしなくなり、惰性に生きておったのだが、最近は随分と人間くさいのでござる」
「は、はあ…」
「この間など皿は落とすわ料理の味付けを間違えるわ、普段からは考えられないほどぼーっとしておった」
「さ、さいですか」
「それになにより彼奴の瞳がきらきら輝いているのだ」

握った自分の拳を見つめながらぽつりぽつりと真田さんは言葉をばらまく。

「どうしたのだと問い詰めてもはぐらかされるばかりでな、そんなとき其方の噂を耳にした」
「噂、ですか…?」
「佐助と付き合っているのであろう?」

きょとんと首を傾げてそんなことを言われてしまえば否定できるわけもなくて、ていうか否定もなにも付き合ってるのは事実だけど何て言うか真田さんが思っているような付き合い方してないと思うんだけどえーと、

「ま、まあ、はい」

そう曖昧な笑みを浮かべながら頷けば、真田さんはにこりと微笑む。

「どんな御方かと思っていたのだが、期待を裏切られた気分だ。無論、いい意味でだが」
「へ?」
「自分でいうのは気が引けるが、某はよく女子に騒がれるのでな。今回もなにかしら迫られるのかと半ば飽き飽きしていたのでござるが、其方は某を前にしふたりきりになっても、連絡先を聞いて来ることも私生活を聞き出すことも、まして頬を染めることもない」

真田さんの言葉に思わず引きつった笑みを浮かべる。いや、申し訳ないが美形は見慣れてるんだよね、幼馴染みとか彼氏さんとか親友とかで、あは。

「…きっと佐助は其方の誰を前にしても変わらない態度に、其方のまっすぐな強さとこころに惹かれたのでこざるな」

柔らかくて温かな笑みを浮かべて真田さんは言う。ああ、このひとはちゃんとひとを見てるんだ。

「…わたしと佐助くんは、お付き合いしてからまだ1週間も経ってないし、正直佐助くんのことも知らないことの方が多いけれど、」

スカートから伸びた自分の脚を見つめながら、ぽつぽつと言葉を漏らす。

「それでも、真田さんが佐助くんのことをすごく大切に想っていることはわかりました」

真田さんの瞳を見つめながらそう告げれば、真田さんの瞳が大きく見開かれた。どうしたのかと首を傾げれば、真田さんはふっと笑う。

「…惜しいことをしたな」
「え?」

ベンチにだらしなく突いていた手をきゅっと握られ、甘ったるい視線を向けられる。

「もう少し早く出会えていれば、貴女を某のものにできたのに」

突然告げられた口説き文句に思わず口をぽかんとあけたまま不敵な笑みを浮かべる真田さんのきれーなお顔を見つめた。
そのとき。

「らめぇえええええ!!」

突然の叫び声と共に、真田さんに握られていた手が別の誰かの手に包まれる。見上げれば頭に葉っぱやら小枝をこさえた佐助がぜはぜはと肩で息をしていた。

「何してんの旦那名前ちゃんに何してんの!」
「おお佐助、存外早かったな」

わたしを背にかばうようにして両手を広げて真田さんに立ち向かう佐助は、若干涙目だ。

「名前ちゃんに手出しちゃダメ、絶対!」
「む、ひとから奪うなどという下劣な趣味は某にはござらん」

若干ふくれっ面になった真田さんが立ち塞がる佐助を見上げ、それからひょこりと首を傾げてわたしへと視線をよこす。

「まあ名前殿が佐助に飽きたのならば、話は別だが」

にっこりととても素敵笑みを浮かべた真田さんがひらりと手を振る。
ちょいちょい、挑発してどうするんですか真田さんあなたとても腹黒いですね。
その爽やかフェイスからは想像もつかないほどの腹黒さを発揮する真田さんのお顔をまじまじと見つめていると、佐助が改めてわたしの前に立ちふさがった。

「そ、そんなことさせませんッ!名前ちゃんは、俺様のなんだから!!」

腰に手をあて、びしりと真田さんを指差した佐助はぷくりと頬をふくらましている。
所有物発言は好きじゃないはずなのに、なんだか佐助の必死な様子がかわいくて。思わずその背中に隠れてくすりと笑った。


彼氏と彼氏のおともだちと


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